祝福のエレスチャル20【シセラ視点】
「ヘリアス様とシセラ様の親密な関係について、フィルナ様はどうお考えなのでしょうか?」
中央広場にアーネストの声が響き渡る。
その様子を社交館のバルコニーから眺めていた私は、心の中でほくそ笑んだ。
同じテーブルについていた令嬢たちが、一斉に私を見た。
「やっぱり、あの噂は本当ですの?」
「ヘリアス様とシセラ様のご関係って……」
彼女たちは興味津々にテーブルから身を乗り出し、目を輝かせている。
(来た……!)
ぞくりと、背筋に快感が走る。
今すぐお兄様との関係を公表したい。だけど、すぐに認めてしまえば、はしたない女だと思われてしまう。
だから、私はあえて恥じらうように頬に手を添えて、それとなく言った。
「私の口から何とも……。でも、お兄様はいつも私を大切にしてくださいます。だからこそ、私のために命をかけてラドロンから守ってくださったのです」
彼女たちは「まあ!」と感嘆の声を上げた。
「あの王の剣が助けに来てくださるなんて!」
「とても恐ろしい思いをされたでしょうけど、ヘリアス様が駆けつけてくださるだなんて素敵だわ」
「危機が去って、寄り添い合うおふたりの姿は、さぞ美しかったでしょうね」
「ふふ……ありがとうございます」
彼女たちは紅茶を飲むことも忘れて、私とお兄様の話題に夢中になっている。
(さあ、存分に憧れて。ぱっとしない身分の男としか結婚できないあなたたちにとって、お兄様は雲の上の存在でしょう。でも、私はあなたたちと違う。私はお兄様と結ばれるのよ)
心地良い会話に耳を傾けながら、紅茶を口に含む。
今日はとてもいい日になりそう。
「でも、シセラ様はヘリアス様の怒りを買って、竜品評会は出場停止になったのでしょう?」
突然、そんな嫌味が飛んできたので、ちらりと背後に視線を向ける。
私の椅子の後ろに、大して綺麗でもない女が立っていた。
ニヤニヤ笑って、下品な女。そんなことで私が動揺するとでも思ってるのかしら。
「それは違います。エレスチャルの体調が思わしくなかったため、自ら辞退したのです。でもまさか、私のエレスチャルがあんなことになるなんて……」
そう伏し目がちになってつぶやけば、悲劇のご令嬢の出来上がり。
話を聞いていた他の令嬢たちは悲しそうな顔をした。
「シセラ様、お可哀想!」
「シセラ様はとても傷ついていらっしゃるのに、そんな言い方はどうかと思います」
私が何も言わなくても、他の令嬢たちが抗議してくれる。私は特別だもの。
嫌味を言ってきた女は不利を悟ったのか、苛立った顔をして去っていった。
返り討ちにあって逃げるなんて恥ずかしい女。
笑い出したくなるのを必死にこらえて、私は彼女たちにお礼を言った。
(やっぱり、私に勝てる女なんていないのよ。そうよ、ちょっと竜に詳しいだけの女なんかより、私の方がずっと価値があるの。私は負けてなんていない)
そう気分良く紅茶を飲んでいると、再びアーネストの声が聞こえてきた。
「竜を救うという崇高な使命を口にしながら、その裏では平然と夫を裏切り、我々の信頼さえ踏みにじる。そのような人間に、民を導く資格が本当にあるのでしょうか!」
ああ、これで終わりね、フィルナ。
人々はアーネストに賛同し、拍手が沸き起こるはず。その時は私も、盛大な拍手を送ってあげる。
絶望し、膝をつくフィルナが見られると思うと、胸が躍った。
「シセラ様、ちょっといいかしら?」
呼びかける声にはっと我に返り、声のした方へ視線を向ける。
そこには、第二王女ベアトリクス様が立っていた。
私は慌てて立ち上がり、一礼した。
(第二王女が、わざわざ私に会いに来た……この私に!)
部屋に集まっている令嬢たちも同じことを思ったのか、「あのベアトリクス様がシセラ様に?」と驚きの声を上げている。
優越感に口元が緩みそうになる。
きっと、フィルナよりも私と交流した方が得策だと判断されたのね。
(ベアトリクス様も、ようやく目が覚めたようね。友人に私を選ぶのは賢明な判断だわ)
これを機に私の格がさらに上がる。最高の一日だ。
私は背筋を伸ばし、胸を張った。
「ベアトリクス様。私に何かご用でしょうか?」
「ええ。あなたの迷惑行為が目に余るため、苦言を申し上げに参りました」
「……え?」
ベアトリクス様は微笑を消し、真剣な顔をして言った。
「これ以上、新聞社を使ってヘリアス卿やフィルナ先生のありもしない噂を流すのはおやめなさい」
その瞬間、周囲がざわりと色めき立った。
驚きと戸惑いが入り混じった視線がこちらに向けられ、全身から冷たい汗が噴き出した。
こんなことをわざわざ人前で言うなんて、一体どういうつもりなの!?
