第1話「遺伝子バンク管理官、転生違反により抹消処分」
──異常検出。転生コードA-7441、不正アクセス確認。
僕は、コードを修正する手を止めた。視界の端で赤いアラートが点滅している。普段なら職務違反で即刻削除されるログだ。だが、この転生システムは、神々が構築したという建前とは裏腹に、度々こうした不正が行われる。それは、僕が管理官としてこの職務に就いてから幾度となく経験してきたことだ。
「……また誰か、無許可で転生させやがったか」
吐き捨てるように呟きながらアクセスログを開く。そこに記されていたのは、想像を絶する”コード”だった。
《転生対象:管理官レオン・クレイド》
「は?」
僕の名前があった。それも、英雄遺伝子コードではなく、僕自身の身分情報を示す管理コードで。
一瞬、脳が真っ白になる。これは、システムのバグか?それとも、神々が構築したというこのシステムを僕が知らないだけで、何か特別な意味があるのだろうか。思考を巡らせる暇もなく、僕の体に電流が走る。
次の瞬間、世界が裏返った。
全神経が焼き切れるような感覚、視界が走馬灯のように流れ、無限のデータが僕の脳に注ぎ込まれる。それは、まるで数多の図書館の蔵書が、わずか数秒で脳内に叩き込まれるかのようだった。転生システムの根幹を成す、神々の計画の全貌。歴代の英雄たちの遺伝子情報。彼らの能力、弱点、そして運命。僕が管理官として知り得た情報が、まるで呪いのように、強制的に僕の脳に刻み込まれていく。
最後に聞こえたのは、合成音声の冷たい声だった。
──転生、完了。
──記憶封印レベル:75%。
──適合者クラス:S-ランク相当。
──職能:『遺伝子情報操作』
──抹消処分開始。
「……ま、っしょう……?」
僕の口から言葉が漏れる。管理者から転生者へ、そして抹消処分。僕の思考は追いつかなかった。僕は、神々のシステムを裏側で支える存在だったはずだ。なのに、なぜ僕が、僕自身が、転生させられるのだ?しかも、抹消処分だと?
僕の意識は、抵抗する間もなく暗転した。
……
……
「おい、こいつは本当に使い物になるのか?」
「ええ、問題ありません、ドリュー様。ご覧の通り、遺伝子情報に欠損はありますが、肉体的な機能は完璧です。希少な黒髪黒眼の奴隷として、市場に出せば相場以上の値がつきます」
ぼんやりとした意識の中、硬い土の上に投げ出された僕は、二人の男の会話を耳にする。肌を刺すような冷たい空気、土と埃の匂い、そして……微かに聞こえてくる鳥の鳴き声。
目を開けると、そこは荒野だった。
僕の視界に入ってきたのは、煤けた服を着た男と、その隣に立つ、いかにも裕福そうな豪奢な鎧を身につけた男。豪奢な男は、僕を値踏みするように見つめている。
どうやら僕は、記憶封印と能力制限を施されたまま、この世界に転生させられたようだ。だが、僕の脳には、僕が管理官として知り得た「全データ」が刻み込まれていた。歴代の英雄たちの遺伝子コードと能力、そしてこの世界の裏側で暗躍する神々の計画の全データが。
僕は、僕自身の境遇を分析する。
《適合者クラス:S-ランク相当》。これは、僕の魂のポテンシャルが、英雄に匹敵することを意味する。
《職能:『遺伝子情報操作』》。僕の元々の管理官としての能力が、この世界で能力として再構築されたものだろう。
しかし、僕の今の肉体は、出来損ないの遺伝子を埋め込まれた、ただの少年だ。この身体では、転生者としての能力を十全に発揮することはできない。
「へえ、希少な黒髪黒眼か。うちの娘がちょうど、そういう珍しい奴隷を欲しがっていてね。どうせすぐに壊れるだろうが、飾っておくにはいいだろう」
豪奢な男──ドリューと名乗った男は、僕の顔を覗き込み、下卑た笑みを浮かべる。僕の脳裏には、ドリューの遺伝子情報がフラッシュバックのように流れ込んでくる。
