祝福のエレスチャル19
「それに、フィルナ様ご自身も、シセラ様の元婚約者であったエルヴィア様と結婚予定だという噂もありますが……妹君と同じく略奪愛がお得意ということでしょうか?」
ぽつぽつと笑い声が起きる。
彼はぐるりと周囲を見回し、さらに声を張った。
「そのような経緯を持つ方が、公爵夫人として民の前に立つ資格があるのでしょうか」
そして畳みかけるように、私を見上げて言った。
「竜を救うという崇高な使命を口にしながら、その裏では平然と夫を裏切り、我々の信頼さえ踏みにじる。そのような人間に、民を導く資格が本当にあるのでしょうか!」
その言葉を聞いた瞬間、ヘリアス様の目から、すっと温度が消えた。
彼の感情に共鳴するように、エアルとドゥルキスが低い唸り声を上げ、威嚇する。
言葉はわからなくても、ヘリアス様の様子などから、私が批判されたことを察したみたいだ。
(何だか、シセラ様の意思を感じる気がする)
記者を使って、私の演説を妨害しようと考えているのだろうか。
噂程度のものに対して抗議すれば、言論弾圧と逆に批判されるため、黙っていることが多い。
けれど、これは度が過ぎている。
今にも拍手が起きかけたその時、私はすっと右手を上げた。
民衆と、怒りを爆発させそうなヘリアス様の意識を集めるために。
私は今回の演説のために用意した特製のブローチに触れた。
声量を増幅させる鉱石を使用しているため、広場の隅々にまで声が行き渡るはずだ。
そして、こちらを挑発するように笑っている記者の男性を見下ろす。
「あなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」
男性は一瞬たじろぎ、それから悪意を含んだ笑みを浮かべて答えた。
「民の声を代弁する、ピロマティア新聞社のアーネスト・ルモールです」
「アーネストさんですね。シセラ様ならびにエルヴィア様に関する噂は、いずれも事実無根です。ですが、『民を導く資格があるのか』というご指摘には、心より感謝いたします」
「え?」
感謝という言葉に、アーネストさんは目を丸くする。
「未熟な私を、みなさまの前で導いてくださったことに、とても感激しております。あなたのお言葉をアルトリーゼ家のモットーの隣に、額縁に入れて飾らせてください」
私の隣で、ヘリアス様が小さく吹き出した気配がした。
「フェリシア」
そう呼びかけると、演壇の左手側にある、布で隠された場所からフェリシアが姿を現した。
「はい、奥様」
「聞いていましたね。すぐに手配を」
「かしこまりました」
フェリシアは一礼し、素早く姿を消した。
アーネストさんは、まさかそこまでするとは思わなかったのか、顔を青ざめさせ、唇を震わせていた。
(私がアーネストさんを強く批判する姿を見せることで、人々の反感を私に向けさせようとしたのね)
だからこそ私は、あえて感謝を告げて、相手の思惑に乗らないようにした。
そうすることで、アーネストさんが「一方的に公爵夫人を批判した」という事実だけが残る。
すると、先ほどまで私に向いていた人々の視線が、今度は一斉にアーネストさんへと突き刺さった。
「勝手に民の代弁者なんて名乗るな!」
「俺たちは頼んでないし、そんなこと思ってもいないぞ!」
「ヘリアス様とフィルナ様の仲睦まじさを知らないの? このインチキ記者!」
「ひっ!?」
アーネストさんは怒れる民衆に取り囲まれ、非難の声が四方から浴びせられた。
暴動に発展する前にと、私はエアルを見上げて、小刻みに竜笛を吹いた。
すると、エアルも竜笛と同じリズムで三度鳴いた。
広場にエアルの鳴き声が響き渡り、喧騒が静まった。
人々の視線がこちらに集まったところで、私は口を開いた。
「様々な記事や噂で、みなさまにご心配をおかけしたことを謝罪します。そして、ひとつ、みなさまにお伝えしたいことがあります」
私は右耳のイヤリングに触れながら言った。
「じつは、このイヤリングとともに、ヘリアス様から二度目のプロポーズを受けました」
「え!?」と人々の間から驚愕の声が上がった。
女性たちは「素敵!」とはしゃいだ声を上げている。
「ですが、返事は保留にさせていただきました」
二度目の驚愕には、「なぜ!?」という疑問がにじんでいた。
私は彼らを安心させるように微笑んで言った。
「私は今、ヘリアス様へお贈りするための首飾りを作っています。その首飾りが完成したその時に……プロポーズを受けようと思います」
一拍置いて、わっと歓声が沸き起こった。
誰かに渡す予定だったであろう花束まで宙を舞っている。
本当はここで話すつもりはなかったのだけど、想像以上に祝福されて嬉しくなる。
ヘリアス様に視線を向けると、彼もまた優しく目を細めて微笑んでいた。
言葉にならない喜びが、じわじわとこみ上げてくる。
(……これで、シセラ様とエルヴィア様に関する噂は払拭されたはずよね?)
