エピソード017:フローラとのお出かけと迫る影
グライフブルクの空は、高く澄み渡っていた。診療所の窓から差し込む陽光が、薬草の束をきらきらと照らし出している。テレジア様がギルドに釘を刺してくれたおかげで、あからさまな妨害は鳴りを潜めた。しかし、水面下での圧力は依然として続いている。ポーションの価格は高止まりしたままだし、治癒術師ギルドの流した悪評も、そう簡単には消え去らない。
「……健太様、少し顔色が悪いですよ」
心配そうに俺の顔を覗き込むのは、婚約者のフローラだ。彼女の気遣いが、張り詰めた俺の心を優しく解きほぐしてくれる。ここ数週間、俺たちは休みなく働き続けてきた。特にフローラには、慣れない都市での生活と診療所の仕事で、疲れが溜まっているはずだ。
「すまない、フローラ。少し考え事をしていた。……そうだ、今日は診療所を半日休んで、二人で市場に行かないか? 君にも気分転換が必要だ」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんだ。君にはいつも助けられてばかりだからな。たまには、二人でゆっくりしよう」
俺の提案に、フローラははにかみながらも嬉しそうに頷いた。
グライフブルクの中央市場は、目もくらむほどの活気に満ちていた。色とりどりの野菜や果物、干し肉や魚の燻製、そして異世界ならではの奇妙な形の道具を売る店が所狭しと並んでいる。
「わあ、すごい! ノイシュタルト村の市とは全然違いますね!」
フローラは子供のようにはしゃぎながら、あちこちの店を指差す。俺たちは串焼きの肉を頬張り、甘い果実のジュースを飲みながら、人混みの中をゆっくりと歩いた。
ふと、露天のアクセサリー屋が目に入る。並べられた品々の中に、可憐な白い花の形をした髪飾りを見つけた。フローラの柔らかな髪に、きっとよく似合うだろう。
「これ、君に」
俺がそっと髪飾りを差し出すと、フローラは驚いたように目を見開いた。
「わたくしに……? でも、こんな綺麗なもの、健太様が持っていていいんですか?」と、フローラは純粋な疑問を投げかけてきた。俺は一瞬、言葉に詰まる。「いや、これはその……君に似合うと思って、つい……」と、しどろもどろになる俺を見て、フローラはくすくす笑った。
「君にこそ、ふさわしいと思って」(前世で読んだラノベやエロゲでよく見た、ヒロインにアクセサリーを渡す王道イベントを、まさか自分がやることになるとはな)
俺が彼女の髪にそっと飾ってやると、フローラの頬が夕焼けのように赤く染まった。その姿は、どんな花よりも愛らしく、俺の心臓は大きく高鳴った。
穏やかで、幸せな時間。ギルドとのいざこざも、医療改革の重圧も、この瞬間だけは忘れられた。
しかし、そんな安らぎは長くは続かなかった。
市場からの帰り道、人通りの少ない路地裏に差し掛かった時だった。不意に、三人の男たちが俺たちの前に立ちはだかった。見るからに、柄の悪そうな、チンピラ風の連中だ。
「よう、お二人さん。楽しそうなデートじゃねえか」
リーダー格の男が、下卑た笑みを浮かべて俺たちを見る。その目つきには、明らかな敵意が宿っていた。
「あんたが、噂のまじない師先生かい? 神聖な治癒魔法を汚す、偽物だって話だぜ」
「なっ……!」
フローラが息を呑む。治癒術師ギルドの差し金か。テレジア様の指導も、末端の連中までは届いていなかったらしい。
「フローラ、俺の後ろに」
俺はフローラをかばうように一歩前に出る。医者だった俺に、喧嘩の経験などほとんどない。だが、愛する人を守るためなら、この身を盾にする覚悟はできていた。
多勢に無勢。じりじりと距離を詰めてくるチンピラたちに、俺は覚悟を決めた。その時だった。
「そこまでにしておけ」
凛とした声が、路地裏に響き渡った。声の主は、騎士の鎧をまとった一人の男。先日、モンスター氾濫の際に共闘した、治癒術師にして聖騎士のカインツだった。
「ちっ、騎士様のお出ましだ。ずらかるぞ!」
チンピラたちはカインツの姿を見るなり、悪態をつきながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「助かりました、カインツ殿」
「気にするな。それより、無事か?」
カインツは俺たちを一瞥すると、やれやれといった風にため息をついた。
「お前の診療所の噂は聞いている。特に治癒術師ギルドは、プライドが高い連中の集まりだ。あまり、事を荒立てるな。……忠告だ」
彼はそれだけ言うと、俺に背を向けて去っていった。去り際に「……錬金術師ギルドにも気をつけるといい」と、独り言のような忠告を残して。彼の言葉は、味方としての激励というよりは、厄介事に関わりたくないという響きを帯びていた。……もう少し、こう、爽やかな去り際とかないのか、聖騎士様よ、と俺は心の中でツッコミを入れた。
フローラの震える手を、俺は強く握りしめた。ギルドの圧力は、こんなにも陰湿で、根深い。テレジア様の後ろ盾だけでは、仲間たちを守り抜くことはできないかもしれない。
この状況を、根本から打開しなければならない。
フローラへのプレゼントである髪飾りが、夕陽を浴びてきらりと光る。このささやかな幸せを守るためにも、俺はもっと強く、賢くならなければならない。俺は、グライフブルクの空を睨みつけ、改めて固く決意するのだった。
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今回は束の間の休息、フローラとのデート回でした。しかし、そう甘くはないのがこの世界。新たな火種、そしてカインツとの再会が、ケンタに次なる決意を促します。
二人の恋の行方、そしてギルドとの対立はどうなるのか?
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