人喰い竜22
「な、何なんだ貴様は……本当に商人なのか!? 銃を恐れずに突っこんでくるなんておかしいだろう!」
「虫に対して名乗るのもおかしな話だが、ヘリアス・アルトリーゼだ」
「は……?」
剣先が地面を擦り、ごうっと音を立てて刀身が燃え上がる。
火花が私の髪を掠め、一瞬だけ、もとの色を浮かび上がらせた。
領主は目を限界まで見開き、唇をわななかせて言う。
「アルトリーゼ? う、嘘だ! あり得ない! お、王の剣がこんな場所にいるはずがない!!」
「私がここで死ねば、アルトリーゼ家の竜騎士、ならびにベルンハルト様がそれを口実にこの島を制圧する。……もっとも、ここで死ぬつもりはないがな」
一歩進むたびに、領主は逃げるように一歩後ずさった。
「そう怯えるな。どうせ我々は地獄で会えるのだから。先に行って待っていろ」
「や、やめろ! やめてください、命だけは!」
領主は足をもつれさせながら、私から逃れようと必死に手を振り回した。
「わ、私が悪かった! 財産は腐るほどある! 何でも差し上げますから、命だけは!」
「領主様?」
場違いなほどに、穏やかな声が緊迫した空気を揺らした。
領主の後ろから現れたのは、アイラ殿だった。
全身泥だらけにしながら、困惑したように領主を見ている。
(まさか、フィルナを探しに行っていたのか?)
まずい――そう思って動き出すより早く、領主の目の奥がぎらりと光った。
やつはアイラ殿の腕を乱暴につかみ、首元に刃を突きつける。
「きゃあ!」
「う、動くな! こいつがどうなってもいいのか!?」
領主は口の端を吊り上げ、ゆがんだ笑みを浮かべた。
そして、アイラ殿の頭に頬をすり寄せ、髪に鼻先を近づける。
「ひっ……!」
「ああ、お前の髪色も悪くない。私を振った女と同じ髪色だ」
「りょ、領主様、一体何を……!?」
アイラ殿の顔が恐怖に強張った。その反応を見て、領主はうっとりと目を細める。
「エブリンだよ。彼女は私を受け入れなかった。殺したいほど憎くて愛しいエブリン……彼女は私の手で、永遠になったんだ。泣き叫んで逃げ惑う姿は、最高だったよ!」
アイラ殿の瞳が激しく揺れた。
怯えに染まっていたその瞳に、次第に憎しみの光が宿っていく。
「お母さんを殺したのは、あなたなの?」
「ああ、そうさ! 今からお前も同じ目に――」
言葉を言い終える前に、領主の左目から鮮血が散った。
「ぎゃああっ!」
刃を取り落とした隙に、アイラ殿が身をよじって腕の拘束から逃れる。
私の手には、あの紫色の結晶があった。
「痛い! 痛いぃぃぃぃ! な、何かが目に、飛んできた!?」
「妻から預かっていた紫色の結晶だ。その身で存分に味わえ」
「あぁぁぁぁ! ヘリアスゥ!!」
領主は、片目から血を噴き出しながら、激しい憎悪を私に向けた。
私は冷ややかに口の端をゆがめる。
「エブリン殿が受けた苦しみに比べれば、軽いものだろう」
「俺とお揃いですねぇ、領主様。案外そっちのほうが男前じゃないですか?」
そう言って笑うラインに、領主は屈辱に顔を真っ赤に染め、何かを言おうと口を開いた。
だが舌がもつれるらしく、言葉らしいものは出てこない。
「領主を拘束する。お前はアイラ殿を保護しろ」
「了解」
私が指示を出した、その瞬間――地響きがして、地面が爆ぜた。
轟音とともに土砂が噴き上がり、巨大な影が地中から躍り出る。
土砂の雨を振り払いながら、私は舌打ちした。
「プロトワームか!」
領主とアイラ殿の姿は、プロトワームの向こうに隠されて見えなくなっていた。
「う、うわああ!」
「どこに逃げればいいんだよ!」
混乱し、我先にと走り出す島民たちに向けて、私は叫んだ。
「全員、宿の方へ下がれ!」
私の声が届いたのか、逃げ惑っていた島民たちが一瞬動きを止め、それから少し冷静になったように女性たちを誘導し始める。
「俺たちにはフレデリックの旦那方がついてる! みんな、落ち着けー!」
オリバー殿が率先して島民たちを誘導しているのが見えた。
それを視界の端に捉えながら、私はぎっしりと身の詰まった巨体を斬り裂く。
プロトワームは唸り声を上げ、粘液をまき散らしながら地中へ潜りこんだ。
前方には、プロトワームの身体から生えた、分身とも言える無数の触手が姿を現していた。
「どうします? こんなもの、すべて相手にしていられませんよ」
ラインが、こちらを捕食しようとする触手を警戒しながら言った。
竜さえ呼べていれば……と、悔しさがこみ上げた。
夜のうちに光信号が届いていれば、今ごろ目の前の魔物をすべて焼き尽くしていただろうに。
(霧が晴れかけている今なら、光信号は届くかもしれないが、信号を送る暇があるかどうか)
こいつが動き出したということは、生贄を捧げても制御できないほど暴走しているということだ。
島民がすべて食い殺されるのも、時間の問題だろう。
どうする……。そう考える間もなく、雷鳴とともに、激しい閃光が天から降り注いだ。
視界を白く染めるその光は間違いなく雷だが、自然現象とは思えない。
触手は光に蹂躙され、醜い悲鳴を上げて弾け飛んだ。
「これは……!」
天を仰いだ先で、雷光をまとう黒い影が横切る。
その威容に、思わず息を飲んだ。
「黒竜!?」
「まさか! どこから!?」
ラインもまた天を仰ぎ、驚愕の声を上げる。
その瞬間、頭上から澄んだ声が響いた。
「ヘリアス様!」
その声は、私にとって唯一無二の安心をもたらすものだった。
黒竜の背には、待ち焦がれていたフィルナの姿がある。
「フィルナ!?」
私の呼びかけが届く前に、黒竜はプロトワームの攻撃を警戒して通り過ぎてしまった。
フィルナの姿を見たのは一瞬だったが、大きな怪我はなさそうだった。
彼女の代わりに、大きな黒い羽根が目の前に落ちてくる。
「おやおや、勝利の女神様が竜に乗ってご登場ですか!」
ラインが茶化すように言ったが、その目には確かな希望が宿っているように見えた。
同意するようにうなずき、その美しい姿に目を細める。
深い安堵と歓喜に、胸が震える。
「あなたはいつだって、私の予想を超えてくる」