公爵様からの指名
「私は、竜医師として働ければそれでいいのよ」
なげやりにつぶやくと、そんな私を非難するようにお父様の言葉が脳裏によみがえった。
『今すぐウィル卿の元へ戻って、補助竜医師としてリスティーの役に立ってきたらどうだ?』
竜医師として暮らしたいなら、あの家に残ることもできた。そうすれば、エアルと離れ離れになることもなかった。
ズキンッと胸を貫くような痛みが走って、何度も浅い呼吸を繰り返す。
「全部、私のわがままが招いた結果だわ……」
私はあのふたりの傍にいたくなかったから、ただ逃げ出しただけ。エアルと離れ離れになったのは、私がわがままだったから。
走ってもいないのに息切れがして、意識が遠のきそうになる。その時、トントンと控えめなノック音が響いた。
一拍遅れて、私は慌てて返事をする。
「は、はい!」
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
扉越しのメイドの声は、どこかあせっているようにも聞こえた。
(何かあったのかしら?)
私は胸騒ぎを覚えながら、お父様の執務室に向かった。
◇◇◇
夕方の六時を示す鐘が鳴っている。
お父様の執務室の扉をノックして中に入ると、ひとつのソファーに一緒に並んで座っているお父様とお母様の姿があった。
私が部屋に入っても、ふたりは難しい顔をしてテーブルの上を見つめている。視線の先には、折りたたまれた羊皮紙があった。
封蝋は砕いてあるけど、この様子だと中は確認していないらしい。
「あの、お父様……」
「アウデンティア公国領主、アルトリーゼ公爵から手紙が届いた」
「え!?」
お父様は手紙を凝視したまま、私にそう言った。
(アルトリーゼ公爵から?)
手紙の内容は恐らく、元婚約者であるリスティーに関係する話なのだろう。当然、両親も同じことを考えているらしく、ふたりの顔色は悪い。
お父様は顔中に汗をかいていた。懐から取り出したハンカチで顔をなで回しながら、苦しげな声でつぶやく。
「アルトリーゼ公爵は、我々への報復をお考えだろうか……」
「まさか! ウタヒメは、力を解放した竜の所有者と結婚するのが常識でしょう!? リスティーも私たちも悪くないわ! 教会がそう言ったもの!」
「そ、そうだよな? あの子も私たちも、何も悪くない。すべては運命の悪戯としか言いようがない。報復など、逆恨みにも程がある!」
「そうよ、しっかりしてちょうだい! きっと、竜の購入の話に決まっているわ!」
母は言い聞かせるように笑っていたが、その顔は恐怖に青ざめている。
アルトリーゼ公爵は、敵と認めた者には一切の容赦をしないと聞いたことがある。
報復となれば、私もただでは済まないかもしれない。にぎった手の指先が、氷のように冷たくなっていた。
しばらく沈黙が降りて、お父様は意を決して羊皮紙を開いた。
お父様は不安そうに手紙を読んでいた。次第にその顔から血の気が引いていく。
「アルトリーゼ家の、竜の診察依頼だ……」
「そ、そんなの罠に決まっているわ!」
「おい、待て! 名前が書いてある! ええと、竜の診察を……フィルナ・キントバージェ様にお願いしたいぃ?」
お父様はぎょろりと目を見開いて私を見上げた。
アルトリーゼ公爵からの突然の指名に、私は息を飲んだ。
◇◇◇
雲間の隙間から覗いた黄金色の日差しが、冷たい風に冷え切った私の身体をぽかぽかと温めてくれる。
遠くに、七色に輝く大きな虹が見えた。
天と地を結ぶこの神秘的な橋は、女神イーリスが空を七色に染めて造ったものだと言われている。
その橋を使って数多くの竜が降りてきた。それが竜と人間の出会いだった。
私は水属性の竜の背中に乗って、その幻想的な光景をぼんやりと眺めていた。
アルトリーゼ公爵の手紙で、私が竜医師として指名されたと知ったお父様とお母様は、それまでの絶望的な様子から打って変わって、嬉々として私を送り出した。
両親にとって私は、アルトリーゼ家に捧げられた生贄に他ならない。
リスティーの婚約破棄の責任をとって、私は殺されてしまうのかもしれない。
ぶるりと震え上がったのは、風の冷たさのせいではない。
「ほ、本当に、竜の診察依頼かもしれないし!」
私は自分にそう言い聞かせて、広大な平原に突如現れた国、アウデンティア公国に視線を向けた。手綱を操り、アウデンティアに降りるように誘導する。
地図にあった発着場を探している間、私は手紙の主であるヘリアス様の情報を思い出していた。
貴族の娘たちを虜にした見目麗しき竜騎士。
しかし、彼の経歴を耳にした令嬢たちは、その淡い想いを恐怖に塗り替える。
五年前の第三王子の反乱。当時十七歳だった彼は、王命により反乱軍を討伐し、王子を討ち取った。
そして、反乱軍に加担した実の父親を、その手で躊躇いなく討ち取り、王への忠義を示したことで、王の剣と呼ばれるようになった。
ヘリアス様は、たとえ相手が親であろうとも、裏切り者には容赦しない忠義の竜騎士であり、力尽くですべてをねじ伏せる苛烈な竜の化身のような存在だった。
(やっぱり殺されるかも……)
不安で息が詰まりそうになりながら、私は竜騎士たちが集まる発着場に到着した。