雰囲気が明るくなったところで、私は今回の演説の目的を話すことにした。
「今日はみなさまにお願いがあって参りました。アパテール家のご令嬢であるシセラ様を守り、重傷を負った光竜……エレスチャルのことです」
広場に静寂が落ち、人々は静かに私を見つめていた。
「ご存知の方も多いとは思いますが、現在公爵家では、エレスチャルの治療に使用する青い実の買い取りを行っております。今回その内容を変更し、青い実をお譲りいただいた方には、火の竜の鱗をお渡ししたいと思います」
その瞬間、民衆のざわめきが波のように広がった。
買い取ると喧伝した時よりも、民衆の反応は好意的だった。
ヘリアス様は彼らの反応を見て、小さく笑った。
「火の竜の鱗はお守りとして人気がある。青い実を譲ることで、より大きな幸福を得る……考えたな、フィルナ」
「ありがとうございます」
声が増幅されないように、ブローチを押さえながら感謝を告げる。
私は竜の鱗が生え変わる時期――つまり、ベルンハルト様のご依頼でエンリカ様のもとへ向かった時期から、地道に抜け落ちた鱗を集めていた。
その時に集めた鱗と個人的に集めていたエアルの鱗を合わせれば、かなりの量になる。
青い実との交換くらいなら、数はじゅうぶんに足りると思う。
「さて、ここにお集まりいただいた人の中には、エレスチャルの状態や、公爵家がなぜそこまでして青い実を集めているのか、そう疑問に思った方もおられるはずです」
私は、エレスチャルを保護したあの時のことを思い出しながら言った。
「先ほども申し上げましたが、青い実を集めているのは治療のためです。エレスチャルは訓練中にラドロンに襲われ、シセラ様を守るために必死に戦いました。戦闘訓練を受けていないのに、それでも彼女を守り抜き、重傷を負いました」
私はエアルを見上げながら、言葉をつづけた。
「現在エレスチャルは、全身が結晶に覆われる結晶化という病気にかかっています。そして、ラドロンとの戦闘で脊髄を損傷し、後ろ足がまったく動かなくなってしまいました」
そのことを伝えると、人々は沈痛な表情を浮かべた。
エレスチャルの状態が正確に伝わったようで、少しほっとする。
(エアルとドゥルキスを連れてきてよかった)
言葉だけでは、エレスチャルの状態の深刻さを伝えるのは難しい。けれど、目の前に本物の竜がいれば、結晶化が想像できなくても、立てなくなった姿は想像できるはず。
「脊髄の治療のためには、まず結晶化を治療しなければなりません。その治療には青い実が必要です。ですが、まだまだ数が不足しています」
私を見上げる人々の反応は様々だ。
エレスチャルの病状を知り、哀れむ者。静かに私の話に耳を傾ける者。何かを決意するように大きくうなずく者……。
私は彼らの顔を見回して、声を張った。
「もし青い実を譲っても構わないとおっしゃる方がいれば、どうかお願いします。その小さな幸福をエレスチャルに譲ってはいただけませんか? 人を愛し、守るために戦った優しい竜を、もう一度歩かせてあげたいのです」
私はもう一度、「よろしくお願いします」と祈るように言った。
一瞬の静寂のあと、ぽつり、ぽつりと拍手が起こった。それはやがて広場を揺るがすほどの、割れんばかりの拍手へと変わっていく。
「フィルナ様もエレスチャルも頑張って!」
「青い実を見つけたら、すぐに持っていきます!」
「エレスチャルのことを教えてくださって、ありがとうございます!」
広場には応援と感謝、そしてエレスチャルへの励ましの声であふれていた。
その光景に胸が熱くなり、わずかに視界が揺らぐ。
この祝福の声をエレスチャルが聞いたら、どれだけ喜ぶだろう。
(でも、大勢の前に出るのは慣れていないから、驚いてしまうかも)
濡れた目元をさり気なく拭いながら、小さく笑う。
拍手が鳴り止まない中、私は人々に一礼し、エアルの背中に乗った。
そして顔を上げたその時、貴族が集まる社交館のバルコニーに、シセラ様の姿を見た気がした。
(後ろ姿だったから、見間違いかもしれないけれど……)
もし彼女だったとしたら、この演説を聞いて何を思っただろう。
エレスチャルのことを、気にかけてくださればいいのに……。そう思ってしまう。
私は気持ちを切り替えて、ヘリアス様とともに空へと飛び立ち、人々の歓声を受けながら城へと戻った。
その演説から一時間もしないうちに、アルトリーゼ家に次々と青い実が届き始めた。
使用人たちはその対応に追われて悲鳴を上げていたので、申し訳ないと思いつつも、私は密かにぐっと両手の拳をにぎった。
(やった! これで結晶化を完全に治療できる!)
節約することなく、たっぷり青い実を浮かべた薬湯に浸かるエレスチャルや野生の竜たちを思い浮かべて頬が緩む。
「奥様! これを見てください!」
そろそろ日が沈む頃になって、シーラが新聞を手に竜舎までやってきた。
「どうしたの?」
「アパテール管理区の新聞です! ぜひ読んでみてください!」
アパテール管理区の新聞と言えば、「ヘリアス様とシセラ様の恋の行方は!?」と書かれていたことを思い出して、ちょっと身構えてしまう。
恐る恐ると新聞に視線を落とすと、見出しには「中央広場に響く公爵夫人フィルナ様の声! 集った人々の心を深く揺さぶる!」と書かれていた。
記事の中で、私の演説は高く評価されていて、シセラ様やエルヴィア様の噂を否定し、それを記事にしたことへの謝罪も記されていた。
さらに、エレスチャルの病状や、青い実をアルトリーゼ家に届けてほしいという呼びかけまでしてある。
記者の名前は、アーネスト・ルモール。
新聞紙の周囲には、額縁のようなデザインが施されていた。
それを見たヘリアス様が、あきれたように言った。
「額縁に飾るならこちらにしてくれということか? それで許すはずがないだろう」
「それでも、青い実のことを呼びかけてくれたのは嬉しいです!」
「あなたは優しすぎる」
そう言って新聞をにらむヘリアス様を見て、私はつい笑ってしまった。
次回更新は12/21です。