私は顔を引きつらせながら微笑んだ。
「な、何の話でしょうか? 私と新聞社の間には、何の関係も――」
「あら、ピロマティア新聞社には確認しましたよ。私の言葉を嘘だとおっしゃいますか?」
「と、とんでもございません!」
うつむいて、密かに唇を噛む。
(ピロマティア……私を売ったのね)
しかも、そのことをこの場でバラすなんて、この人のどこが女神なのよ。
だけど、相手が相手だけに下手に反論ができない。
恐る恐る顔を上げると、怒りを宿す冷たい目に射抜かれ、ドクンと心臓が強く脈打った。
「ヘリアス卿に相手にされず、フィルナ先生に嫉妬したからって、あんな捏造記事を書かせるのはよくないわ。『王の剣の花嫁』という立場を奪おうと必死なのでしょうけれど」
無遠慮に心の中を暴かれた気がして、カッと頭の奥が熱くなる。
先ほどよりも、ざわめきが大きくなった。
「ヘリアス卿はまだ黙っていてくれていますが、あなたのその行動は、確実にアパテール家を追い詰めています。このままでは、アパテール家は七将の座を追われるでしょうね」
「そ、そんなはずありません! だって、教会との関係を維持するにはアパテール家の存在が必要不可欠! お兄様は間違いなくアパテール家を必要とするはずです!」
「この、大馬鹿者!」
聞き覚えのある男性の怒声が飛んできて、思わずびくりと身体が震えた。
「え? お父様?」
いつの間にか、私の目の前にはお父様がいて、血相を変えて近づいてくる。
お父様はベアトリクス様に一礼してから、私に向き直って言った。
「忘れたのか? イーリス騎士団の副団長であるエルヴィアが魔物を持ちこみ、大失態を犯した。お前もそれに賛同した。このことを、ルイス・コーラル主席枢機卿が知らないとでも思っているのか!?」
「そ、それは……!」
「だが、その問題をヘリアス様が大事にしないと約束された。つまり、教会は大きな借りを作ったということだ。今回の問題に関与したお前を、そしてアパテール家を、教会とヘリアス様が必要とすると本気で思っているのか?」
私に優しかったお父様が、いつになく深刻そうな顔をして語るので、私は言葉を失った。
そんなに大きな問題になっているなんて、知らなかったから……。
「私はお前を止めるためにここへ来た。これ以上、お前の好き勝手にさせるわけにはいかない。ヘリアス様に見限られれば、我らは終わりだ!」
見限られる? アパテール家が? お父様までそんなことをおっしゃるなんて……。
額から汗が伝い落ちる。
「で、でも、あれは全部エルヴィアがやったことで、私は無関係です! 私は常にアパテール家のことを考えて行動してきました! お父様だって、シセラはお兄様と結婚するべきだと、そう思っているでしょう?」
私は声を震わせながら必死に訴えた。
そうよ、私は何も悪くない。私のやってきたことは何も間違っていない!
「フィルナ様よりも私の方が――」
「まだそんな妄想を話しているの?」
どこからか、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
私は弾かれたように振り返る。笑っているのは、ひとりだけじゃない。
「ヘリアス様は心からフィルナ様を愛しておられるわ。どう考えたって勝ち目なんてないのに、そんなこともわからずに邪魔ばかりして……本当に話題に事欠きませんわね」
「竜品評会の会場付近で、エルヴィア様のあの事件を目撃したのだけれど、ヘリアス様は本気でシセラ様を軽蔑しておられたわ」
「竜医師の勉強が難しくて挫折したのに、自分は竜医師のフィルナ様より知識があるとおっしゃっておられたわよね」
「それなのに、光竜の治療はフィルナ様に丸投げなのでしょう? シセラ様に竜騎士の妻が務まるはずありませんわね」
シセラ様に公爵夫人なんて無理に決まってる。
一瞬、何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
胸の奥が冷えて、呼吸が浅くなっていく。
「シセラ様」
令嬢のひとりが、扇でバルコニーの方を差した。
「フィルナ様が、ヘリアス様から二度目のプロポーズを受けたとおっしゃっておりますよ」
あなたと違って。そんな言葉が聞こえた気がした。
(うそよ)
私は急いでバルコニーに出て、柵をつかんだ。
いつの間にか、フィルナの演説が始まっていた。
「私は今、ヘリアス様へお贈りするための首飾りを作っています。その首飾りが完成したその時に……プロポーズを受けようと思います」
一拍置いて、わっと歓声が沸き起こった。
その歓声に混じって、くすくすと私を笑う声が背後から聞こえてくる。
屈辱のあまり、全身が煮えくり返りそうだ。
(うそよ。こんなのうそ。どうしてフィルナが祝福されて、どうして私が格下の女たちに笑いものにされるのよ!!)
