花芽ぐむキルシュヴァッサー8
「三年前のあの時のことは、忘れもしません。キルシュの腫瘍摘出手術をその竜医師が行ったのですが、キルシュの意識が戻ることはなく、そのまま植物状態になってしまったのです。彼が言うには、腫瘍のできた場所が悪く、その後遺症だと」
「後遺症? ウルリッヒ様は医療ミスだと……」
「ええ。医療ミスだとわかったのは、その一年後のことなんです。その竜医師は、そのことを私に隠していたんですよ」
「そんな……!」
怒りで声が震えた。医療ミスを一年も隠していたなんて、信じられなかった。
フロリアンさんは私の反応を見て、少しほっとしたような顔をしていた。
「私も最初は、その竜医師の言うことを馬鹿正直に信じていました。それに、彼は親切そうにこう言ったんです。『キルシュヴァッサーは、私が必ず治してみせる。その間の治療費や入院費は気にしなくていい』とね」
「治療費や入院費は、その竜医師が代わりに?」
「ええ。私の竜のために、ここまでしてくれる竜医師がいるのかと、当時は感激して涙を流したものです。それがすべて演技だなんて、疑いもしなかった」
フロリアンさんは自嘲気味に笑った。
「私の家はそれなりに裕福ではありましたが、さすがに莫大な治療費や入院費を払いつづけるには限界もありました。だから、彼の申し出は本当にありがたかったのです。それから一年後、調査団による抜き打ち調査が入って、すべてが明らかになりました」
フロリアンさんは手で目を覆った。当時の怒りを……その深い悲しみをこらえるように。
「……調査の結果、投薬ミスにより、キルシュは植物状態になったと判明しました。そしてその一年間、竜医師は治療を行わず、キルシュの鱗や血液を無断で売りさばいていたのです」
「……っ!」
怒りを通り越し、私は言葉を失った。
ハイブリッド種は希少なため、その鱗や角、血液などが高値で取引されていると聞いたことがある。
「医療ミスで植物状態になった竜を治療することなく、金儲けの道具に使うだなんて……!」
とても竜医師のやることだとは思えなかった。
それに、その一年の間に治療を始めていれば、今頃キルシュヴァッサーは回復していた可能性がある。
その竜医師の欲望を満たすためだけに、キルシュヴァッサーの大切な時間が奪われてしまった。
悔しくて、胃の奥から焼けつくような怒りがこみ上げた。
「その竜医師は……」
「捕まりましたよ。『珍しいハイブリッド種が手に入れば、誰だって同じことをする』と、そう言っていました。キルシュのことは、金を生む道具だとしか思えなかったそうです」
「そんなことのために」
「ええ、本当にくだらない。もっと早く治療していれば、この子は……」
フロリアンさんはこみ上げる怒りを抑えるように、小さく息をついた。
「その後、ウルリッヒ団長の申し出により、キルシュは調査団の預かりとなり、治療を行うことになりました。団長には本当に感謝しています」
フロリアンさんはキルシュヴァッサーの額に自分の額を押し当てて、目を閉じた。
「あの竜医師が憎い。けれど、そんなヤツにキルシュを任せてしまった自分が一番――」
そこで言葉は途切れた。
その姿はまるで、キルシュヴァッサーに懺悔するかのようだった。
◇◇◇
フロリアンさんの話を聞いてから、居ても立ってもいられなくなって、あれからずっとキルシュヴァッサーの治療法を考えていたら、いつの間にか朝になっていた。
(ヘリアス様に怒られる前に、仮眠をとらないと)
寝る時間すら惜しいとささやく心を落ち着かせて、私は補助竜医師たちが来るまで、少しだけ仮眠をとった。
そして、補助竜医師たちがやって来ると、彼らと一緒にキルシュヴァッサーの身体の下に敷いている藁を取り替え、身体を綺麗に磨いた。
昨日だって心をこめて丁寧に磨いたつもりだけど、フロリアンさんの話を聞いたあとでは、キルシュヴァッサーに触れる意味が少し変わっている気がする。
「気持ちいい? 痛くない?」
もちろん、声をかけることも忘れない。
そんなことを三日ほどつづけていると、藁の取り替えを手伝ってくれた補助竜医師たちが、こちらを見てささやき合っているのが見えた。
「フィルナ様、連日徹夜なんだって」
「うそ、本当に? 助けたいのはわかるけど、普通そこまでやる?」
「本当にすごい……」
そこで扉が開く音がして、補助竜医師たちが慌てて挨拶をした。
「シャーロット様、おはようございます!」
「おはようございます」
声のした方に視線を向けると、そそくさと部屋を出ていく補助竜医師たちの後ろ姿と、じっとこちらを見つめるシャーロット先生の姿が見えた。
「おはようございます、シャーロット先生」
「おはようございます」
彼女はこちらに近づくと、気まずそうな顔をして言った。
「あの」
「はい!」
私は笑顔で答えながらも、内心で「今日も何か言われてしまうのかな?」と、少しだけ緊張していた。
シャーロット先生は、なぜか視線をそらしながらつづけた。
「朝食、とらないんですか?」
「え? ああ、侍女に頼んでサンドイッチを――」
「昨日の話ですよね」
「あ、そうでした! あとで何か食べますね」
「食事のことも忘れるくらいに……」
シャーロット先生は小さくため息をついて、腕に提げていたバスケットをこちらに差し出した。
反射的にそれを受け取って、首を傾げる。
「これは?」
「……サンドイッチです」
「え?」
蓋を開けると、中にはサンドイッチがぎっしりと敷き詰められていた。
忘れていた食欲が刺激されて、くうっと小さくお腹が鳴った。
「美味しそうです! もしかして、食堂にあったサンドイッチを?」
「いえ、その……つ、作りすぎたので、持ってきました」
「シャーロット先生の手作りですか!? すごいです!」
シャーロット先生はかあっと頬を染めて、再び視線をそらした。
「全然すごくないです。貴族といってもほぼ平民なので、料理とかも自分で……って、そんなことはどうでもよくて、いらなかったらべつに食べなくても……口に合わないかもしれませんし」
「全部食べます!」
シャーロット先生の手作りのサンドイッチはとても美味しくて、何度もその感想を伝えると、彼女は「そ、そうですか? 普通だと思いますけど」と照れたように目を伏せた。




