祝福のエレスチャル6
エルヴィア様は右手首をさすりながら、鋭くヘリアス様をにらんでいる。
けれど、相手がヘリアス様だからなのか、その顔はさすがに強張っていた。
「歓迎の握手がそれほど嬉しかったか?」
「ええ、まあ。ずいぶんと熱烈で」
明らかに不満そうな声だった。
「それで、先ほどは何を騒いでおられた」
「騒がしくして申し訳ありません。ただ奥方が」
エルヴィア様は一度言葉を切って、ちらりと私に視線を向けた。
「私が討伐したオオトカゲを奪おうとするので、少し困っておりました」
「ええ! 私が証人ですわ、お兄様! 浄化施設がどうとか、よくわからないことをおっしゃって!」
シセラ様が生き生きと同意した。
ふたりとも、私に非があるのだと主張しているようだ。
悔しくて、思わず拳を強くにぎる。
ヘリアス様は、エルヴィア様がこれ見よがしに掲げている革袋を見て、険しい顔をした。
「浄化施設を通したか?」
「いいえ」
即答するエルヴィア様に、ヘリアス様はあきれたようにため息をついた。
「イーリス騎士団の副団長ともあろうお方が、魔物の死骸の取り扱いを知らないのか。よほど実戦経験に恵まれなかったとみえる」
「な、何だと!?」
図星だったのか、エルヴィア様は顔を真っ赤に染めた。
副団長の地位にある竜騎士が、魔物討伐の経験がないというのも珍しい話だ。
本人も気にしていたからこそ、過剰に反応したのだろう。
ヘリアス様は剣を引き抜き、エルヴィア様に冷たい視線を投げかけた。
「手首ごと斬り落とされたくなければ、革袋を投げろ」
「な、なぜ」
「質問しろとは言っていない。投げろと言った」
ヘリアス様の気迫に押されて、エルヴィア様は慌てて革袋を放り投げた。
革袋が宙に浮いたと同時に、スパッと真っ二つに裂け、 中身がこぼれ落ちる間もなく激しく燃え上がった。
(い、いつの間に斬ったの?)
エルヴィア様もシセラ様も目を丸くしていた。
「魔物の死骸には病原菌や寄生虫がついている。それらを人や竜に感染させないため、浄化施設で処理することが義務付けられている」
剣が鞘に収められたと同時に、オオトカゲの入った革袋は黒い灰となって崩れ落ち、最後には跡形もなく消えていった。
「フィルナはあなたの規則違反を指摘したのだ。イーリス騎士団の副団長とその妻となるはずのおふたりが、そのことにまったく気づかなかったとはな」
エルヴィア様はぐっと言いよどんだ。その額にはびっしょりと汗をかいている。
シセラ様は影を薄くしようとするように、きゅっと身体を縮めて黙っている。
「彼女が止めなければ、あなた方はこのアウデンティアに病を撒き散らし、民や竜の命を危険にさらすところだった。それともこれが、イーリス教の狙いだったか?」
「ち、違います! イーリス教は何も関係ありません!」
エルヴィア様は顔を青ざめて、慌てて否定した。
ヘリアス様は「それはよかった」と冷たく笑った。
「それはそうと、副団長殿」
ヘリアス様は瞬く間に間合いを詰め、低い声で鋭く訊ねた。
「フィルナに手を上げようとしたか?」
エルヴィア様は返答に窮したように目を泳がせ、口をつぐんだ。
その様子を見て、ヘリアス様がふっと笑った。
「そうか。では遠慮はいらんな」
次の瞬間、ヘリアス様の右拳がエルヴィア様の左頬を打ち抜いた。
バキッという衝撃音が周囲に響き、エルヴィア様の身体が軽く後ろに吹き飛んだ。
「が、ぁ!」
彼の身体は激しく地面に叩きつけられ、しばらく地面を転がってから動きを止めた。
鮮血がシセラ様のドレスにまで飛び散り、彼女は恐怖のあまり悲鳴を上げる。
「うぅ……げほっ!」
エルヴィア様はうつ伏せの状態のまま血を吐いた。
あの一撃で、顔中が血で染まっている。
ヘリアス様はそのままエルヴィア様に向かって踏み出そうとした。
右の拳が強くにぎられ、さらなる追撃を予感させる。
本気で殺すつもりだと、そう思った。
「だめです、ヘリアス様!」
私はとっさにヘリアス様の腕に抱きついた。
本来なら、私の膂力で引き止められる人ではないけれど、ヘリアス様はぴたりと動きを止めた。
こちらに視線を向け、それから少し困ったように「フィルナ」と呼んだ。
「あの男はあなたを傷つけようとした」
「でも、ヘリアス様のおかげで、そうはなりませんでした。私なら大丈夫です」
ヘリアス様は無言で私を見つめていた。その目には、エルヴィア様への強い殺意の炎が揺らめいている。
それほどまでに激しい怒りを抱いてくれたことを、嬉しく思う。
だけど、ヘリアス様の手が、エルヴィア様の血で汚れるのは私が許せなかった。
「……わかった。あなたがそう言うなら」
ヘリアス様は小さく息をついて、それからゆっくりとエルヴィア様に近づいた。
反射的に逃げようとするエルヴィア様の襟をつかみ、強引に顔を上げさせる。
「彼女の慈悲に感謝しろ」
「は、うぅ……」
エルヴィア様は口呼吸を繰り返しながら、血走った目でヘリアス様を見上げている。
「本来、このような規則違反は大罪だが、今回はこれで帳消しにしてやる。報告はさせてもらうがな」
大事にしない代わりに、教会に貸しを作るつもりなのだろう。
「いい勉強になったな、副団長殿。次は斬り捨てる」
ヘリアス様は軽蔑と殺意の入り混じった目つきでエルヴィア様を見下ろし、投げ捨てるように手を離した。
エルヴィア様は抵抗する力もないのか、うつ伏せのまま動かない。
「お兄様!」
シセラ様は笑みを浮かべながら、ヘリアス様の機嫌をうかがうようにゆっくりと近づいてきた。
「私はエルヴィア様に逆らえなくて、彼の話に合わせていただけなのです! 私は何も悪くありませんよね? シセラは可愛い妹ですものね?」
同情を誘うように目を潤ませ、頬を染める。
「妹ではない。私を兄と呼ぶな」
ヘリアス様はぴしゃりと言った。シセラ様は「え?」と不思議そうに首を傾げた。
「七将の娘でありながら、魔物に関する常識すら知らないのは問題だ。アパテール家の教育を疑うぞ」
「それは、たまたま知らなかっただけです! 信じてください!」
「やかましい」
怒気を含んだ声に、シセラ様は怯えたように首をすくめた。
「アパテール家にはペナルティを与える。さっさと帰れ」
「そ、そんな……!」
シセラ様は目を見開き、何か言い返そうとして口をぱくぱくさせるばかりだった。
ヘリアス様は興味を失ったように彼らに背を向けて、私の肩に触れた。
「行こう、フィルナ」
「はい、ヘリアス様」
三年前のカルキノス教会でも、ヘリアス様は私の小さな傷を気遣ってくださった。
私はこの大きな手に救われてばかりだと、改めて思う。
この方の隣に立てる幸福を噛みしめるように、私の肩を抱くヘリアス様の手に、そっと手を重ねた。
フェリシアがほっとした顔で微笑み、私たちの後につづく。
その後ろで、シセラ様が凄まじい形相で私をにらみつけていた。




