人喰い竜8
アイラさんが人喰い竜を使って人を殺した。
瞬く間にその噂が広がり、宿屋の近くの雑木林には、ざわめきとともに人だかりができていた。
その中心には、うつ伏せに倒れた男性がひとり。
背中には赤黒い三本線が刻まれ、まるで逃げようとした彼を竜の爪が引き裂いたかのようだった。
「そんな……トーマスさん!」
凄惨な現場へと連れてこられたアイラさんは、男性の無残な姿に悲鳴を上げた。
その声に、島民たちが一斉に彼女へ視線を向ける。
「まさか、あのアイラちゃんが……」
「なんて恐ろしいことを」
「島の外になんて行くからだ。きっとそこで竜を使う技術を学んだのさ」
ざわめきの中、アイラさんを犯人とするささやきが広がっていく。
誰もが彼女を化け物でも見るような目で見ていた。
軽蔑と恐怖の視線にさらされ、アイラさんは小さく身体を震わせている。
(……わざとここにアイラさんを連れてきたのかしら。まるで見世物のようだわ)
私たちは状況を把握するため、アイラさんを連れていく警吏たちの後を追ったのだけれど……先ほどから不自然なことばかりだ。
(遺体がここにあるということは、まだろくに検死もされていない。それなのに、遺体発見とほぼ同時のタイミングで警吏がアイラさんを拘束し、さらに部屋からは証拠品が見つかるなんて……)
これはもう仕組まれていると言っていい。
やがて警吏のひとりが前に進み出て、布に包まれた竜の爪を高々と掲げて叫んだ。
「気をつけろ! この女は人喰い竜を信仰している! そしてその悪しき竜を使い、トーマスを殺害した! その証拠に、この女の宿から血に塗れた竜の爪が見つかった!」
人々は布に隠されたそれを見て、ざわめきとともに怯えた声を上げた。
竜の爪や鱗は、島の外でならいくらでも買える。
証拠品の爪がどこから入手されたものかはわからないけれど、そのことを知らない島民たちは、ますますアイラさんへの疑いを強めていった。
「私じゃありません! 竜の爪も知りません!」
アイラさんが必死に否定するけれど、誰も彼女を擁護する者はいなかった。
アネシドラー様と敵対する人喰い竜を信仰しているというのは、島民にとって何より重い罪らしい。
イーリス教と対立するセイレニア教の関係と似たようなものかもしれない。
「死因は竜だ」
そう言って、遺体を確認していた男性が立ち上がる。
彼の口元には、妙に自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
「検死官の俺が言うんだ。まず間違いねぇ。背後から竜に襲われて即死。その時に抜けた爪を、アイラが隠し持っていた」
「違う! 私は知りません!」
「どうだかな」
検死官は、怯えながら必死に否定するアイラさんを見て、にやにやと嫌な笑い方をした。
「なあ、みんな。こいつが犯人だと思うよな?」
島民たちは顔を見合わせ、黙りこんだ。
彼らは検死官の言うことを信じ、トーマスさんが竜に殺されたのだと思っている。この空気は簡単には変わりそうにない。
アイラさんは絶望で顔を青ざめさせた。
その反応を見て、検死官は勝ち誇ったように笑った。
「馬鹿な女だなぁ。残念だが、全部バレてるんだよ。お前が人喰い竜を使ってトーマスを殺したってことがな!」
「竜ではありませんよ」
私の声は、思ったよりよく響いた。
人々の視線が一斉にこちらに向く。
検死官の男性が、怪訝そうな顔をして私を見た。
「誰だあんた? というか、勝手に死体に近づくな!」
「竜の犯行だと言われて、気になったもので」
私はトーマスさんの背中をじっと観察してから、ゆっくり立ち上がる。
「竜じゃないだと? 何を根拠にそんなでたらめを言うんだ!」
「本当に人喰い竜に襲われたのなら、こんなに綺麗な状態で死体が残るはずがありません。四肢の欠損もありませんし、足で踏み潰された痕もない。そもそも爪で攻撃するより、食らいついて攻撃する方が早い」
私の言葉を聞いた人々は、ぞっとしたように顔を引きつらせた。
そのうち数人は、納得したようにうなずいている。
「た、たしかに……言い方は悪いかもしれないが、獣に襲われたにしては、遺体が綺麗すぎる気がするな」
「そうよね。人喰い竜なのに、食べてないわ」
島民たちの反応を見て、検死官は気色ばんで声を荒げた。
「な、何なんだあんたは! 突然現れて、俺の検死に文句を言うんじゃねぇ!」
「すみません、気になったものですから」
「俺はな、この島の葬儀屋で検死官だ! 人体のことなら誰よりも知ってる! ただの素人のくせに、この俺に口出しするな!」
「その人、優秀な獣医さんだよ」
そう冷静な声が飛んだ。
そこにいたのは、あの牧羊犬の飼い主であるオリバーさんだ。彼は検死官をじろっとにらみつけて言った。
「人体のことならたしかにあんたの方が知ってるかもしれないが、竜のことなら、外から来たフィリス先生の方がわかるんじゃないのか?」
「そうですよ、奥様は竜のことにも詳しいんです!」
えっへん、とシーラが得意げに胸を張った。
このふたりの後押しはとても心強い。支えられた気がして、背筋がぴんと伸びる。
「獣医だと? 女のくせに、出しゃばりやがって」
「はあ!?」
シーラが顔を真っ赤に染めた。
私は彼女が言い返す前に、手でそっと制止する。
そして、検死官を見据えて言った。
「頭部の外傷に触れずに、背中の傷が致命傷だと判断したのはなぜですか? 女の私に口出しされたくなければ、正確で公平な検死をお願いします」
検死官はうっと言葉を詰まらせて、後退りした。
「この……女のくせに生意気な!」
「馬鹿野郎! 先生のことを悪く言うんじゃねぇ!」
とオリバーさんが自分のことのように怒鳴り、さらに庇ってくれた。
すると彼に賛同するように、次々と援護の声が上がった。
「ろくに検死もできないくせに、偉そうにするな。少しはフィリス先生を見習え!」
「俺の親の検死も、そうやって適当なことを言ってやがったのか!?」
そう声を上げたのは、あの時同じ船に乗っていた人たちだ。
味方だと思っていた島民たちに責められ、検死官は顔を真っ赤に染め、ぶるぶると身体を震わせた。
「貴様らは、俺よりもこの女の言うことを信じるのか!?」
「優れた能力があるのなら、男も女も関係ありませんよ」
宥めるような声が響いた。
私はその声のした方に視線を向けた。
現れたのは、ブロンドの髪をした身なりのいい男性だった。
彼は私たちの顔を見回し、にこりと微笑んだ。
その瞬間、島民たちは全員その人に向かって、祈るように両手を組んで頭を下げた。
まるで、目の前に神が現れたかのように……。