人喰い竜6
※ほんのわずかですが、地震の表現があります。苦手な人はご注意ください。
私たちが宿の近くに戻った頃には、すでに日は傾いていた。
薄っすらとかかる霧で夕日の輪郭がぼやけ、溶け出したオレンジ色が空全体を覆うように広がっている。
ヘリアス様は、周囲を漂う霧に眉を顰めながら言った。
「私とラインは、このまま古代竜とセイレニア教の調査をつづける。その前に、島の外にいる竜騎士に竜を呼べるかどうか連絡を取る。安全を確認できるまでは宿にいてほしい」
「わかりました」
私は素直にうなずいた。
竜騎士のヘリアス様とラインさんの足手まといにはなりたくない。
銃を持っているからといって、驕ってはならない。私には彼らと肩を並べるほどの経験も知識も……人の命を奪える覚悟もないのだから。
私とシーラは、ふたりの背中を見送ってから宿屋の中に入った。
「奥様。この島に竜を呼んで大丈夫なのでしょうか?」
「この島の人たちには怒られるでしょうけど、セイレニア教がいるということは、大型ラドロンもいる可能性があるわ。そうなれば、竜が必要になる」
「そ、そうでした! あんな大きな魔物が何体もいると考えたら……」
シーラは天青の神殿のことを思い出したらしく、ぶるりと身体を震わせた。
「でも奥様、この島はアネシドラー様が守っているんですよね? ラドロンは入ってこれないのでは!?」
シーラがぱっと顔を輝かせる。
私はわずかの間、思考した。
「……アネシドラー様がどうやってこの島を守っているのかわからないけれど、もし竜と同じく、魔物の天敵という意味で寄せつけないのだとしたら、竜笛で操られているラドロンには効果が薄いかもしれない」
「あ、そうか、セイレニア教のラドロンは操られていましたね! うーん、アネシドラー様の神パワーで何とかしてほしいです」
はあっと、シーラがしょんぼりと肩を落とした。
私は慰めるように彼女の肩に触れ、微笑んだ。
(この霧じゃあ船も動かないかもしれない……。竜を呼べるのかしら?)
呼べなかった場合に備えて、色々と考えをめぐらせながら、私たちは食堂に入った。
すると、キッチンにいたアイラさんが「お帰りなさい」と笑顔で迎えてくれた。
私たち以外には誰もいない。照明に淡く照らされた空席が、何だか物悲しさを漂わせている。
アイラさんは、その顔に寂しさをにじませながら笑った。
「いつもなら、この島の人たちがお酒を飲みに来てくれるんですけど、あの嫌がらせが始まってから、やっぱり入りづらいみたいで」
「そうなんですね……」
「ですが、こんなことではめげませんよ! 鹿肉を使用したとっておきの夕食を作りますから、楽しみに待っていてくださいね!」
そう言って、アイラさんはてきぱきと調理道具を並べ始めた。
シーラが「鹿肉ですって!」と、よだれを垂らしそうなほど顔を緩ませている。
(今ならお客さんもいないし、古代竜のことを何か聞けるかもしれない)
そう思った私は、テーブル席に向かう前にアイラさんに訊ねることにした。
「アイラさん。この島には、本当に一頭も竜がいないんですか?」
アイラさんがきょとんとしてこちらを見たその瞬間、カウンターテーブルにドンッと音を立てて大きな革袋が落ちてきて、私の心臓が飛び上がった。
(な、な、何なの!?)
革袋の方へ視線を向けると、そこにはひとりの男性が立っていた。
六十代くらいの、鋭い眼光の男性だ。
夜に紛れるような暗い色の服を着て、弓を背負っている。猟師のようだ。
伸ばしたままの灰色の髭と、帽子の下から覗く目が、じっとこちらを観察している。
(誰……?)
思わず背筋が伸びる。
そこで私は、男性の足元でこちらを見上げている生き物に気づき、ぱあっと胸が高鳴った。
(狼だ!)
