花芽ぐむキルシュヴァッサー12
私はシャーロット先生を竜舎の休憩室に連れていった。
常備されているタオルで冷たくなった身体を拭き、温かいハーブティーを淹れる。
その頃には、シャーロット先生も少し落ち着きを取り戻し、「ありがとうございます」と申し訳なさそうに言った。
「私、フィルナ様に恥ずかしいところしか見せていませんね」
「そんなことはありませんよ。アルトリーゼ家に嫁いだばかりの頃の私を見たら、シャーロット先生の方がずっと優秀だとわかりますよ」
「な、何があったのですか……?」
シャーロット先生の困惑した顔を見て、私は逆にほっとした。
少しずつ、いつもの調子に戻ってきたように見えたから。
私の視線は、自然と彼女の胸元のブローチに向かった。
「そのブローチ、とても可愛いですね」
「ありがとうございます。これは、うちにいたトルマリという名の竜の鱗なんです」
シャーロット先生は口元に小さく笑みを浮かべて、ブローチに指を添えた。
「私が六歳の頃の話です。竜に慣れるために、トルマリの背中に乗って空を飛んでいました。ようやくひとりで乗れるようになったので、毎日のように乗っていました」
竜騎士や竜医師の家ではよくある光景だ。
五歳までは大人と一緒に乗ることが義務付けられているけれど、六歳からはひとりで乗れるようになる。
彼女は懐かしむように目を細めた。その瞳の奥には、深い悲しみがにじんでいた。
「その日もいつも通り、家の近くにある川の方へ向かっていました。そこを越えたらすぐに旋回して家に戻るというのが日課だったのです。そして、その大きな川を越えようとした時、トルマリの身体が突然揺らいで、川の中に墜落してしまったのです」
墜落と聞いて、私は息を飲んだ。
シャーロット先生は痛みをこらえるように、胸の前でぎゅっと拳をにぎった。
「私は運良く、近くを通りかかった商人に助けられました。でも、トルマリは――」
ふいに言葉が途切れた。
シャーロット先生は、まるで目の前に沈みゆくトルマリが見えているかのように目を見開き、涙を浮かべていた。
「あの子は翼を広げたまま、どんどん沈んでいって……っ!」
シャーロット先生は唇を噛みしめ、それ以上言葉をつづけることができなかった。
すすり泣く声を聞きながら、私はそっと目を閉じた。
脳裏に、沈んでいくトルマリに手を伸ばし、泣き叫ぶ幼いシャーロット先生の姿が浮かんだ気がした。
きっと、何度もトルマリに呼びかけながら、必死に大人たちに助けを求めたんだと思う。
トルマリを助けて、と。
私はまぶたを開いた。これ以上聞くのは酷かもしれない。
でも、トルマリの死の真相は知っておいた方がいいと思った。
「トルマリの死因は……?」
「心筋梗塞です。溺死ではなかったため、『トルマリを診察していた竜医師が、異変を見逃したのではないか』と疑われました。直前の健康診断も問題ないと判断されていましたから、お父様は『診察した竜医師の責任だ』と言って、調査団に調査依頼を……」
「調査団の報告は、何と?」
シャーロット先生はゆっくりと首を横に振った。
「竜医師の診察に問題はなかったそうです」
「そうでしたか……」
「だから、やっぱり私のせいなんです」
シャーロット先生は涙で声を詰まらせながらつづけた。
「みんな私のせいではないと言ってくれました。でも、私がトルマリを連れ出さなければ、あんなことにはならなかったのです。川の上に行かなければ、きっと助けられた! どれだけ苦しかったでしょう。冷たい水底に沈んで、どれだけ寂しかったでしょう……っ!」
こみ上げた感情で喉が塞がれたように、彼女の声が途切れた。
シャーロット先生の悔しさが、自分のことのように思えて息苦しくなる。
「私が竜医師になったのは、トルマリを助けられなかった罪悪感からなんです。あの子を救えなかった代わりに、苦しんでいる竜を救いたい。救えないのなら、あの時助かった意味なんてないんだって……。でも、その考えはそもそも間違いでした。トルマリを死なせた私に、竜医師をやる資格なんて――」
「それは違います」
私がすかさず否定すると、シャーロット先生は涙に濡れた顔を上げた。
「竜医師や調査団は溺死ではなく心筋梗塞であると報告し、竜医師の診察も適切だったと証明されています。トルマリは間違いなく、シャーロット先生や竜医師に大切にされてきたということです」
