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前の婚約者の影響


(何度見ても立派なお城だわ……)


 アウデンティア公国のアルトリーゼ城に足を踏み入れた私は、軍隊のように一糸乱れぬ動きで出迎えた使用人の数に目を回しそうになった。

 両側にずらりと並んだ使用人たちに見守られながら、私はヘリアス様と共に臙脂色の絨毯の上を歩く。


(でも……やっぱり歓迎されていないみたいね)


 彼らの冷たい目を見れば、使用人たちが私を信用していないのは明白だった。

 憎悪すら向けられている気がする。

 彼らの視線から逃れるように応接室に入ると、ヘリアス様がため息交じりに言った。


「すまない。前の婚約者の影響だ」


 契約をしたあの日のように向かい合って座りながら、ヘリアス様は「注意したはずだが」と腕を組んで不満そうにつぶやく。


「あの女がやって来てから、心を病んで身体を壊した者も多い。あなたと彼女は違うと理解はしているだろうが、同じキントバージェ家だからと警戒しているのだろう。不快な思いをさせたことを謝罪する」

「いえ、私のことを警戒するのは当然のことです」

「しかし……」


 竜騎士の信条に反するのか、ヘリアス様は険しい顔をした。

 私はあえて笑顔を浮かべて、首を横に振る。

 これ以上、このお方に甘えるわけにはいかない。


「日常的に高圧的な態度をとられて、相手の顔を見ることすら恐怖となる日々は、私にも理解できますから」


 実の両親、妹、かつての夫。彼らの蔑むような目が、その言葉が、ぽつぽつと泡のように脳裏に浮かんではパチンと消える。


「奥様がそのような扱いを受けておられたとは……」


 ヘリアス様の後ろに控えていたラインさんが、眉を寄せて言った。ヘリアス様も厳しい顔をしている。

 失言をしたと気づき、顔から血の気が引いた。


「も、申し訳ありません。自分語りをするつもりはありませんでした。お忘れください」


 同情を引くなんて、卑怯なやり方をしてしまった。私は自分の失態を悔しく思いながらも、気持ちを切り替えるように姿勢を正した。


「使用人ひとりひとりも大切な財産です。決して、いたずらに彼らを傷つけないこと、そして竜を何よりも優先することを誓います」


 左胸に手を当てて宣言すると、ヘリアス様とラインさんは目を見張った。

 彼らの意外な反応に、ほんの少し不安になる。


(竜騎士の家の流義と契約内容は理解していたつもりだけど……)


 私はおずおずとヘリアス様に訊ねた。


「もしかして、何か間違っていたでしょうか?」 

「いや、間違いではない。そうしてくれるとこちらも助かる」


 ヘリアス様に同意するように、ラインさんがうなずきながら言った。


「驚きましたねぇ。まさか本当にヘリアス様の無茶振りを叶えるお方が存在したなんて」

「無茶振り?」

「ライン」


 ヘリアス様はラインさんをにらんでから、私に視線を戻した。


「しつこいようだが、もう一度だけ契約内容を確認する」

「はい」


 ヘリアス様の提示した契約結婚の内容は前回と変わらない。

 何事にも竜優先であること。

 お互い、愛のある結婚生活を期待しないこと。

 ヘリアス様の父親の話題を口にしないこと。


「契約結婚とはいえ、あなたに窮屈な思いをさせたいわけではない。迷惑にならない範囲で好きに生活してほしい」

「はい。ありがとうございます」


 契約内容に不満はないため、私は素直に感謝を口にした。

 これからヘリアス様を夫として愛さなければならない、という生活よりもずっと気が楽だ。

 ヘリアス様は、私の竜医師としての知識と経験を信頼してくださっている。少しでも、この誇り高き竜騎士のお役に立ちたい。

 私は決意を固め、ヘリアス様の目を見つめ返した。

 すると、ヘリアス様は少し面食らったような表情をした。

 初めて見る表情に私も驚きながら、「美形は驚いた顔も綺麗」と暢気なことを考えていた。


「あなたは私の目を見る」

「え? はい」


 人の目を見て話すことは特別な行為ではない。お父様やお母様のことは怖かったし、絶対にいつも目を見ていたというわけではないけれど。


(ヘリアス様も真っ直ぐに私を見ていたから、何の疑問も持っていなかったけど……変かしら?)


 ヘリアス様は言いづらそうな顔をして、ぽつりと言った。


「あなたは、私を――」


 最後まで言い終わる前にノック音が響き、扉の向こうからメイドが姿を現した。

 その時には、ヘリアス様はいつもの冷厳とした表情に戻っていた。

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