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竜医師としての役目を

「どうした」

「実は、フィアートが感染症にかかった可能性があると――」

「隔離は済んでいますか?」

「え?」


 私はヘリアス様よりも早く立ち上がり、そのメイドに迫っていた。

 戸惑いの表情を浮かべる彼女に、私ははっと我に返る。


「す、すみません! 出過ぎた真似をしました!」

「いや、いい。そのまま報告を」


 ヘリアス様は特に気にした様子もなく、メイドに先を促した。

 彼女は表情を引き締めて、竜の症状を報告した。


「風属性の竜、フィアート。再び全身を痒がる仕草を見せました。原因は不明です」

「わかった。直接症状を確認しよう」

「私も同行します」


 すかさず声を上げると、メイドが疑わしげな顔をした。


「奥様が?」


 真意を探るような目に内心怯みそうになる。だけど、竜医師として引くわけにはいかなかった。

 ヘリアス様は彼女から書類を受け取り、軽く視線を滑らせると、それを私に差し出した。


「身体を痒がるのは季節の変わり目でよくみられる症状だが、フィアートはその症状がひどいため、昨日の晩から隔離している状態だ」


 私はその書類を受け取り、内容を素早く確認する。


「この症状、近頃流行っている人獣共通感染症の症状に似ていますね」

「たしか、高熱が出る感染症か? 熱はないが」

「ええ、だからこそ発見が遅れて、竜の間で感染が広がっているようです」

「治るか?」


 ヘリアス様の形のいい眉がきゅっと寄せられる。怒っていると思ったのか、メイドの顔が強張った。

 怒っているように見えるだけで、本当は心配しているだけだとは思うけど、迫力があるからその気持ちはわかる。


「はい、ノイギアの薬で治ります。薬の効果で多少興奮状態にはなりますが、三十分ほどで落ち着き、痒みの症状も改善されます」

「そうか」


 ヘリアス様の目元がわずかに緩む。その様子を見たメイドは目を丸くした。

 ラインさんは、なぜかにこにことご機嫌な様子で言った。


「すごいですね奥様! すぐに原因を特定してしまうなんて!」

「いえ、実際にこの目で確認するまでは、本当の原因まではわかりませんが……。ヘリアス様、私も竜舎に向かってよろしいですか?」

「ああ、頼む。彼女を隔離部屋まで案内してくれ」

「か、かしこまりました!」


 メイドは慌ててうなずいた。彼女の表情から、私に向けていた不信感のようなものが薄れたように感じる。


「それでは奥様、隔離部屋までご案内いたします」

「お願いします」


 奥様。その響きに内心ドキッとしながら、私は彼女につづいて部屋を出た。

 結婚当日。しかも城に到着してすぐの初仕事。

 また使用人たちに変な目で見られるかもしれない。新しい場所に慣れなくて不安でいっぱいだけど、それでも私は、竜医師としての役目をまっとうする。


◇◇◇


 竜優先の理想通りの令嬢で、優秀な竜医師。

 私のような最低な男と結婚することになった、哀れな女。

 妻となったフィルナ・キントバージェの印象など、それ以上でも以下でもなかった。

 

 私は手元にある彼女の作成した報告書を見て、思わず感嘆の声を上げていた。

 簡潔でありながら、竜それぞれの健康状態や予期される病気の予防法などが無駄なく記されている。

 感染症にかかったフィアートの経過も良好とあり、私はその結果に満足げにうなずく。


「彼女は本当に、あの女の姉なのか?」


 そう疑問に思ってしまうほど、あの姉妹は両極端な性格をしていた。

 元婚約者であるリスティーは、竜が病気になったと報告を受けると頬を引きつらせて、「私に移ったらどうするの!?」と嫌そうに言い放った。よりにもよって、私の目の前で。

 私の存在に気づいたリスティーは顔を青ざめて、悲鳴を上げながら部屋に逃げこんだ。

 それきり、会話らしいものをした覚えはないし、視界にも入れなかった。結婚前から、私たちの生活は破綻していたのだ。

 しかし、フィルナはあの女と違って、「竜が」と発言するだけで竜舎へと駆け出すような人だった。


「いやぁ、驚きましたね」


 考えに没頭していた私は、ラインの声で我に返った。


「まさか本当に、ヘリアス様のご希望通りのご令嬢が存在したとは」


 裁判の報告書を私の机に積み上げながら、ラインは皮肉っぽく言った。とはいえ、その笑みに悪意はない。新たな妻となった女性への素直な称賛と、無茶振りを言った私へのちょっとしたあてこすりである。


「そして、美しく勇敢だ。ヘリアス様、せっかくうちに来てくださったんですから、あまり怖い顔をしないようお気をつけください」

「やかましい」


 しっしと雑に手で払うと、ラインは誠意のこもっていない謝罪を口にして、部屋から出ていった。

 フィアートの病気も治り、ドゥルキスの食べ飽きも改善された竜舎は平和そのものだ。

 リスティーに引っ掻き回され、ギスギスとしていた生活が嘘のようだ。


「彼女が来てから、か」


 背後のベイウインドウの向こうには、緑豊かな平原が広がっていて、今は土属性の茶色の身体をした竜たちがのびのびと転がっている。大きな欠伸をしている竜を見ていると、自然と心が凪いだ。

 しかし、例の妻の姿が見当たらない。それに少なからずがっかりしている自分に驚き、首を横に振る。


(きっと、あの青い瞳のせいだ)


 彼女の瞳が印象に残っているのは、彼女が目をそらさないからだ。

 私と対面すると緊張した顔をするが、今まで恐れを向けられたことは……いや、一度だけ、「父の話題をするな」と言った時。その時だけだ。

 五年前の事件を知る者は、みな私を恐れた。アルトリーゼ家の使用人ですら顔を青ざめるというのに、彼女は私の目を真っ直ぐに見て、「はい、お任せください」と快い返事をする。

 春の空を思わせるあの青い瞳に、不思議と視線が吸い寄せられる。

 私に立ち向かってくる勇敢な女性。その反応が珍しいだけ。そう結論付けて、裁判の記録に手を伸ばしたところで扉がノックされ、補助竜医師の青年が顔を出した。

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