花芽ぐむキルシュヴァッサー14
会議を終えて廊下に出ると、「フロリアンくん」と同じ幹部の竜医師の男に呼び止められた。
「キルシュヴァッサー、目を開けたんだってね」
「はい。三年ぶりに」
「普通は無理な話だよ。植物状態の竜が回復するなんてね。フロリアンくんとウルリッヒ団長が、教会からの安楽死の提案に抵抗しつづけた甲斐があったんじゃないかな」
「果たしてそれは幸福なんですかね?」
上級調査官の同僚、ティムが横槍を入れた。
彼は私が迷惑そうな顔をするのも構わず、こちらに近づいてきた。
「ティム、それはどういう意味だ」
「延命は竜を苦しめるだけだよ。実際、意識は戻っていないんだろう?」
彼は非難するような目で私を見る。
その隣に寄り添うように、幹部になったばかりの金髪の女性――ラウラが悲しげな顔をしてうなずいた。
「まあ、結果が出なければ、フィルナ様もきみも諦めがつくだろうね。せいぜい頑張ってくれたまえよ」
「……っ!」
ティムはぽんと私の肩を軽く叩いて、ラウラとともに廊下の向こうへ消えていった。
悔しくて、思わず唇を噛んだ。
(わかっている。この男だけじゃない。幹部たちのほとんどは、キルシュが絶対に目覚めないと思っている)
怒りと悔しさをこらえ、呼吸を整える。
顔を上げると、会議に参加していたシャーロット先生が「お先です」と通り過ぎていった。
普段からあまり表情が変わらない印象だったが、その横顔に笑みが浮かんでいるのを見て、少し意外に思った。
(あんな風に笑う子だっただろうか?)
彼女の後につづいて竜舎に向かう。
すると、キルシュの治療室へと向かうフィルナ様の姿が見えた。
その隣には、彼女の侍女であるシーラ殿がいた。
「あ! フィルナ様!」
シャーロット先生は顔を輝かせて、フィルナ様のもとへ駆け寄った。
「シャーロット先生。会議が終わったんですね」
「はい。フィルナ様は、これからキルシュヴァッサーの治療ですよね? お手伝いします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
すると、近くにいた補助竜医師たちも「私たちにも何かお手伝いできることはありませんか?」と、フィルナ様の周りに集まってきた。
フィルナ様が嬉しそうに答えると、補助竜医師たちにも笑顔が広がった。
(彼女が来てから、竜舎が明るくなった気がする……)
何事にも一生懸命なフィルナ様の影響を受けて、あのシャーロット先生も補助竜医師たちも変化しつつあるようだ。
(今日はどのような治療をしているんだ?)
治療室の扉を開いて中の様子をうかがうと、ぱちりとフィルナ様と目が合い、びくっと肩が跳ねてしまった。
「フロリアンさん? 中に入らないのですか?」
「あ、いえ、治療の邪魔になるといけないので」
「邪魔なんてことはありませんよ。そうだ、一緒に翼を動かしてみませんか?」
「え? は、はい」
ここで無視するわけにはいかない。
私が治療室に入ると、フィルナ様はキルシュの桃色の翼をゆっくりと横に広げた。
反対側はシャーロット先生が広げている。
こうして見ると、本当にキルシュが空を飛んでいるように見えて、胸の奥が熱くなった。
「キルシュヴァッサーが空を飛んでいた時を思い出せるように、最初はゆっくりと上下に動かしてあげましょう。フロリアンさんも、翼を持ってあげてください」
「わかりました」
ずしりとした翼の重みを感じながら、フィルナ様の号令に合わせてゆっくりと翼を上下に動かす。
気づいた時には、先ほどまで感じていた胸の重みがなくなっていた。
(そうか。フィルナ様たちは、幹部たちとは違ってキルシュが目覚めると信じているんだ)
フィルナ様は、穏やかな面持ちでキルシュの翼を見つめている。
彼女は次から次へと新しい行動を起こす。停滞を許さず、常に前を向いている人なのだと思った。
