祝福のエレスチャル16(前半のみシセラ視点)
「ちょっと、これはどういうことよ!」
私はアルトリーゼ家からの書状を、思いっきりテーブルに叩きつけた。
その衝撃でティーカップの紅茶がこぼれて、それすら腹が立った。
私は、アルトリーゼ家の城から逃げるようにしてアパテール家に帰ってきていた。それだけでも屈辱だというのに、さらにこの書状!
「どれどれ」
皺の寄った書状を、侍女のレキエスが手に取って素早く目を通す。
「豊穣の実が大型ラドロンの持つ毒に有効である可能性が確認された。そして、結晶化を発症した個体に対しては既存治療薬の使用を一切禁ずる……ですか。さすがはフィルナ様、こんな短期間で解明してしまうとは本当に優秀なお人……それで」
レキエスはわざとらしく首を傾げた。
「シセラお嬢様は何に怒っておられるのですか?」
「とぼけないで。フィルナにエレスチャルは治せないと言ったのはあなたよ!」
「ええ。書状が届く直前に、そうお答えしましたね」
淡々と肯定され、頭の奥がカッと熱くなった。
「お答えしましたね、じゃないわよ! これじゃあ、あのフィルナに恥をかかせられないじゃない! エレスチャルが治ったら新しい光竜が買えないし、私ではなくフィルナが注目されてしまうわ!」
せっかく悲劇の令嬢として注目されているのに、それをフィルナの功績で上書きされるなんて嫌すぎる。
それに、病気だらけの汚い竜が戻ってきても困るのに……!
「大丈夫ですよ、お嬢様。フィルナ様は治せませんよ」
「どうしてそう言えるのよ」
「私はとある理由から、あの大型ラドロンの生態に詳しい。そうお伝えしましたよね」
「え、ええ……」
私は少しぎこちなくうなずいた。
「あなたは、セイレニア教の人間だから」
「その通りです。あなたはそれを黙っている代わりに、強力な力を手に入れた」
「前置きはいいです。理由を教えて」
契約内容を改めて念押しされているみたいで、イライラしてくる。
私の苛立ちを知っているくせに、レキエスは動じた様子もなく眼鏡の奥の瞳を細めた。
「豊穣の実と言っても、治療薬に使用できるのは、十個に一個の割合でしか見つからない『幸福の青い実』だけです」
「たまに見かける青い実? あれが治療薬になるの?」
「そうです。アウデンティア公国で収穫される豊穣の実の総数から計算すると、青い実は年間六万から八万個収穫されている」
「結構あるじゃない」
「数だけ聞けば、そう思えるかもしれませんね」
語りながら、レキエスはカゴの中から真っ赤な豊穣の実を取り出して、ナイフで剥き始めた。
「ですが、宗教的理由から『女神からのささやかな幸福を得たい』という人間は意外と多い。そのため市場から一瞬にして姿を消す、とっても貴重な実です。治療に必要な量を確保するのは困難を極めるでしょうね」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。いくら公爵家の権力を使おうと、完全な治療は不可能かと」
「なぁんだ、そうだったの?」
一口大に切られた豊穣の実をのせた皿が、ことりと目の前に置かれた。
安心したからか、小さなその果物がとても美味しそうに見えた。
「ふふ……じゃあ、あの女はそんなことも知らないくせに、私に『エレスチャルを必ず幸せにしてみせる』なんて言い切ったのですか? 本当に馬鹿で恥ずかしい女! そんな単純な計算もできないのに、竜医師を名乗っているだなんて!」
おかしくなって、思わず笑いがあふれた。
あれだけ腹が立っていたというのに、今は頭の弱いフィルナが哀れにも思えてくる。
こうなると、私がお兄様と結婚したあとも、竜医師として置いておけないわね。
「もうすぐ、エレスチャルの死体の前で絶望するフィルナが見られるのですね。うふふ、いい気味!」
小さな実を口に含むと、じゅわっと甘い果汁が広がって気分が良くなる。
「治療が失敗すれば、お兄様もフィルナに失望するわね。そして、私が正しかったと気づいて、迎えに来てくださるの!」
「ええ、きっとそうなりますよ」
レキエスが微笑みを浮かべて、大きくうなずいた。
彼女から受け取った力――「ラドロンを呼び寄せる竜笛」を使うまでもなさそう。
素敵な未来を想像して、今から胸が弾んだ。
◇◇◇
竜の疲労回復や治療を目的として、屋内には竜専用のお風呂が設置されている。
頑丈な石材を使用した浴槽の中にはエレスチャルが寝転がっていて、頭だけを外に出す形で入浴していた。
立つことができないエレスチャルが溺れないよう、浴槽の底には分厚い石を敷いて浅くしてある。
半透明の青い湯の中には、ぷかぷかと青い実がいくつも浮いていた。
「湯加減はどう? 気持ちいい?」
私がそう声をかけると、エレスチャルは顔を上げて「キャア!」とご機嫌な声を上げた。
よしよしと頭をなでてから立ち上がる。
「大人しくなってくれてよかった」
湯気の向こうで、ヘリアス様がそう言って小さく笑った。
彼は全身ずぶ濡れだった。額に張りついた前髪を指で払っている。
「申し訳ありません、ヘリアス様。お召し物まで台無しに……」
「あなたが謝ることはない。それにしても、よほど豊穣の実の薬湯が嫌だったようだな。後ろ足が動かないとは思えないほどの暴れっぷりだった」
「ええ、本当に」
私たちは顔を見合わせて苦笑した。そんな私も、全身びしょ濡れだ。
「だが、こうやってエレスチャルが豊穣の実を嫌がったからこそ、あなたは治療のヒントを得たのだな」
「はい。毒に侵されたエレスチャルは、豊穣の実を『体内の毒を排除する敵だ』と認識した。この子の意思とは関係なく、身体が反応した」
「なるほど。効果はてきめんだな」
ヘリアス様は、湯の中に浮いている結晶を見てうなずいた。
「同じ毒を持つ大型ラドロンが、豊穣の実の木が多いアウデンティアに侵入してこないのは、そのためか」
「はい、恐らくは」
「ずいぶん、この国と相性の悪いラドロンだな」
私はうなずき、今にも眠ってしまいそうなエレスチャルを見つめた。
きちんと薬湯に浸かってから約十分で、結晶は徐々に剥がれ始めていた。
毒が分解されてきたのか、エレスチャルも暴れることがなくなり、気分が落ち着いている。
(やっぱり、通常の豊穣の実よりも青い実の方が効果があったわね)
青い実には、通常の豊穣の実よりも結晶化を分解する成分が高濃度で含まれていることがわかった。
そのため、薬湯に使用しているのは青い実のみだ。
マシーシャさんや他の補助竜医師たちが、浮いてきた結晶を網ですくっている。
「楽しそうだから」という理由で、ラインさんも参加していた。
「これほど効果があるのなら、ここにも効いてくれればいいのにな」
ヘリアス様はそう言って、トントンと自身の頭を人差し指で叩いた。
彼が記憶を話題にしたのは、きっと私が「赤い瞳の少女」のことを訊ねたからだ。
ヘリアス様は「恐らく、夢で見た見知らぬ子供と混同した」と、ちょっと……いえ、かなり落ちこんでおられた。
完璧主義的なところがあるから、記憶を混同した自分が許せないのだと思う。
しかも、話していた相手が王女様だから余計に。
落ちこむヘリアス様を見てラインさんは「五年前の彼は純粋な少年なので、奥様の前ではかっこつけたかったのですよ」と言って、ヘリアス様から強烈なデコピンを食らっていた。
私だったら死んでたと思う。




