始まり、そして2周目
ピンポーン
インターホンの音で、マヤは目を覚ました。枕元の目覚まし時計は、深夜0時を示している。
こんな時間に来客?
寝ぼけた頭で空耳だろうと判断したマヤが布団に潜り込んだところで、
ピンポーン
再びインターホンが鳴る。今度ははっきり聞こえた。確かに誰かが来ているようだ。
ピンポーン…ピンポーン…ピンポーン…
インターホンが連続して鳴らされる。マヤは少し恐怖を覚えた。こんな日に限って真也は出張で、家にはマヤ一人しかいない。居留守を使おう、そう決意して布団にくるまって息を潜めていると、しばらくしてインターホンが鳴り止んだ。ホッとしたのも束の間、カチャっと鍵を開ける音がした。マヤの心臓の鼓動が速くなり、全身が震え出す。
今日は真也が帰って来ないのに、何故チェーンを掛けなかったのだろう。
最近、真也は残業が続いており、マヤが就寝してからの帰宅が続いていた。だから、チェーンを掛けないで寝る習慣がついていたのだ。
急いで掛けにいく?いや、もう間に合わない。
玄関のドアが静かに開閉された音がする。
警察に電話…
布団から手を伸ばしてスマホを手に取る。110と押そうとするも、手が震えて12と押してしまった。1文字削除しようとしたら、最初の1も消してしまう。
ああっ
手がワナワナと震え、スマホを落としてしまいそうだ。
大丈夫、大丈夫、もう一度1を押せばいいだけ…大丈夫、大丈夫…
そのとき、頭にガンッともの凄い衝撃を感じた。
な…に…が起こっ…た…
薄れゆく意識の中、布団の隙間から足と野球のバットの先端が見えた。バットが振り上げられ、そして、もう一度、頭に衝撃が走る。
マヤは飛び起きた。
はぁっ…はぁっ…はぁっ…
カーテンの外が明るい。もう朝のようだ。
今のは夢?
とてもリアルな夢だった。思い出すと、手が震えてくる。
「どうしたの?マヤ…」
隣で真也が眠そうな声を出す。
「真也!?出張だったんじゃないの?」
「出張は今日からだよ…昨日も夜遅かったんだ…もうちょっと寝かせて」
「あ、あ…そう。ごめんね。起こしてしまって」
「いや、いいんだ…8時になっても起きてなかったら起こして」
スマホのカレンダーを確認する。確かに今日は真也が出張に出掛ける日だ。では、真也を出張に送り出したところも夢だったのだろう。
でも、夢にしては、すごくよく覚えている…出会った人、交わした会話、目にした光景…夢で見たのではなく、まるで昨日の出来事のように。
マヤは違和感を覚えながらも、朝の支度を始めた。朝ごはんを用意して、簡単に部屋を掃除したら8時になった。
「8時だよ。起きて」
マヤは寝室のカーテンを開けて、真也に声をかける。
「あぁ…ありがとう…」
真也が気怠そうに伸びをして、ゆっくりと身体を起こす。
「パン、焼いておいていい?」
「んー…いや、先にシャワーを浴びるよ。あがったら自分で焼くから大丈夫」
「了解」
「コーヒーを淹れてもらってもいい?眠気が一瞬で吹き飛ぶくらい、うんと濃いやつ」
寝室から出て行こうとしていたマヤは、真也の言葉に思わず立ち止まって振り返る。夢で聞いたものと全く一緒だったからだ。思い返してみれば、コーヒーのくだりだけではない。トーストの遣り取りも夢と一緒だ。こんなことって…
「どうしたの?」
黙りこくってしまったマヤに真也が尋ねる。
「コーヒー、無理だったらいらないよ」
「ううん、大丈夫。どうやって濃くしようか考えていたの。これ以上ないってくらい、ギネス級のものすごーく濃いのを淹れてあげるわ」
「怖いな~。いやいや、ほどほどでお願いします」
「真也がうんと濃いやつって言ったんじゃない」
この遣り取りは夢の中にはなかったわね…そんなことを思いながらマヤはキッチンへと向かった。
夜、マヤはリビングのソファに座り、一人でテレビで放送されている映画を観ていた。その映画は、やはり夢の中でも観たものだった。映画が始まる前のニュースでは、真也の応援している野球チームが逆転さよならホームランで勝ったことを報じていた。これも、夢と同じだった。今日は夢で見たのと同じような出来事が起こり続けた。
こういうのを正夢っていうのかしら?