お兄様と見つめ合って微笑むフィルナが憎らしくて、唇からギリギリと歯ぎしりの音が漏れた。
そこは私の居場所なのに。
「ふざけないで、私がお兄様の妻になるのよ。エルヴィアなんかじゃだめなの……王の剣で公爵様であるお兄様じゃなきゃ、私が一番になれない!」
優位に立ったと勘違いして、私を笑っている格下の女どもを見返してやりたいのに……。
そう考えていると、こちらに近づいてくる気配があった。
「シセラ様。結局あなたは目の前の演説を見ても、自分のことしか考えていないのね」
ゆらりと後ろを振り返ると、ベアトリクス様が哀れむように私を見ていた。
「フィルナ先生は、ジュピタリア血統の欠陥はないと証明し、妹を助けてくれた恩人よ。そして彼女は今も、あなたのエレスチャルのために演説している。いつだって竜を助けようと努力している」
指摘されてようやく、エレスチャルのことを思い出した。
そうだった、まだ生きていたんだっけ? もう死んだと思っていたから、新しい光竜を買おうとしていたのに。
「人にも竜にも誠実なフィルナ先生だからこそ、ヘリアス卿は彼女に心を開いたのでしょう」
「誠実が何だというのです」
私は半笑いになりながら、震える声で言った。
「貴族の結婚に必要なのは、地位と美しさでしょう? 誠実さなんて二の次ですよ。理想論、ただの綺麗事です!」
「その綺麗事を欠いたせいで、あなたは家の信用を失っているのですよ」
「っ!!」
反論しようと反射的に口を開きかけて、結局言い返す言葉が見つからなかった。
唇を噛みしめ、うつむくことしかできない。
「身分の高い相手と結婚して注目されたい、優位に立ちたい……ヘリアス卿と結婚したい理由は、ただそれだけでしょう?」
「ち、違います。私は……っ!」
「断言しましょう。ヘリアス卿があなたを選ぶことは絶対にありません」
それを聞いた瞬間、足元から力が抜けた。よろけて、とんっと背中が後ろの柵に当たる。
「ああ、それと」
彼女は追い討ちをかけるように、冷たい目をしながら言った。
「あなたの竜への扱いにも問題があります。フィルナ先生によれば、エレスチャルは満足に食事を与えられていなかったのではないか、とのことです。ストレスによる脱毛などの症状も見受けられたそうです」
「それ、は……」
「主催者権限により、シセラ・アパテールを竜品評会から永久追放。さらに、竜の虐待疑惑があるとして、その真偽を確かめたのち、あなたを拘束します」
「そ、そんな……っ!」
衝撃で視界が真っ白になり、自分が立っているのか、座っているのかわからなくなった。
ようやく視界に色が戻った時、令嬢たちが視線を交わして笑っているのが見えた。
先ほどまで私の味方だった令嬢たちは、私と目が合わないように顔をそらしているし、お父様は真っ青な顔をしてその場に座りこんでいた。
それから、どうやってアパテール家に戻ったのか覚えていない。
気づいたらベッドにうつ伏せになって、子供のように声を上げて泣いていた。
「悔しい……悔しい! どうして私がこんな目に遭うのよ! 私が何をしたって言うの? 私は誰よりも価値のある存在なのに、どうしてそれを認めないのよ!」
私は誰よりも幸せになりたいだけなのに、フィルナが邪魔をしたせいで、すべて失ってしまった。
あの女が憎い。あの女さえいなければ!
「お嬢様」
頭上からレキエスの声が降ってきた。
枕からゆっくり顔を上げると、彼女は優しく微笑みかけてくれた。
「おつらいですね、お嬢様。そして、フィルナ様が憎いでしょう? このままでは終われませんよね?」
そう言って、そっと頬をなでてくれた。不思議と、彼女が女神様のように見えた。
そうだ、私にはまだレキエスがいる。彼女から授かった「力」がある。
レキエスの唇が美しい弧を描いた。
「さあ、お嬢様。あなたを苦しめる憎き女に復讐を」




