エピソード12 ポーションと魔法の限界
戦場の喧騒が、耳をつんざく。剣と剣がぶつかる音、モンスターの咆哮、そして負傷者のうめき声が、あたりに響き渡っていた。空は土煙と血の匂いで淀み、遠くに見えるはずの森の緑も、今は灰色に霞んでいる。その混沌の中心から離れた場所、健太とフローラは、後方でひたすらに負傷者の手当てに追われていた。彼らの顔には、疲労と緊張の色が浮かんでいた。
「ケンタ様、このポーションってすごいですね! 傷がみるみるうちに塞がっていきます!」
隣で止血帯を巻いていたフローラが、興奮気味に叫んだ。彼女の顔には、疲労と同時に、この奇跡の薬に対する純粋な驚きが浮かんでいた。その瞳は、希望に満ちていた。
「ああ、確かに驚異的な回復力だ。これがあればしのげるかもしれない。だけど、フローラ、ポーションにもどうやら限界はあるみたいだよ。」健太は、深くえぐられた兵士の腕にポーションを振りかけながら答えた。
「限界って?」フローラが首を傾げる。
「ポーションは傷を癒し、体力を回復させる。だが、それはあくまで損傷した組織自身を治癒しているにすぎない。すでに失われた手足を元通りにすることもできない。皮膚が割けた状態でポーションをつかったら、その部分はケロイドのようになるし、骨折したままポーションをかけてしまったら、おれたまま治癒して偽関節になると思う。しっかりと縫合し、整復してから使うべきだ。そして、ここを見てみて、傷口からの出血は止められても、体外に出た血痕はそのままだ。そして、ここ、皮下血腫が治らないのは、つまり出血した血腫は除去できないってことだろうね。おそらく、硬膜外血腫にポーションを使っても、血腫自体が除去されることはないだろう。」
硬膜外血腫とは、脳の外側にある膜(硬膜)と脳の内側にある膜(硬膜)の間に血を溜めた状態のことだ。多くは頭部外傷によって中硬膜動脈が損傷することによって発生する。受傷直後は症状が軽度でも、しだいに動脈性出血が硬膜下にたまり、脳を圧排して重大な後遺症、ひいては命を奪う怖い外傷だ。脳外科領域では、一刻を争う治療である。脳が損傷される前に血腫を除去できたら、後遺症は避けられる。
健太は、現代医療の知識を持つ脳外科医として、ポーションの特徴と限界を理解しつつあった。ポーションは止血や応急処置には有用だが、縫合や整復、血腫による圧迫を除去するには外科処置が不可欠だ。しかし、この世界には、メスも麻酔も、そして清潔な手術室もない。
(ポーションは万能じゃない。だけど、現代医療としては夢のような効果だ。多くの医者はいらなくなるかもしれないレベルだ。なにしろ、ポーションをつかったら、縫合して抜糸するまで、数分だ。)健太は心の中で呟いた。
おっと、余計な事を考えている場合ではない。今は戦いに集中しよう。
(外傷患者は後方で治療して、時間がない場合はポーションで応急処置する。後方では簡易処置をしてポーション。治癒したら再度、前線に戻ってもらう。とりあえずこの治療戦略を前線にお願いしてみよう。)健太は頭の中で治療戦略を組み立てた。幸い、まだまだポーションの残りはあるし、これから補充される手筈になっている。健太は札束を叩いて購入したポーションを遠慮なく使い、前線を支援することにした。彼の目的は、一人でも多くの命を救うことだった。
一方、治癒術師カインツもまた、自身の魔法の限界に直面していた。彼の周囲には、次々と運ばれてくる負傷者が横たわっている。
「くそっ、これでは間に合わない!」カインツは焦りの表情を浮かべた。
「モンスターの数が多すぎる。次々と現れる負傷者に対し、私の魔力では限界が……!」カインツは歯噛みした。
彼の治癒魔法は、ポーションよりも広範囲に、より深い傷を癒すことができた。体内の血腫も綺麗に除去できる。しかも、十分に時間と魔力を費やせば、骨折も、失われた手足を再生させることも可能だ。だが、残念ながら、失われた命と、脳の損傷は治癒できない。そして、ここに治療術師はカインツしかおらず、彼の魔力は有限だ。圧倒的な物量の前には、無力だった。
戦況は、刻一刻と悪化していた。辺境伯の軍隊は奮戦しているものの、モンスターの波は止まることを知らない。負傷者の数は増え続け、カインツだけでは、とても対処しきれる状況ではなかった。
だが、カインツはしだいに負傷者が減っていることに気づく。後方に送られた患者が、すぐに戻ってきているようだ。どうやら、高価なポーションを惜しみなく提供している者がいるらしい。カインツはポーションが好きではない。高いくせに、傷跡はなおらないし、骨折に使うとひどいことになる。だが、このときばかりは正直助かっていた。しばらく私も後方にいって、魔力回復に努めようと考えていた。
その時、遠くから新たなモンスターの咆哮が響き渡った。それは、これまでで最も大きく、そしておぞましい響きだった。健太は顔を上げ、その方向を見た。地平線の向こうから、巨大な影が迫りつつあるのが見えた。それは、この戦いの最大の脅威となるだろう。
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