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人喰い竜13


 私はシーラと一緒に宿屋へ戻り、アイラさんにこれまでの事情を説明した。

 魔物の襲来と聞いて、最初こそ動揺した様子だったけれど、避難所とすることについては快く承諾してくれた。

 魔物の話はあっという間に広まったらしく、不安を覚えた人々が続々と宿屋に訪れる。


「奥様、避難してこられた方を部屋にご案内しようと思ったのですが、ひとつだけ部屋の扉が開かなくて……」

「アイラさんに聞いてみましょうか」


 アイラさんを探そうと階段を降りると、戸口に彼女の後ろ姿が見えた。


「こんな大変な時に、まだ人喰い竜を追いかけるつもりなの!?」


 どうやら、誰かと言い合いをしているみたいだ。

 彼女の前に立っていたのは、お父様のジャックさんだった。彼の足元には、あの大きな狼も座っている。

 アイラさんは「はあ」と深いため息をついてから、再び口を開いた。


「また置いていくの?」


 恨みのこもった声だった。

 それに対する答えはない。


「お母さん、言ってたよね。薬なんていいから、そばにいてって……」


 ジャックさんはじっとアイラさんの顔を見つめている。

 何も言わない彼に苛立ったように、アイラさんは語気を強める。


「お母さんを殺したのは竜じゃない、人間の仕業だよ。だって私は見たんだ。宿からお母さんを連れ出す人影を! どうして誰も信じてくれないの? 子供の言うことは、そんなにも信用ならないの!?」


 アイラさんの悲痛な叫びに、私はそっと目を伏せる。


(アイラさんはちゃんと見ていたんだ……)


 きっと、事件当時もそう証言したに違いない。

 だけど、人喰い竜の犯行に仕立てようとした人間によって、その証言は潰されてしまったのだと思う。


「ねえ、どうしてすぐに帰ってきてくれなかったの? 島の外で女でも作ってた?」

「違う」

「じゃあ、どうして? お父さんがいてくれたら、お母さんを助けられたかもしれないのに!」


 ジャックさんは黙ったまま、アイラさんに背を向けた。

 狼も立ち上がり、どこか心配そうにジャックさんを見上げている。


「……俺には、俺のやるべきことがある」

「ああ、そう。だったら永遠に人喰い竜の影でも追いかけてなよ! 二度と顔を見せるな!!」


 アイラさんがそう吐き捨てると、ジャックさんはゆっくり歩き出し、深い霧の向こうへと消えていった。

 彼女はぐすっと鼻をすすり、こちらを振り返る。私たちの姿を認めて、目を丸くした。


「あ……フィリスさん」

「すみません、盗み聞きをしてしまって」

「こ、こちらこそ、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません! 宿の出入口で喧嘩をしていた私が悪いんです!」


 「あはは」と、アイラさんは目に涙を浮かべながら弱々しく笑った。

 私は彼女に近づき、そっと肩に触れる。


「少し、お休みになられてはどうですか?」

「ありがとうございます。でも、動いていた方が、あれこれ悩まなくて済みますから」


 そう言って涙を拭うと、彼女ははっと弾かれたように顔を上げた。


「そうだ、喧嘩をしている場合じゃなかった! あの、エマを見ませんでしたか?」

「いえ、見ていませんが……」


 シーラに視線を向けると、彼女も首を横に振った。


「どうしよう……さっきから探しているんですけど、どこにもいないんです。いつもなら就寝している時間なのに、部屋にもいなくて」

「まさか、この時間に外出を?」

「……誰かに、連れ去られたのかも」


 アイラさんの顔から血の気が引いた。エブリンさんのこともあるし、完全には否定できない。


「アイラさん。私がエマさんを探してきますから、避難してきた方の案内を頼めますか?」

「え? ですが……」

「大丈夫です。魔物対策に銃を携帯しますから」

「奥様が行くなら、私も行きますからね!」


 シーラは胸を張り、やる気満々な様子を見せた。

 アイラさんは心配そうにしながらも、こくりとうなずいた。


「わかりました。エマをよろしくお願いします。おふたりとも、どうかお気をつけて」

「はい。必ず見つけ出します」


 私たちは装備を整えて宿屋を出た。照明で周囲を照らし、エマさんの名を呼びながら、深い霧に包まれた道を進む。


(海岸に向かってないといいのだけど……)


