表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

182/193

人喰い竜3

 空を見上げても竜はいない。

 どこを見渡しても、竜という身近な存在がいないのは、心許ない気持ちになる。

 竜がいない理由は、この島の宗教に関係している。


 この島ではイーリス教が布教していない。島民の信仰の対象は、この島独自の神、アネシドラー神だという。

 国民のほとんどがイーリス教を信仰しているインヴィディア王国では、少し珍しい話だ。


 遥か昔、島に棲みついて人を喰らっていた邪竜をアネシドラー神が退治し、島の人々を救ったという伝説がある。

 そのため、この島の住民は竜に良い印象を持っておらず、島に竜を入れることすら禁じている。

 私たちがわざわざ船で移動したのも、そういう理由からだ。


「魔物対策はどうなっているのでしょう?」


 思わず疑問を口にしてしまう。

 竜がいないことに不安を覚える理由のひとつだ。


「観光案内によると」


 ラインさんが、船にあった小冊子を広げながら説明してくれた。


「この島はアネシドラー神を信仰しているため、魔物は寄りつかない安全な島……だそうですよ。白い山肌が見えているところが『アネシドラー神の寝床』という観光名所になっているそうです。他にも、アネシドラー神が水浴びをした滝というのもあるそうです」


 ラインさんの観光案内を聞きながら、ヘリアス様は胡乱な眼差しで、木々の生えていない白い山肌を見つめた。

 寝床の大きさからして、ずいぶんと大きな神様みたいだ。


「どんな小さな村でも、竜を飼って魔物対策をしている。竜の存在なしに魔物が寄りつかないなど、怪しいものだな」


 たしかに、そんな話は聞いたことがない。

 他国では、竜の代わりに多くの冒険者を集めて魔物討伐で対策していると聞いたことがある。

 もちろん、安定した対策ではないので、魔物による人間の死亡率は、この国に比べると格段に高い。


(どうやって魔物を近づけないようにしているんだろう……)


 そんなことを考えていると、背後から「奥様ー!」とシーラに呼ばれ、振り返る。

 彼女は手に黄色いカップを持って、駆け寄ってきた。

 どうやら、港のすぐそばにある出店で買ったらしい。


「奥様、見てください! ナッツを甘い蜂蜜で絡めたナッツ菓子ですって!」

「香ばしくていいにおい……美味しそうね」

「毒見も済ませましたから、ぜひ食べてみてください!」


 彼女は無邪気に笑い、カップを差し出した。

 本当はシーラを「私の妹」という設定にする予定だったけれど、どうしても私を「奥様」と呼んでしまうため、彼女だけ「仲の良い妹のような使用人」という設定になっている。


「ありがとう。いただくわね」


 差し出されたカップから、黄金色のナッツをひとつ摘まんで食べてみる。

 軽く歯を立てると、カリッと音を立てて崩れ、蜂蜜の甘みとナッツの香ばしさが口内に広がった。


「うん、美味しい!」

「ですよねー!」

「いいですね、俺もいいですか?」

「どうぞどうぞ」


 ラインさんと違って、ヘリアス様はナッツ菓子に興味がないみたい。

 彼は、ラインさんに渡された小冊子に目を通している。


「奥様」 


 ラインさんが私に近づき、こっそり耳打ちした。


「あなたの旦那様は、『はい、あーん』をご所望だそうです」

「本当ですか?」

「言っていない」


 すかさず、鋭い否定が飛んでくる。

 ラインさんは意地悪く目を細めて言った。


「お忘れですか? 俺たちはここに旅行しに来ているのですよ。それらしくしないと、ねえ? さっきみたいに『私は貴族です』と言わんばかりの下手くそな演技は御免ですよ」

「うるさい」


 ヘリアス様は拗ねたように視線をそらした。

 今は黒髪ということもあって、本当にラインさんと兄弟喧嘩をしているように見えて、何だか微笑ましい。


「奥様」


 シーラが私にカップを差し出し、「これをどうぞ。頑張ってください」と満面の笑みを浮かべた。


「あ、ありがとう」


 私はナッツ菓子の入ったカップを受け取り、ひとつ深呼吸してから、意を決してヘリアス様に近づいた。


「あ、あの! ヘリアス様!」

「どうした?」


 私はナッツを摘み、ヘリアス様に向けて差し出した。


「どうぞ! とても美味しいですよ……」


 途中で恥ずかしくなり、声が尻すぼみに消えていく。

 公爵であるヘリアス様が、人の手から何かを食べるなんて、品のないことはしないかもしれない……。

 その証拠に、ヘリアス様も驚いたように目を見開いている。


(ラインさんの冗談を真に受けたのか、って思われてる!?)


