人喰い竜23
夜明けを告げる太陽は、まだ地平線の向こうに隠れている。
アラストルの背中に乗ってその光景を少しの間眺めていると、突如、轟音が鳴り響き、島の至るところからプロトワームが姿を現した。
霧と粉塵が混ざり合い、視界がさらに悪くなる。
まるで島全体が、分厚い雲に包まれたかのようだ。
「ジャックさん、大丈夫ですか!?」
「ああ! だが、あんな巨大な魔物とどう戦う。どう考えても無理があるぞ」
強大な敵を前に、ジャックさんが怯んだようにつぶやく。
霧と砂塵の雲の中を泳ぐようにして、紫色の身体が見え隠れしている。肉厚の蔓が、島中を覆い尽くしているようにも見えた。
「一応、アラストルの雷属性攻撃は使えます」
「そうなのか?」
「ただ、アラストルの体調は万全ではありませんから……」
もう一度撃てるかどうか――。
そう思いながら宿屋の方へ視線を向けると、島民たちを庇うようにプロトワームに立ち向かうヘリアス様とラインさんの姿が見えた。
「いけない!」
さすがに、剣だけで立ち向かえる大きさじゃない。
すると、アラストルの喉の奥から低い唸り声が漏れた。プロトワームを見据える瞳が細くなる。
すでに戦闘態勢に入っている。
竜としての本能なのか、それとも私たちを守ろうとしてくれているのか……。
(もう体力も限界のはずなのに……!)
それでもアラストルは、目の前の魔物に立ち向かおうとしていた。
私はその温かい身体に触れながら、問いかける。
「アラストル、あと少し、力を貸してくれる?」
答える代わりに、二本の角がバチバチと音を立てて光を帯びた。
アラストルは、私の攻撃命令を待っている。
「ありがとう」
私は顔を上げ、前方で蠢くプロトワームを見据えた。
黒竜の属性攻撃指示は、ずっと前に本で読んだきりだ。
初めて口にするその言葉に、ほんの少し緊張を覚えながら、私は口を開いた。
「アラストル。ブロアハトマリア」
アヴァリーサ王国の王女の名を冠する攻撃指示だ。
それを聞いたアラストルの翼がぶるりと震え、咆哮を上げた。
角が輝きを増し、その光が天を貫く。
次の瞬間、雷鳴とともに無数の光の槍が大地を貫いた。
それはプロトワームの身体を次々と貫き、あまりの苛烈さに、思わず目を閉じる。
ゆっくりとまぶたを開くと、宿屋周辺のプロトワームが黒焦げになり、煙を上げていた。
「す、すごい威力!」
これほどの強さを誇る黒竜を擁していながら、アヴァリーサ王国はなぜ滅びたのか……。今さらながら、疑問が浮かぶ。
黒焦げになったプロトワームの上空を飛びながら、私はヘリアス様のもとへ急いだ。
「ヘリアス様!」
こんな時に偽名なんて呼びたくなくて、彼の本当の名を叫ぶ。
ヘリアス様は大きく目を見開き、それから「フィルナ!」と、驚いたような声を上げた。
今すぐ、あの方のもとへ帰りたい! だけど、アラストルは地中に潜むプロトワームを警戒しているのか、降下指示には従わなかった。
「竜ってのはすごいんだな……これなら一気に倒せるんじゃないか?」
ジャックさんは少し興奮気味にそう言った。
私は首を横に振る。
「まだ地中にプロトワームが潜んでいます。徹底的に倒さないと!」
それまでアラストルの体力が持つのか、正直わからない。
その時、宿屋とは真逆の方向へ走る人影がふたつ見えた。
「あれは……アイラさん!?」
どうやら、アイラさんは何かに追われているらしく、必死に逃げている。
その彼女を追いかけているのは、ナイフを手にしたバトラール様だ。
「アイラさんが追われています!」
「させるか」
ジャックさんは低くつぶやき、彼の前に乗っているソルが落ちないよう上体を伏せ気味にして、弓を手に取り、矢をつがえた。
こんな不安定な場所で、風の影響を強く受ける矢が真っ直ぐ届くのか……。そんな私の不安をよそに、ジャックさんの目には、強い殺意と、必ず当たるという確信の光が宿っていた。
「エブリンの仇だ、クソ野郎」
矢が飛ぶ。それは吸い込まれるように真っ直ぐに、バトラール様の右腕を射抜いた。
彼の悲鳴がここまで届き、アイラさんが驚いたようにこちらを見上げる。
「お父さん!?」
「アイラ! すぐそっちに向かう!」
「……うん!」
砂に汚れたアイラさんの顔が、ぱっと明るく輝いた。
お父さんが助けてくれた――その喜びが、彼女の表情にあふれていた。
「待て、アイラ! あの女の娘、絶対に逃がすものか……!」
バトラール様は、憎しみにゆがんだ顔でアイラさんに向かって手を伸ばす。
(早くアイラさんを救出しないと! あの様子だと、何をするかわからないわ)
私はアラストルをアイラさんの近くに降ろそうと、その首筋を軽く叩いた。
その時、地面が不自然に盛り上がった。
(真下に!?)
