両親の奴隷
キントバージェ家の竜舎には現在、風属性の上級竜三頭、水属性の中級竜四頭、地属性の下級竜四頭を飼育している。
ウィル様と離婚して実家に戻った私は、お母様の指示に従い、竜の世話だけではなく、客人や外部商人への対応などを行っていた。
昼食の時間になっても休む暇はない。硬いパンを、ハーブをきかせたシチューで流しこみ、私は急いで書類を持ってお母様の元へ向かった。
居間のソファーでくつろいでいたお母様は、私を見て眉を顰めたけど、私の手ににぎられている書類を見て、「早く見せなさい!」とひったくった。
書類を見るお母様の目の動きに、私は身体を強張らせた。
しばらくして、お母様は書類をテーブルに置いて言った。
「遅い」
「申し訳ありません」
私は反射的に謝罪する。
これでも早い方だけど、一つ言い訳をすれば十で返ってくるから、逆らわない方がいい。
お母様は疲れたように目を擦りながら、書類を指で叩いた。
「問題点とか、こんな細かいところまで書かないでちょうだいよ。目が疲れるでしょう」
「ですが、それは病気を発見する際にとても重要で――」
バシンッと頬に強い衝撃と痛みが走った。一瞬意識が遠くなる。
私の頬を打った書類が、バサバサと毛足の長い絨毯の上に散らばった。
じんじんと痛む頬に触れると、指先に血がついた。紙で切ったらしい。
お母様はリスティーと同じ金髪を指でいじりながら、青い瞳で鋭く私をにらんだ。
「口答えしないで。あなたって本当に要領が悪くて馬鹿な子ね。問題点を見つけたならさっさと解決しなさい。それから報告するのが常識でしょう? まったく、少しはリスティーを見習いなさいな。あの子は私に似て本当に優秀な竜医師なのに、あなたは本当に……」
「はい、申し訳ありません」
私はそれ以上怒りを買わないように、素早く書類を拾ってテーブルの上に置いた。私をぶって気が晴れたのが、お母様はそれ以上折檻するつもりはなさそうだった。
「今度リスティーに書類の書き方でも教えてもらいなさい」
「はい、そうします」
私はうつむきながら、うなずいた。
リスティーの書類は、全部私が代わりに作成していたのだけど、お母様はそのことを知らない。
じっと退室の許可を待っていると、再びお母様の機嫌が急降下していくのがわかった。
「本当に可愛くない子だわ。そんな陰気な顔をしているから、ウィル卿に愛想を尽かされたのよ。離縁されたのはお前の責任よ? わかっているの?」
「はい」
「本当にお前は親不孝者だわ! ここに竜医師として置いてやっているのは私たちの慈悲よ、もっと感謝なさい!」
「はい、感謝しています」
何の抑揚もない硬質な声が、私の喉から吐き出される。
顔を真っ赤にして興奮しているお母様には、私がどんな表情をしているかなんて関係ない。ただ、暴言を受け止める人形として、そこに立っていれば満足してくれる。
(お願い、早く終わって……)
ぎゅっと目を閉じて耐えていると、背後から足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには高価そうな服を身にまとったお父様が、私を見て鬱陶しそうな顔をした。
「お前、今すぐウィル卿の元へ戻って、補助竜医師としてリスティーの役に立ってきたらどうだ?」
「ええ、そうよ! それがいいわ!」
名案だと言わんばかりに、お母様は同意した。おぞましい提案に、私はぞっと身震いした。
「リスティーはこれから女主人として忙しくなるんだから、姉であるあなたが献身的に支えないでどうするのよ!」
無理だ、そんなこと。胃液が逆流してくるのを、つばを飲みこむことで必死に耐えた。
私が首を縦に振らないので、お母様は癇癪を起したように叫んだ。
「この役立たず! 親不孝者! お前の醜い顔を見ていたら気分が悪くなる! それに竜臭いのよ! だから捨てられたの! 早く出ていけ!」
「申し訳ありません」
ようやく退室の許可が出た。私はもう一言だって聞いていられなくて、足早に自分の部屋に逃げこんだ。
ふらふらとベッドに近づくと、足から力が抜けて、床に膝立ちになる。もう乗り上げる気力もなかったので、そのままベッドの上に上体だけを倒した。
もうお母様の声は聞こえないはずなのに、いつまでもあの罵声が耳奥でこだましている。
「私のせいなの?」
ベッドのシーツに右頬を押しつけて、私は掠れた声でつぶやいた。
私は貴族の娘でありながら、その義務を果たせなかった。お母様とお父様の怒りは当然なのかもしれない。
それに、私は美しい妹と比べて醜いし、竜医師としてもまだまだ未熟だ。
それでも、納得できない何かが胸に引っかかり、それが私をさらに苦しめた。
「全部、私が悪かったの? 私に可愛げがあれば、リスティーのように美人だったら、こんなことにはならなかったのかな? ねぇ、エアル……」
あまりの心細さに涙があふれて、ぽつぽつとシーツに丸い染みをつくる。
近頃は競技場などで社交の行事が開催され、いくつか誘いを受けたけれど、私の了解を得る前にお母様がすべて断ってしまった。
(そもそも、出かけられるような気分でもないけれど……)
ウィル様がリスティーを選んだその瞬間から、私は以前にも増して、己の容姿に対して自信を失ってしまった。
妹の前では、私は道端の石そのもの。無価値な物。
社交場でも、「キントバージェの姉の方か」と密かに落胆されていたことも知っている。
こんな状態で、同じような言葉を浴びせられてしまったら? 私はあまりの恐ろしさに震え上がった。
恋なんて二度としない。馬鹿にされて屈辱を受けるのも、もうたくさんだった。