灰色の大きな狼が、じっと私を見つめている。
きりっとした目元やぴんと立てられた耳、ふさふさの大きな尻尾に思わず目が奪われる。とっても可愛い。
「お嬢さん」
その声に、はっと我に返る。
唸る獣のような低く響く声だった
「外の常識は知らねぇが、この島では、竜は人間の敵だ。楽しい旅行にしたいなら、その話題は二度と口に出すんじゃねぇ」
「わかったか?」と念を押すように、ぎらりと目が輝く。
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!」
すかさず抗議したシーラだけど、男性にじろりとにらまれて、思わず口をつぐむ。
「お父さん、やめて! お客様に失礼でしょ!」
男性は、怒りを露わにするアイラさんをちらりと見た。
この人、アイラさんのお父様だったのね。
「客はこのふたりだけか? 何があった」
「嫌がらせを受けてるの」
「……誰に?」
「さあ」
アイラさんは視線をそらした。
彼はしばらくアイラさんを見つめていたけれど、黙ったまま食堂を後にした。
彼の相棒の狼が、タッタッタッと足音を立てて後を追う。
その後ろ姿を見送ってから、アイラさんが小さく息をつき、困ったような顔で言った。
「父のせいで気分を悪くさせてしまって、本当に申し訳ありません」
「いえ、この島の常識を知らずに、不用意に発言した私が悪いんです」
「フィリスさんは何も悪くありませんよ! ただ、この島にいるあの年代の人たちは、竜のことをよく思っていない人が多いんです」
「そうなんですね」
他の人に質問する時は気をつけないと。
アイラさんは、無造作に置かれた革袋を「よいしょ」と両手で抱えた。
「それ、何ですか?」
シーラが訊ねると、アイラさんは「鹿肉です」と答えた。
「父は猟師なので、たまにこうやって肉を持ってきてくれるんです」
アイラさんはそのずっしりと重そうな革袋を床に置いて、ふうっとため息をついた。
「私、信仰心がもとからないので、人喰い竜なんて信じていないんです。島の外に出たら、よりいっそうその考えが強まりました」
「島の外にいたんですか?」
「はい。五年前に父と喧嘩して、家出したんです。いい機会だと思って、しばらく旅をしていました!」
「すごい行動力ですね!」
アイラさんは「逃げてただけですよ」と照れくさそうに頬をかいた。
「島の外では、竜と一緒に暮らすのが当たり前だと知って、衝撃を受けました。それに、竜が人懐こくて、とても可愛い生き物だということも、初めて知りました」
竜に対する好意的な意見を聞いて、少しほっとした。
島の常識とはいえ、大好きな竜を否定されると、とても悲しかったから。
「それに、島は竜を必要としていないって言いますけど、間接的に竜の恩恵を受けていることにも気づきました。島に物資を運ぶのは船ですが、船まで物資を届けてくれたのは竜です。彼らがいなければ、島の生活はもっと不便なものになっているはずです。誰もそのことに気づいていませんけど」
アイラさんはむっとしたように頬を膨らませ、それからこちらに視線を向けた。
「フィリスさんは、この島の竜にご興味が?」
「あ、はい。純粋に、この島に竜がいないのか疑問に思いまして。人喰い竜という伝説も残っているので、実際に竜がいた時代もあるのかな、と」
彼女の表情に、かすかな影が落ちた気がした。
「……フィリスさん。十年前の話なんですけど、人喰い竜が人を襲ったっていう事件があるんです」
「え?」
十年前に人喰い竜が目撃されている?
その詳細を訊ねようとしたその時、ゴゴ……と音を立てて宿屋全体が揺れた。
物が落ちるほどではなかったけれど、突然のことで、鼓動が速くなった。
「地震?」
「ああ、最近多くて」
アイラさんは天井を見上げ、降ってきた砂塵を手で払う。
「大丈夫だとは思いますが、ガラスが割れていたり、物が落ちていないか、確認して来ますね」
アイラさんは食堂から出ようとした。
そこへ、どたどたと靴音を立てて、制服を着た四人の男性が食堂に入ってきた。
恐らく、この島の犯罪を取り締まる警吏だと思う。
突然のことで、アイラさんは困惑したように後ろに下がる。
「ちょっと、急に何なんですか?」
彼らは無言でアイラさんを取り囲むと、彼女を近くのテーブルにうつ伏せにして押しつけた。
「痛っ!」
「やめてください! 何をしているのですか!?」
私が声を上げると、近くにいた男性のひとりが鋭くこちらをにらみつけ、ゆっくりと近づいてきた。
「我々の邪魔をするなら、あなたも共犯として拘束させてもらいますよ?」
「奥様に近づかないでください!」
シーラが私を庇うように前に出て、彼らを威嚇するようににらみつける。
その間にも、他の男性たちはアイラさんの両手を後ろ手で拘束していく。
「アイラ・ミラー。殺人容疑で逮捕する」
「は!? 殺人って、一体何の話ですか!?」
「とぼけるな。お前は人喰い竜を使役し、人を殺したのだ」
人喰い竜!? それに、人を殺したと聞こえた。
何が起きているのかわからず、動けないでいると、警吏の男性が食堂に駆けこんできた。
彼は、布で包まれた何かを持っていた。
「証拠品、見つかりました! 容疑者の部屋にこれが!」
その男性は、被せてあった布をずらして、赤黒く染まった何かを見せた。それは、竜の爪に見えた。
「ふむ、人喰い竜の鱗と爪だな」
報告を受けた男性が、大きくうなずく。
私ははっとして、証拠品を持っている男性に近づいた。
「それ、見せてもらえますか? 土属性のような色にも見えましたが、違う属性の竜ですか?」
「な、何だこの人!? 一般人が近づくな!」
と、慌てて隠される。
惜しい。もう少しで見えそうだったのに。
すると、シーラが慌てて私のそばにやって来て、小声で訊ねた。
「奥様、どうかしましたか?」
「あの爪、たしかに竜の爪だけど……私の知っている竜じゃないかもしれない」
「え!? 奥様の知らない竜が!?」
シーラははっとして、慌てて口を押さえる。
私の知らない竜の爪。あれが、人喰い竜のものだと言うのかしら。
(それとも、古代竜の……?)
突然拘束されたアイラさん。そして、人喰い竜らしき証拠品と警吏たち。
この島は、やはり何かを隠している。