「大切に……」
シャーロット先生は唇を噛んだ。
自分はそうできなかった、と悔やんでいるのかもしれない。
「つらいことですが、どのような状況であろうとトルマリを助けるのは困難だと、誰もが判断したということです。だったら、トルマリが亡くなったのはシャーロット先生のせいではありません」
「でも……!」
「シャーロット先生。誰に何を言われようと、自分を責める気持ちはわかります。竜医師という立場からしても、『助けられない竜』がいることに、心が耐えられないこともあります。でも……そのことで、あなたが今でも苦しんでいると知ったら、トルマリが一番悲しむんじゃないでしょうか?」
「……っ!」
シャーロット先生は目をいっぱいに見開いた。こらえきれなかった涙が、頬を伝い落ちる。
正直、心筋梗塞となると何の前兆もない場合も多く、突然墜落した竜とともに竜騎士も死亡するという事故も報告されている。
たとえその日、トルマリが屋敷にいたままだったとしても、蘇生できた可能性は低いと判断されたはず。
「ごめんね、トルマリ……」
シャーロット先生は、トルマリの温もりを求めるようにブローチに触れて、涙をこぼした。
しばらく沈黙が流れ、シャーロット先生が口を開いた。
「フィルナ様は、怖くありませんか? 目の前の竜を救えなかったらどうしようって、自信を失うことは……」
「怖いですよ。多分、竜医師はみんな怖いと思いながら接しているはずです。でもそれと同じくらい、助けたいと思っていますよ。心が折れそうになる時もありますが」
「フィルナ様でも、そんな時があるんですか?」
「もちろんですよ」
「そんな時は、どうしているんですか?」
「とっておきの方法があります。一緒に来てください」
私はシャーロット先生の手を取って、キルシュヴァッサーのいる治療室を訪れた。
キルシュヴァッサーを驚かせないように、夜光石の明かりは最小限にする。
私は、戸惑って視線をさまよわせるシャーロット先生の手を引いた。
キルシュヴァッサーの呼吸で波打つお腹に、シャーロット先生の手をそっと当てる。
「わかりますか? シャーロット先生が一生懸命に繋いできた命です」
「私が……」
「この瞬間も、キルシュヴァッサーは頑張っています。生きようとしています。そんな竜の命を感じるたびに、私も負けていられないって思うのです。何もかも放り出したくなっても、ここで頑張ろうって」
シャーロット先生の細い指が、キルシュヴァッサーの鱗をひとつひとつなでていく。
「シャーロット先生。名前を呼んであげてください」
「え?」
不安そうにこちらを見るので、私は「大丈夫」とうなずいた。
シャーロット先生は緊張しているのか、一度深呼吸をした。
「……キルシュヴァッサー」
キルシュヴァッサーのまぶたがぱっと開き、シャーロット先生は目を見張った。
もちろん、意識は戻っていない。でも、まるで「なぁに?」と返事をしてくれたように見えた。
私はふふっと小さく笑う。
「ただの反射かもしれません。それでも私は、私たちの声が届いていると、そう信じています」
「フィルナ様……」
シャーロット先生がぐすっと鼻をすすって、それから微笑んだ。
「そうですよね。キルシュヴァッサーも、一生懸命頑張ってる。また、飛びたいよね」
シャーロット先生はキルシュヴァッサーの身体に触れながら、そっと目を閉じた。
「もし私が死んで、お空でトルマリが待っていてくれるのなら、やっぱりたくさん謝りたいです。助けてあげられなくてごめんね、苦しかったよねって。あなたはオプサリア家に来て幸せだった? って。でも、それを聞くのは今じゃないですよね」
まぶたを開く。潤んだ桃色の目には、決意の光が宿っていた。
「フィルナ様、私にも何かお手伝いできることはありませんか? 私も、キルシュヴァッサーが空を飛ぶところを見てみたいです」
「もちろんです! 一緒にキルシュヴァッサーを目覚めさせましょう」
「はい!」
シャーロット先生は吹っ切れたように、迷いなくうなずいた。
次回更新は3/5です。(プロット整理の時間をいただきます。早く更新再開できるよう頑張ります)
そして、竜医師フィルナ2巻が3/1発売になります。
いつも読んでくださっている読者様に、心から感謝申し上げます。
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