 あせりを覚えながら視界の悪い道を進むと、霧の向こうに揺れる光が見えた。照明器具の明かりだ。

 海岸に向かわないよう注意喚起をして回っている男性たちだ。


「あの、すみません!」

「おや、先生。どうされましたか?」

「アイラさんの宿屋にいたエマさんという女の子をご存じありませんか? いつもフードを被っていて、これくらいの身長の……」


 男性ふたりは首を横に振ったけど、ひとりの男性が「あ、そういえば!」と声を上げた。


「それらしい子をさっき見かけた気がするよ」

「どこに行きましたか?」

「そっちの山の方かな。領主様のお屋敷に通じる道の隣にある道で、あまり人が通らない獣道だけど」


 彼が指差した方向には、バトラール様のお屋敷に通じる整備された道と、茂みに覆われた道らしきものが見えた。


「危ないから声をかけたんだけど、『呼ばれているから』って言って、あっという間に歩いて行ってしまったんだ。本当についさっきの話だよ」

「ありがとうございます!」


 私たちは彼らと別れ、エマさんが向かったという獣道に足を踏み入れた。


「草が、はあ……すごいですね! 人が歩けるような場所じゃないですよ」

「そうね。エマさん、どうしてこんなところに入ったのかしら。早く追いついて連れ戻さないと」


 草をかき分けるたびに虫が飛んできて、びくっとしてしまう。

 いけない、気を強く持たないと。

 霧の水滴なのか汗なのかわからないけれど、服が張りついて不快だった。


 その時、前方に開けた場所が見えた。

 小屋もあり、窓から光が漏れている。

 ゆっくり近づくと、次第に人の話し声も聞こえてきた。

 私たちは木の陰に身を潜め、小屋とその周辺にいる人物を確認する。

 そこにいる人たちに見覚えがあり、私は目を見張った。


「あそこにいる人たちって、宿屋に嫌がらせをしていた人たちじゃない?」

「自称ヘリアス様の弟子じゃないですか! どうしてこんなところに……あ、見てください奥様! あそこにいるのは、あの検死官ですよ!」


 彼女の言う通り、そこには嫌がらせをしてきた五人以外にも、例の検死官の男性もいた。

 彼は小屋の近くにある大きな穴のそばに立っていて、ここからでもわかるくらいに身体を震わせていた。


(大きな穴だわ。ヘリアス様が言っていたのと同じような……。エマさん、ここには来ていないわよね?)


 もし彼らに捕まっているなら助けないと。心に決めたその時、小屋の扉が開き、中からバトラール様が現れた。

 隣でシーラが息を飲む気配がした。

 バトラール様は検死官の前に立つと、深いため息をついた。


「本当に役に立ちませんね、お前は」

「お、お許しを、領主様!」


 そう言って、検死官は祈るように両手を組んだ。

 バトラール様はゆるゆると首を横に振る。


「あの娘の髪と宿屋を手に入れて、そのあとはアネシドラー様への供物にするつもりだったのに……お前には失望しましたよ」


 やっぱり……と疑いが確信に変わる。

 アネシドラー様への供物とは、地中に棲む魔物へ人間を捧げること。

 結晶を独占しようとして嫌がらせを仕掛けたのも、検死官や警吏たちを使ってアイラさんを拘束させたのも、すべてこの人の指示だったんだ。


「トーマスを始末したまではよかったのに、エブリンの髪をどこかに失くすなんて。私の心を慰めてくれる、美しい髪だったのに」

「あの海岸にあるはずなんです! もう一度私にチャンスをください! 必ず見つけ出しますから!」


 検死官は目に涙を浮かべながら懇願する。

 ここからだと、バトラール様の表情は見えない。彼は検死官に近づくと、とんっと軽く肩を押した。

 ふわりと検死官の身体が浮き、彼は大きく目を見開いている。


「アネシドラー様のもとへ還りなさい」


 検死官はバトラール様の名を叫びながら、穴の中へと落ちていった。

 私は悲鳴を上げないように、とっさに口を押さえる。

 人を殺すことに、まったく躊躇いがなかった。

 これが初めてじゃないんだ。


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