《対象:ドリュー・オルウェル (領主)》
《能力:剣術Lv.8、統率力Lv.6》
《特性:英雄遺伝子と適合せず。過去に偽造遺伝子による転生システムの不正利用を試みた記録あり。》
この男は、神々のシステムを不正に利用しようとした過去を持つ、悪党だ。そして、僕の目の前の男は、僕の脳内に残された情報から、この世界のシステムに寄生している偽りの英雄である可能性が高いことがわかる。
「お前、名を言ってみろ」
ドリューが僕の頬を叩きながら問いかけてくる。僕は、転生した際に与えられた、元の名前とは違う名前を告げた。
「……レオンです」
僕がそう答えると、ドリューは嘲笑うように言った。
「ふん、気に入らない名だ。今日からお前は、**欠陥品**だ」
僕は、心の中で静かに笑った。
欠陥品。そうだろう。僕は、神々にさえ抹消処分を下された、欠陥品だ。
だが、欠陥品は、時にシステム全体を破壊する力を持つ。
「……ドリュー様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
僕は、かすれた声で尋ねた。
「なんだ、欠陥品が」
「あなた様の右腕に刻まれた紋章……それは、英雄ギルドの正規の紋章ではありませんね?」
僕の言葉に、ドリューの顔色が変わる。
「何を言っている。これは、我がオルウェル家が代々受け継いできた紋章だ。貴様のような奴隷ごときが、口を挟むな!」
「いえ、そうではありません。その紋章は、三年前に英雄ギルドのシステムから削除された**“偽造紋章”**のデータと完全に一致します。そして、その紋章の製造に関わったと思われる人物に……あなた様の名前と、あなたの娘の名前が、登録されていました」
僕の言葉に、ドリューは絶句する。
「な、何を馬鹿な……」
「まさか、転生者を欺いて偽造紋章を売りつけ、金品を巻き上げるという犯罪に手を染めていたとは。しかも、あなたが転生を試みていた記録まで残っています。これは、神々のシステムに対する冒涜であり、即刻抹消処分に値する重罪ですよ」
僕が、元いた世界の「法律」を口にした途端、ドリューは顔を青ざめさせた。
僕の脳内には、神々のシステムの裏側を知る者として、この世界のあらゆる情報が刻み込まれている。
この男が、偽造紋章の製造に手を染め、転生者を欺いてきたことも。
そして、その罪が露見した際の、この世界の貴族社会における重すぎる代償も、すべて。
僕は、僕の脳内のデータベースから、ドリューの犯罪の証拠となるデータを引き出し、それを彼に突きつけた。
「……ま、待て。これは、何かの間違いだ。私は、そんなことを……」
ドリューは狼狽し、汗をだらだらと流している。
その様子を見ていた奴隷商は、困惑の表情を浮かべている。
僕は、静かに、そして冷徹に、ドリューに告げた。
「あなたの娘さんは、私という奴隷を買うことで、あなたの罪を隠蔽しようとしていたようですね。でも、残念ながら、もう手遅れです。この情報が神々の耳に入れば……あなた方は、ただでは済みませんよ」
僕の言葉に、ドリューは膝から崩れ落ちた。
僕の言葉は、この世界の貴族社会の**「ルール」**を完璧に理解している者の言葉だった。
そのルールを破った者への末路を、彼は誰よりも知っている。
僕は、ただの奴隷として、この世界に転生させられた。
だが、僕の頭脳には、この世界の全てを操るための「鍵」が刻み込まれている。
これは、最強の英雄たちの「裏側」にいた男が、自らの知識と頭脳を武器に、**“物語の作り手”**として、英雄たちを操り、やがては世界の真実を暴く、知的なダークファンタジーである。
この世界では、僕はもう管理者ではない。
僕は、欠陥品だ。
そして、この世界を支配するシステムを破壊する、最強の欠陥品になる。