花芽ぐむキルシュヴァッサー24
その後、私は竜医師としての見解を述べてから、キルシュヴァッサーの治療室に戻った。
ティムさんの遺体を見てから、あれから三時間ほど経っている。
キルシュヴァッサーはすでに眠っていて、心地良さそうな寝息を立てていた。
その寝顔を微笑ましく思いながらも、セイレニア教のスパイの件が頭から離れなかった。
もしかしたら、スパイがキルシュヴァッサーを狙っているかもしれない……そう思うと落ち着かなかった。
(それにエアルのことだって心配だわ)
あの子に何かあったら、とても冷静でいられる自信はない。
そうなる前にスパイを見つけられるよう、私も協力は惜しまないつもりだった。
思考を切り替えるように息をついたその時、シーラが治療室に入ってきた。
「奥様、新情報です!」
キルシュヴァッサーが眠っていることに気づいたシーラは、慌てて口を押さえた。
「す、すみません。お休み中でしたね」
「大丈夫よ。新情報って、ティムさんの件のこと?」
「そうなんです……!」
シーラは興奮を抑えきれない様子で言った。
「拘置室の警備兵のことなんですが、犯行時刻に居眠りをしてしまっていたそうです。それも二、三時間くらい寝ていたそうですよ!」
「居眠りを?」
「はい! それを知られたら怒られると思って、今朝まで黙っていたそうです。さっき調査官たちからものすごく怒られていたのを目撃しちゃいました。怒られたくない気持ちはわかりますけど、黙ったままでは困ります!」
「そうね。でも、居眠りは偶然じゃないかもしれない。眠らされた可能性があるわ」
「警備兵を眠らせた隙に犯行に及んだ、ということですか。とても計画的ですね」
そこでシーラは何かをひらめいたように、ぴんと人差し指を立てた。
「つまりこういうことですね! 警備兵を眠らせた犯人は、ティムさんが拘束されている部屋に向かい、彼を脅して遺書を書かせた!」
「うーん……計画的な犯人のことだから、遺書もあらかじめ用意していたかもしれないわね」
「え? どうしてですか?」
私の脳裏に、ティムさんの背中に刻まれていた紋章が思い浮かんだ。
「背中の紋章の大きさからして、彫るのに二時間はかかったはずよ。以前見たセイレニア教の紋章はもっと大きかったから、最短で彫るにはあの大きさが限界だったのかもしれない」
「二時間……早く彫っても、結構かかるんですね」
「ええ。正直、警備兵に睡眠薬を飲ませたとしても、後から来た警備兵に見つかってもおかしくないし、長時間拘置室に留まることは避けたかったはずよ。遺書を書かせる手間もあるし、最初から用意していたのかもしれない」
「フィルナ様のおっしゃる通りだと思います」
私たちの会話にフロリアンさんが入ってきた。
ティムさんの件もあって、その顔には濃い疲労の色が浮かんでいた。
「脅されて書いたにしては、文字が整いすぎている。彼の性格上、脅されながらここまで冷静に書けるとは思えません」
そう言って、彼はティムさんの遺書を私たちに見せた。
シーラはまじまじと文字を見つめて、「本当ですね!」とうなずいた。
「あと、死因が判明しました。検視の結果、ティムはお酒を飲んでいて、その中に毒が入っていたそうです」
「お酒ですか。犯人が渡したのですね」
「そのようです」
検視結果を聞いて、シーラが納得できないといった顔をした。
「どう考えたって怪しいのに、どうして素直に飲むんですか? 私なら飲みませんけど」
「そりゃあ、銃で脅されたから、とか?」
フロリアンさんが自信なさげに答えた。
私は、銃で脅されているティムさんの様子を思い浮かべて、首を横に振った。
「銃を撃つとなると音が響きますし、警備兵にも気づかれて、自害に見せかけることができません。それに、身体が完全に拘束されている状態ならまだしも、銃で脅しながらすぐに毒を飲ませるというのは、かなり難しいかもしれません」
「たしかに、銃を向けられたとしても、お酒に何か入っているとわかった状態ですぐ飲めるかと言われたら……無理かもしれません」
フロリアンさんが、ゾッとしたように顔を強張らせた。
「となると、お酒を渡しても怪しまれない相手……つまり、犯人はティムさんと仲がいい相手ということですね」
「え!?」
シーラがぎょっと目を見開いて、フロリアンさんを見た。
フロリアンさんは慌てて首を横に振った。
「わ、私ではありませんよ!? そもそもそんなに仲良くありませんし! そりゃ、彼には思うところがありましたが、殺したいとまでは……っ!」
「ふむ。動機あり、か」
「ないですよ! 納得しないでもらえますか!?」
「嫌ですね、冗談ですよー!」
あはは、とシーラが笑う。
疑われたフロリアンさんは怒っていたけれど、暗い話が多い中、彼女のこの明るさには心が和んだ。
その時ふと、どこからか覚えのあるにおいがしてきて、周囲を見回す。
(気のせいかしら……)
そのにおいは、フロリアンさんから漂ってきた気がした。
「フロリアンさん。何か、強いにおいのついたものを持っていますか?」
「え? いえ、特にないと思いますが……」
「そうですか……。あ、その遺書、少し貸してもらえませんか?」
「構いませんよ」
私は遺書を受け取り、顔に近づけた。
やっぱり、このにおいだ。
「フロリアンさん。ティムさんは、セイレニア教の調査を行っていましたか?」
「いえ、彼は貴族の間で取引されている、違法薬物の調査を担当していました」
「奥様、もしかして、またまた何か発見しましたか!?」
シーラが期待するように、目をキラキラと輝かせた。
私は苦笑しながら、再び遺書に視線を戻した。
「発見と言えるものではないけれど」
「ぜひ教えてください! 奥様の発想力が犯人特定の鍵です!」
「大袈裟だけど、ありがとう。そうね……この遺書から、魔物のにおいがするの」
「ま、魔物って」
「ラドロンよ」
シーラとフロリアンさんが目を丸くする。
私の頭には、とある女性の姿が浮かんだ。
次回更新は3/31です。




