実家に戻ります
私たち三人は、屋敷内のウィル様の執務室に移動し、テーブルを挟んで向かい合っていた。
もちろん、ウィル様の隣に座っているのはリスティーだ。
「この離婚状にサインをしてほしい」
そう言って、ウィル様は事務的に離婚状を差し出した。
彼の心はもう、私に向いていない。そのことを嫌でも理解する。
(いいえ、最初から好意なんて向けられていなかったのかもしれない)
私は離婚状を受け取りながら、今までのウィル様の態度を思い出す。
ウィル様は私を女性として大切に扱ってくれたけど、妻というよりも友人としての距離感を保っていた、ように思う。
私はそれに気づかないふりをして、「いつかは本当の夫婦になれるかもしれない」なんて甘い幻想に浸っていた。
現実では、初夜を迎える前に離縁を言い渡されてしまったけれど。
(本当に馬鹿みたいだわ)
泣き出したくなるのを必死にこらえながら、ペンを手にとった。
書類から視線を上げると、ウィル様は不安そうに抱きついてくるリスティーの頭を優しくなでていた。
(そういえば、ウィル様はあまり私に触れようとはしなかったわね)
あの指先の温かさを、私はもう覚えていない。
私は小さく首を横に振って、あふれそうになる悲しみと怒りを振り払った。
「ウィル様。サインはしますが、その前にひとつ質問があります。エアルはどうなるのですか?」
「あれはもう俺の竜だ。それに、エアルの潜在能力を解放したウタヒメと引き離すことはできない」
「つまり、私の財産であるエアルだけは置いて、お前は出ていけ。そうおっしゃっているのですね」
私が指摘すると、ウィル様はむっとした顔で言った。
「そんな言い方はしていないだろう! まるで俺が薄情者みたいじゃないか、嫌味な女だな。だから俺は、こんな可愛くない女と結婚したくなかったんだ!」
鋭い刃で胸をえぐられたような激痛が走り、息が詰まった。
(最初から、私との結婚なんて望んでいなかったんだ……!)
上手く呼吸ができなくて、気が遠くなりそうだった。それでも持ちこたえられたのは、エアルのことがあったからだ。
流石に言いすぎたとでも思ったのか、ウィル様は突然「すまない、フィルナ」とその目に気遣うような色を宿して言った。
「きみには悪いことをしたと思っているし、きみとエアルと引き離すつもりはないんだ。だから、きみさえよければ、今後もフィーニス家の竜医師として、ここで働いてほしい」
「はい?」
「そうか、了承してくれるか! きみがいてくれると本当に助かるよ! リスティーのためにも今まで通り、きみが竜の世話をしてくれ」
了承の意味で発した言葉ではないのに、何を勘違いしたのか、ウィル様はほっとしたように笑った。
竜医師の資格を持つ令嬢であっても、私のように自ら竜の世話をする人はほとんどいない。竜の食事、竜房の掃除、散歩などはすべて身分の低い者……補助竜医師の仕事と考えているからだ。
だからこそ彼は私に、リスティーの代わりに竜の世話をしろと言っている。
今まさに、離縁を言い渡したその口で。
こんなことがあり得るのか、と私は耳を疑った。
ウィル様は上機嫌につづける。
「まあでも、フィーニス家の竜医師はリスティーになるから、きみは補助竜医師に降格になってしまうけど、出戻りになって修道女として落ちぶれるより、俺の家で竜の世話をしていた方が幸せだろう? うん、そうしよう、竜たちもきみに懐いているし、俺も気が楽だよ!」
ずいぶんと都合が良い、身勝手な言い分に、沸々と怒りが湧いてくる。
ウィル様に恋をして、幸せになれると浮かれていた私が情けなくて、馬鹿みたいだ。
私はひとつ深呼吸して、意を決したように口を開いた。
「わかりました。離婚状にサインし、私は実家に戻ります」