時計を見れば、10時を少し回ったところだ。
あと2時間…
マヤは自分の動悸が速くなっているのを感じた。夢の中での恐怖が蘇ってくる。誰かに助けを求めたいと思ったが、気軽に訪ねたり呼んだりすることができる友人はマヤにはいなかった。警察に相談したいとも思ったが、夢が現実になるなんて言っても相手にされないだろうと思うとできなかった。念のためチェーンは掛けたが、それ以外には特に何もできないまま、この時間になってしまった。
映画が終わり、マヤはますます落ち着かなくなっていた。寝室に向かい布団に包まるが、当然眠れない。コチコチコチ…時計の針の音がやたら耳障りだ。
ピンポーン
一睡もできない間に0時になり、玄関のチャイムが鳴った。
本当にきた…でも、夢と違ってちゃんとチェーンを掛けてある。だから、中には入ってこれない。大丈夫、大丈夫…
マヤは自分に言い聞かす。
そうだ、鍵を開けられたら、警察にすぐ連絡できるように電話を掛ける準備をしておこう。
スマホに110と入力し、通話ボタンのすぐ上に指を置く。指が小刻みに震えている。
ピンポーン…ピンポーン…ピンポーン…
夢の中では、このチャイムの連打が止んだすぐ後に鍵が開けられた。もうマヤは夢が現実になることを疑っていなかった。待っている間にスマホがスリープ状態になる。再びスマホの画面を開こうとするも、マヤの古いスマホは指紋認証に失敗し、パスワードの入力を求められ時間がかかってしまった。スマホが再びスリープ状態にならないように画面をタッチしながら、その時を待つ。するべき作業があることは、マヤの心を少し落ち着かせた。
カチャッ
鍵が開けられる微かな音がした。
きたっ
マヤは急いで通話ボタンを押す。
「はい、N 警察署です。どうしましたか」
チャッ
警察が電話口に出たのと、ドアが開きチェーンが引っかかる音がしたのが同時だった。
「あの、早く、すぐに来てください。助けてください」
「落ち着いてください。何が起こったのですか」
「今、誰かが家に入ってこようとしているんです。お願いです、早く、殺される、早く来て…」
話しているうちにマヤの気持ちはどんどん昂ってくる。
「大丈夫ですよ。すぐに向かいますから、落ち着いてください。そちらの住所を教えてください」
「はい、東京都…」
ガチン
聞き慣れない大きな金属音が家の中に響いた。何が起こったのか咄嗟には分からなかったが、直後その音が示す可能性に考えが至りマヤは愕然とする。
そんな、まさか、チェーンが切られた?
「もしもし、どうしましたか、もしもし…」
電話口から警察の声がしていたが、マヤはそれを無視してベランダへと出る。夢の中で、犯人は家に入ってすぐにこの寝室にやって来た。警察は間に合わない。自分で逃げなくては。寝室の窓から出てすぐ右手に「非常の際にはここを破って避難してください」と書かれている隔て板がある。この隔て板の向こうは非常階段へと続くドアだ。しかし隔て板は頑丈そうで、マヤにはとても破れそうにない。マヤは、ベランダの手すりを伝って、隔て板を越えることにする。手すりに両手をついて体を浮かせ、片膝を乗せる。
高い…怖い…
マヤの家は6階だ。6階のベランダや廊下から見る景色は既に見慣れて高さを感じないが、もともとはマヤは高所恐怖症で、姪っ子に付き合って登った滑り台ですら足がすくんだほどなのだ。手すりの上に乗るといつもの景色と微妙に変わって、その高さに恐怖を感じる。手のひらにじっとりと汗が滲む。
大丈夫、板1枚の厚み分を渡るだけ…
隔て板には掴むところがないから、両腕で板を挟み込むようにして身体の向きを慎重に変えていく。身体を反転させて板側を向き、身体の左半身が板の向こう側に出たところで一息つく。さらに右足を抜こうとしたとき、寝室のカーテンが揺れたような気がして、注意が一瞬そちらに向いた。
あっ…
気づいた時には遅かった。マヤはバランスを崩し、手を伸ばして隔て板を掴もうとするが、板には指が引っかかるところがなく、そのまま滑り落ちる。遠ざかって行くベランダの柵から人の頭のようなものがのぞく。
誰なの?
マヤは目を凝らすが、頭はどんどん小さくなり、性別すら判別できない。
誰なの?私を殺そうとするのは誰?何故私を…
そして、頭に強い衝撃が走った。