ふと、向かいにいるシーラ殿と目が合った。
彼女はにまーっと目を細めた。嫌な予感がする。
「あれぇ? フロリアンさん、もしかして笑ってますぅ?」
「はい? 気のせいじゃないですか」
意味もないのに片手で眼鏡をかけ直してしまう。
恥ずかしくて頬が熱くなった。
すると、反対側の翼を持っていたシャーロット先生が嬉しそうに微笑んで言った。
「わかりますよ。フロリアン上級調査官も、フィルナ様のことが大好きなんですよね!」
「は!?」
「ええー!?」
私の声に重なるように、シーラ殿が叫んだ。
彼女は眉を跳ね上げて言った。
「だめですよ! 奥様はヘリアス様のものなんですから!」
「ち、違います! 誤解というか! すごい人だとは思っていますが、そういう意味ではなく――」
「あせっているのが怪しいですね」
「怪しくないです! ヘリアス様に斬られるからやめてください!」
フィルナ様は「それはないと思いますが」と、くすりと笑った。
(この方は、わかっていないな)
あの王の剣の鋭い眼差しを思い出し、背筋が震える。
もし彼女に何かあれば、ヘリアス様は容赦なく私を斬り捨てるだろう。
シャーロット先生は慌てた様子で言った。
「ご、ごめんなさい。私、フィルナ様のことが大好きなので、同志ができて嬉しいなって……」
「同志」
「シャーロット先生、その気持ちわかりますよ! 私も奥様が大好きなので!」
「わあ! 同志ですね!」
シャーロット先生とシーラ殿はすっかり意気投合した様子で、キルシュを挟んで盛り上がっている。
とりあえず、誤解は解けたということでいいのだろうか。さり気なく、ほっと息をつく。
ふたりの様子を微笑ましく見つめていたフィルナ様が、こちらを見て申し訳なさそうに言った。
「うちの侍女がすみません」
「い、いえ……」
あんなにひどい態度をとったのに、普通に接してくれることに罪悪感を覚える。
いい機会だ。今までの失礼な態度を謝ろう。そう思った瞬間、フィルナ様が「あ、そういえば」と思い出したように言った。
「フロリアンさんに、キルシュヴァッサーの治療についてご提案があります」
この方は、また新しい治療法を思いついたのかと、内心で驚く。
私は期待をこめて訊ねる。
「提案とは、どのような?」
「はい。治療のため、ハイブリッド種の鱗を使用したいのです」
「なぜ、ハイブリッド種の鱗を?」
「野生の火の竜が、鱗を食べて病気を治すという話をご存じでしょうか。私は王家の竜舎で、似たようなことを目撃したことがあります」
フィルナ様の話では、鱗を食べると再生能力が促進されるらしい。ただし、自分の鱗では効果は現れない。他の竜のものであることが条件で、しかも同じ属性でなければ拒絶反応が出るという。
「同じハイブリッド種の鱗であれば、多少属性が異なっても拒絶反応は少ないと思います。調査団の方で保管している鱗があれば、使わせていただきたいのですが……」
私は保管室にある鱗の種類を思い浮かべて、首を横に振った。
「こちらでは保管していませんね。そもそも調査団が保護したハイブリッド種はキルシュだけですし、他の竜となると見つけるのはかなり難しいかと……」
「そうですよね」
フィルナ様は最初から私の返答を予想していたのか、特に落胆する様子はなかった。
彼女はキルシュの翼を優しくなでてから、再び口を開いた。
「フロリアンさん。協力してもらいたいことがあります」
「私は何をすればよろしいのですか?」
キルシュのために協力は惜しまないつもりだが、一体何を言われるのだろう。
少し緊張を覚えるが、それ以上に彼女に協力したいという気持ちの方が強い。フィルナ様には、そう思わせる不思議な力があった。
フィルナ様は真剣な眼差しで私を見つめた。
「メルキオールの相棒、ジン・グレンカイトさんとの面会の許可をいただけないでしょうか?」
次回更新は3/9です。