回避指示を出す前にプロトワームが地を割って飛び出し、その巨体がアラストルの胴に直撃した。
衝撃が全身を襲い、振り落とされそうになる。
必死にアラストルの背中にしがみつき、上昇の指示を出す。だけど、翼の動きが不安定で、まともに飛ぶことすらできない。
(このままだと落ちる!)
ふと、視界の端でプロトワームがバトラール様に向かって大きく口を開いたのが見えた。
「や、やめろ! 今まで生贄を捧げてきたのは私だぞ!? おい、誰か――!」
甲高い悲鳴が響き、私は顔をそむけた。おぞましい咀嚼音が響く。
アラストルは翼をもつれさせ、地面をえぐりながら墜落した。
私たちは宙に放り出され、地面を転がった。だけど、アラストルがぎりぎりまで地上に近づいてくれたおかげで、かすり傷程度で済んだ。
「お父さん、ソル! 大丈夫!?」
「俺は、大丈夫だ」
ジャックさんはアイラさんに手を貸してもらいながら、身体を起こした。
ソルはその周囲を駆け回っている。どうやら、彼らも大きな怪我はないみたいだ。
「フィリスさんも、怪我はありませんか!?」
「ええ、私は大丈夫です。でも……」
私は身体を起こし、横たわったまま動かないアラストルに近づいた。
「アラストル!」
アラストルは私の声に反応して目を開け、尻尾で地面を打った。
そのまま起き上がろうとして、体勢を崩したように、ドシンと音を立てて転倒する。
胸からお腹にかけて激しく上下している。呼吸が荒い。
私が身体に触れようとすると、ぐわっと牙を剥いて威嚇する。
身体が痛いから触るな、という意味にしては、攻撃性が増しているように思える。
「怪我をしたのか?」
ジャックさんがアラストルを見つめながら、そう訊ねる。
「いえ、怪我というよりも……」
私は鱗が剥がれた場所に照明器具を当て、目を凝らした。
皮膚の中を泳ぐ、小さなワームのようなものが見えた。
「線虫感染です」
「寄生虫か」
「マインドワームと呼ばれるものです。プロトワームとの接触で寄生されたんですね。魔物由来のため、侵入速度も、症状が出るのも速い。厄介なのは、竜の脳を刺激し、人間への攻撃性を高めようとすることです」
私は周囲を見渡した。民家はなく、背後には森、前方には海が広がっていた。
ここから離れた場所でプロトワームが暴れているのか、遠くで砂煙が上がっているのが見えた。
道具はないけれど、今なら治療ができるかもしれない。
「この砂浜に貝殻はありますか?」
「あるとは思うが、どうするんだ?」
「駆虫薬を作る器にします。砂浜に近づくと海から魔物が寄ってくる可能性はありますが、時間がありませんから」
「貝殻ならありますよ!」
アイラさんがそう言って、懐から手の平ほどの白い貝殻を取り出した。
ぱかりと貝を開くと、中から丸いガラス玉や小さなアクセサリーが現れた。まるで宝箱みたいだ。
「これは、小物入れですか?」
「はい。お母さんと砂浜で拾った貝なんです。これを器に使ってください!」
「でも、こんな大切な思い出の品を使ってもよろしいのですか? これから竜の血を入れたりしますが……」
「構いません。この竜、大変なことになっているんですよね? 私には何もできませんが、この貝殻がお役に立てるのなら使ってください。きっと母だって、それを望んでいるはずです」
彼女は中のアクセサリー類をすべて取り出して、その貝殻を私に差し出した。
きっと、亡きお母様との思い出がたくさん詰まった代物のはず……。それでも、彼女の表情に憂いはひとつも見当たらない。
外の世界を旅してきたからこそ、竜に対しての偏見はなく、むしろその眼差しには思いやりを感じ取れた。
私はその貝殻を両手で受け取り、大きくうなずいた。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
次回更新は10/15です。