こけしが奏でる、愛の音
こけしが奏でる、愛の音
祖母の命日。その夜は、いつも以上に空気が重く感じられた。リビングの仏壇には、祖母の遺影が飾られ、線香の煙が静かに立ち上っている。祖母が旅立ち、音をなくしたこの家で、私は重い気持ちで眠りについた。
深夜。どこからか、**「カタ、カタ」**と小さな物音が聞こえ、私は目を覚ました。それは、古い木が擦れるような、微かな音。畳の上を何かが滑る、か細い音だった。心臓が早鐘を打つ。まさか、祖母が私を恨んで…? 体中を冷たい汗が伝う。
遺品整理の際、私は祖母が肌身離さず大切にしていたものを、たくさんフリマサイトで売ってしまった。その中に、祖父がまだ生きていた頃、祖母に贈ったという夫婦と子供の三体セットのこけしがあった。私はそれらがついになっているとは知らず、バラバラにして売ってしまったのだ。
「カタ、カタ」という音は、リビングの仏壇の方から聞こえてくる。私は恐怖で体が震えながらも、意を決し、懐中電灯を握りしめてリビングへと向かった。
リビングの扉を静かに開けると、私は息をのんだ。
懐中電灯の細い光が、暗闇の中で小さな影を浮かび上がらせる。祖母の遺影が飾られた仏壇の前で、私が売ってしまったはずの、夫婦のこけしが、残された子供のこけしに寄り添っていた。彼らは、互いに体を擦り合わせ、まるで会話をしているようだった。しかし、その動きはぎこちなく、薄暗い部屋では、私にはまるで無言の呪術のようにしか映らなかった。
私は懐中電灯を握りしめたまま、その場に立ち尽くす。こけしたちが動いている。祖母の遺影が、薄暗い部屋の中でじっと私を見つめているように感じられた。私は、自分が呪われているのではないかと本気で思った。
その時、子供のこけしが、まるで私に語りかけるように、か細い声で言った。
「お父さん、お母さん、会いたかったよ」
そして、夫婦のこけしが、優しく応じる。
「まさか、ここまで来られるなんて…ずいぶん苦労しただろう?」 「ええ、少しね。でも、あなたと坊やに会いたくて、ここまできたわ」
その言葉を聞いて、私はハッとした。
これは呪いでも、祟りでもない。バラバラになった家族が、おじいちゃんと、おばあちゃんの愛が詰まった、元の場所に戻りたかった、ただそれだけの切ない願いだったのだ。
私の頭を、深い後悔の念が襲った。祖母の死を受け入れられず、過去から逃げるように遺品整理をした。その無神経さが、祖父母が残してくれた最も大切な宝物を、バラバラにしてしまっていたのだ。
「ごめんなさい……」
私は、心の中で三体のこけしと、祖父母に謝った。
それからというもの、私は、こけしたちの秘密を胸にそっとしまった。彼らがどこにいるのか、どのように毎日を過ごしているのかは分からない。しかし、私は毎年祖母の命日になると、リビングに温かいお茶と、小さな毛布を準備して待つようになった。
そして、夜中になると、カタ、カタと、懐かしい音が聞こえてくる。
それは、離れ離れになった家族が、再び一つになる、特別な夜の始まりを告げる音。そこにはもう、何の恐怖もなかった。あの「カタ、カタ」という音は、ずっと私を追い詰める呪いの音だと思っていた。でも、それはおじいちゃんと、おばあちゃんが、私に家族の愛を思い出させるために奏でてくれた、優しい音だったんだ。そう気づいた時、私の心に、温かい光が差した。
「おばあちゃん、私、もう一人じゃないよ」
私は、そう心の中でつぶやきながら、静かに、特別な夜の再会を見守るのだった。
祖母が旅立って、静寂に包まれていたはずの家は、今、温かい愛の音で満ちていた。