花芽ぐむキルシュヴァッサー7
まずは、キルシュヴァッサーの身体を磨き、管を使って液状の食事を与え、身の回りの世話をした。
それを終えると、今度はキルシュヴァッサーを目覚めさせるための治療を行う。
私は柱状の透き通った緑色の鉱石を、キルシュヴァッサーの首の後ろに近づけた。
もう片方の手で短剣を抜き、その剣先で鉱石の表面を軽く突く。
すると、鉱石に赤い光が一瞬走った。
キルシュヴァッサーの反応を確認しながら、何度もそれを繰り返した。
「いつまでやっているんですか。もう夜ですよ」
その声にはっとして後ろを振り返ると、少し不機嫌そうな顔をしたシャーロット先生が立っていた。
私は短剣をそっと鞘に戻しながら訊ねた。
「シャーロット先生、いつの間にここに?」
「今来たところです。扉の音にも気づかなかったんですね」
「すみません、夢中になってしまって。声をかけてくださってありがとうございます。もう少しだけ確認してから戻ります」
あともう少しだけ、鉱石の効果を確かめたい。そう考えていると、シャーロット先生が口を開いた。
「色々試しているんですね。その緑色の鉱石は、トルマリンの一種ですか?」
「はい。雷の石と呼ばれているもので、軽く衝撃を与えたり熱したりすると、雷のような光と、ピリッとした軽い刺激が走るのです」
この鉱石を使った治療で、植物状態にあった竜が目覚めたという記録を見たことがある。
確実な方法ではないけれど、試してみる価値はあった。
シャーロット先生は目を細めて、苛立った口調で言った。
「私がやったことのない治療です。それに、お世話の仕方も変えるなんて……私のやり方がだめだったと、そう言いたいのですか?」
「そんなつもりはありません。何がキルシュヴァッサーにとって効果的なのか、すべて試したいと思っているだけで――」
「あなたも私を子供だと思って、馬鹿にしているんでしょう? 私だってキルシュヴァッサーのためにたくさん頑張ったのに……私が助けたいと思っていたのに!」
シャーロット先生は、ぎらぎらと怒りのこもった目で私をにらみつけた。
「私からキルシュヴァッサーを奪っておいて、もし死なせるようなことがあれば、絶対に許しませんから!」
シャーロット先生はそう言い放ち、部屋を飛び出していった。
彼女の怒りと悔しさに震える声が、耳の奥でこだましている。
(年齢のこともあって、大人から舐められることも多かったのかもしれない)
その積み重ねが、私のことをきっかけに、ついに爆発してしまったのだろう。
シャーロット先生を馬鹿にしているつもりはない。それでも、私は竜医師として行動するしかない。
(私だって、キルシュヴァッサーを死なせるつもりなんてないから)
私は鉱石での治療を終えると、毛布を持って再びキルシュヴァッサーのもとへ戻った。
「外は星が綺麗だよ。キルシュヴァッサーも夜空を飛んだことはある? 私はあるよ」
そう声をかけながら、キルシュヴァッサーのそばに座って毛布に包まった。
「エアルの背中に乗って飛んだこともあるし、ヘリアス様と一緒にドゥルキスに乗ってデートをしたこともあるの。あなたも、フロリアンさんと一緒に飛んでいたの?」
毛布に包まっていると、後ろから抱きしめてくれたヘリアス様の温もりを思い出す。
あの方に会いたい……。そっと目を閉じようとしたその時、扉の開く音がして、弾かれたように顔を上げた。
そこには、困惑した表情を浮かべるフロリアンさんがいた。
「な、何をしているのですか?」
「あ、えっと、キルシュヴァッサーのそばで寝ようと思いまして!」
「は……?」
「彼女のことを、もっと知りたいので」
そう答えると、フロリアンさんは目を見張った。
意識がないのに何を知ることができるのだと、そう思われたのかもしれない。
(そうだ! フロリアンさんに、キルシュヴァッサーのことを聞いてみようかな)
名案だと思ったけれど、そこではっと我に返る。
もしかしてフロリアンさんは、仕事終わりにキルシュヴァッサーに会いに来たのかもしれない。
私は慌てて立ち上がった。
「すみません! お邪魔でしたら出ていきますので……!」
また怒られる! と毛布で顔を隠しながら身構えていると、フロリアンさんが小さくため息をついた気配がした。
「いえ、べつにいいですよ。すぐに済みますから」
恐る恐る、毛布から顔を出す。
フロリアンさんは特に怒った様子もなく、ゆっくりとキルシュヴァッサーに近づいて、その場に片膝をついた。
彼は磨かれた角に手を伸ばし、ひとなでしてから、華やかな鱗をひとつひとつ丁寧になでた。
「やめてよ」と、くすぐったげに身じろぎするキルシュヴァッサーの姿が見えた気がしたけれど、現実では、まぶたひとつ動くことはなかった。
同じ光景を思い浮かべたのか、フロリアンさんは切なげに目を伏せた。
しばらくして、フロリアンさんは静かに口を開いた。
「キルシュは、野生の竜の群れから追い出された子竜だったんです。森の中で衰弱していたのを、父が拾ってきました」
「え? じゃあ、キルシュヴァッサーは野生のハイブリッド種なのですか?」
「ええ、そうなんです。見てください、下顎の方に水色の鱗があって綺麗でしょう」
「あ、本当ですね! 水属性の鱗がこんなところに」
キルシュヴァッサーのことを語るフロリアンさんの顔には、優しい笑みが浮かんでいた。
彼とこんな風に穏やかに話せるとは思っていなかったから、とても嬉しかった。
「しばらく外で暮らしていたせいか、最初から人間に育てられた竜と違って甘え方がわからなかったみたいで、仲良くなるまでに多少時間がかかりました。でも、穏やかで優しい子なんです」
フロリアンさんは、キルシュヴァッサーの頭を何度もなでながら、懐かしそうに目を細めた。
ふと、その表情に影が落ちた。
「父がとても信頼していた竜医師がいました。貴族たちからの評判も良く、竜に寄り添った治療をしてくれる人だと、私も信じていたのです」
信じていた――そう語ったフロリアンさんの目に、憎悪の炎が燃え上がった。




