恋しいと言えば
「フィルナ、眠ったか?」
「ヘリアス様!?」
扉の向こうから聞こえてきた声に、私は弾かれるようにして立ち上がり、急いで扉を開いた。
そこには、正装姿のヘリアス様が立っていた。今までずっと客人の相手をしていたのだろう。
彼は私の顔を見て、ほっとしたような顔をした。
「ヘリアス様、どうしてここに……」
「あなたの部屋の窓から明かりが見えたからな。今日はすまなかった。それに雨が降って、予定もなくなってしまった」
「そんな、謝らないでください。それに、素敵なお手紙をいただきましたもの」
先ほど貰ったばかりのメッセージカードを顔の前に出すと、ヘリアス様は少し目を見開いて、はにかんで笑った。
「フィルナ」
「はい」
「雨は止んだが、竜をこちらの都合で起こすわけにはいかない。だから、竜は乗れないが……」
ヘリアス様が、私の右手をとる。
「これから少しだけ、デートをしないか?」
その目が寂しそうに私を見つめるので、胸の奥がきゅうっと甘く締めつけられた。
断られると思っているのかもしれない。そんなこと、絶対にないのに。
私はぎゅっとヘリアス様の手をにぎり返して言った。
「はい! デートをしましょう!」
私の返事に安堵したのか、ヘリアス様の顔に笑みが戻る。
私は部屋に戻り、椅子にかけていた例のマントに手を伸ばした。
(フェリシア、ありがとう)
心の中でお礼を言って、私はヘリアス様と一緒に部屋を出た。
ヘリアス様と手をつないで廊下を歩く。ただそれだけのことなのに、目に映る世界がいつもより鮮やかに感じる。
城内にあるいつもの夜光石が、無数の星のように輝いて見えた。
◇◇◇
ヘリアス様に連れてこられた場所は、円筒状の防衛塔だった。
普段は竜騎士が警備をしている場所だけど、あらかじめ話を通してあったのか、私たち以外の気配はない。
私たちはらせん階段をゆっくりと上った。壁についた夜光石が塔内を淡く照らしている。
「私、防衛塔に入るのは初めてです。中はこんな構造になっているのですね」
「普段は竜騎士以外利用しない場所だからな。フィルナ、窓の外を見てみるといい」
ヘリアス様は、すぐ目の前にある窓を指差した。
こういった防衛塔には射撃用の小さな窓があるけど、ヘリアス様が指差した窓は、部屋にある窓と同じくらいの大きさだった。
「ここから竜の背中に飛び乗ることも可能だ」
「なるほど! だからこの大きさの窓がいくつも設置されているのですね」
「敵に侵入されることも想定して、偽物の窓もある。これは本物だが」
ヘリアス様が説明をしながら窓を開いた。窓の向こうには、満天の星空が広がっていて、アウデンティア公国が一望できた。
「すごい……!」
思わず感嘆の声が漏れる。
雨上がりの空は澄み切っていて、ぽつぽつと明かりが輝く城下町や、その向こうに広がる緑の平原までくっきりと鮮やかに見えた。
「こんな素敵な夜景を見られる場所があるなんて……」
「気に入ってもらえたか?」
「もちろんです! ありがとうございます、ヘリアス様」
「あなたに気に入ってもらえてよかった。竜に乗った時とは、見え方が違うだろう?」
「ええ、全然違って見えます」
竜の背に乗った時は、幻想的な世界を冒険している気分になれるけど、窓から見る世界は、切り抜かれた美しい絵画を見ている気分だった。
その美しい光景を、好きな人と一緒に見られるなんて、恋愛小説のようにロマンチックだ。
ちらっと右隣に並ぶヘリアス様に視線を向けると、彼もまた私を見つめていて、ぱちりと目が合った。その瞬間、ヘリアス様が口を開いた。
「好きだ」
「え!?」
突然の告白に驚いた私は、数秒遅れて、それに応えた。
「わ……私も好きです!」
「嬉しい」
ヘリアス様は満足げに、ふわりと顔を綻ばせた。ヘリアス様の笑顔は、いつもよりちょっと幼く見えて可愛らしい。
「驚かせてしまってすまない。しかしどうしても今、伝えたかったのだ。最初にメッセージカードで好意を伝えてくれたのはあなただ。だから私も、形に残る何かで好意を伝えたいと思ったのだが……」
「結局、直接言ってしまった」と、ヘリアス様は難しい顔をした。
ヘリアス様はきっと、今夜のデートの代案や、メッセージカードのように、好意を形にする方法をずっと考えていてくださったのだろう。
それだけで私は、胸がいっぱいだった。
(私も、正直に伝えたい)
伝える努力をしなきゃ。私は夜空を見つめながら、ぽつりと言った。
「デートがなくなって、ヘリアス様と会えなくて、ちょっと寂しかったです」
隣から、息を飲む気配が伝わってくる。
困らせたいわけでも、不満を伝えたいわけでもない。気が急いて、私は早口で言った。
「デートができなくて寂しいと思うくらい、ずっとヘリアス様のことを考えていました。私もそれくらい、あなたのことが――」
言い終わる前に、強い力で抱き寄せられて、唇が重なった。
柔らかくて、少しだけ冷たい。でも重なったところから、じわりと熱くなるのが心地良い。
そっと唇が離れる。夜空の星の輝きを宿した瞳は、焦燥にも似た感情で揺れている。
濡れた唇が夜風でひやりとして、何だか切ない気持ちになった。
「フィルナ」
ヘリアス様の目元が赤く染まっている。唇も赤く濡れていて、目が離せない。
心臓が激しく鼓動する。
「あなたが言ったんだ。寂しいのだと」
「はい……」
「そんな切なげに言われては……」
ヘリアス様が、何かを抑えるように息を吐いた。濡れた吐息が色っぽい。
私は期待するように、ヘリアス様を見上げた。
「また、恋しいと言えば……」
キスしてくれますか? その問いかけは、熱い唇に奪われた。