 どうしよう! と一瞬混乱して手を引っこめようとすると、引き止めるように手首をつかまれた。

 彼は私の指にそっと顔を近づけ、ぱくりとナッツ菓子を食べた。


「ん、悪くないな」


 ヘリアス様の声に、はっと我に返る。


(できた……夫婦らしいことができた!)


 じわじわと胸に広がる歓喜と達成感で、空まで舞い上がってしまいそう。

 それに、指先に触れた唇の柔らかさに、またドキドキしてしまう。


「エアルたちが、あなたから直接リンゴをもらいたがる気持ちがわかった」

「え?」


 彼は「あ」と口を開けた。少し幼く見える仕草に、私は目を見開く。


「してくれないのか?」

「し、します……」


 なぜだろう、二度目の方が緊張する。

 もう一度ナッツ菓子を口元に持っていくと、ヘリアス様は躊躇いなくぱくりと食べた。

 ちょっと鳥の雛みたいで可愛い。

 ふふっと小さく笑うと、ヘリアス様もつられたように笑った。

 ラインさんが、「うんうん」と大きくうなずいている。


「ほらね。新婚旅行のいい思い出になったじゃないですか。いちゃいちゃしたいって素直に言えばいいのに」

「……痛みの思い出を刻みたいか?」

「あっちにお酒売ってるみたいですよ」


 ラインさんはさっさと出店の方へ駆け出していった。

 「逃げ足の速いやつめ」とヘリアス様が悪態をつき、こちらに視線を向ける。


「その菓子は気に入ったか?」

「はい!」


 味も美味しかったし、ヘリアス様との思い出もできたからだ。

 ヘリアス様は私を見つめて、うなずいた。


「わかった。買い占めよう」

「え!? あの、お気持ちは嬉しいですが、他の方の分も残しておいた方がいいかもしれません……」

「そうか」


 ヘリアス様は納得したように、もう一度うなずいた。

 シーラが「さすが奥様! 私なら買い占めてました!」と無邪気に笑う。

 私は苦笑し、それから周囲に人がいないことを確認して訊ねた。


「ヘリアス様」

「どうした?」

「……今さらですが、依頼を受けたこと、本当は――」

「あの時言ったが、私はあなたの意思を尊重する。どんな時でも竜医師として揺るがない、あなたらしい決断だった」


 ヘリアス様はそう言って、優しく微笑んだ。

 私らしい……そう言ってくださったことが嬉しかった。


「それに私は、ベルンハルト様が次の王となることに反対しているわけではない。だが、私の知らない間にあなたを危険にさらすような真似だけはしてほしくないのだと、釘を刺しただけだ」

「そうだったのですね」


 それを聞いて、ほっと安堵する。

 もし私の決断が、彼にとって望まないものだったとしたら……? その時はきっと隠すことなくお伝えしてくださるだろうけど、少し不安だった。


「そして私も、私の意思でこの依頼を受けている。そのことを、理解していてほしい」

「わかりました。ありがとうございます、ヘリアス様」


 私は左胸に手を当て、精一杯の感謝を彼に伝えた。

 ベルンハルト様から、古代竜の捜索と保護を正式に依頼された時、私は「捕える」ではなく、なぜ「保護」と言ったのか、その理由を訊ねた。

 彼は真っ直ぐに私を見つめて答えた。


「俺の望みは、古代竜を保護して王位継承争いの火種を消すこと。そして、古代竜の命を守ることが目的だ」

 

 その表情や声に迷いはない。

 ベルンハルト様によると、「古代竜の話が広まれば、他国や密猟者からも狙われ、古代竜そのものの命が危険にさらされる」ということだった。


「そのために古代竜を保護する。または、もとの棲家に返す」


 「棲家に返す」と発言したことには驚いたけれど、ベルンハルト様はどうやら本気のようだった。


「まずは、なぜ人間の前に姿を現したのか、その理由が知りたい。怪我をして戻れない可能性もあるからな。だからこそ、竜医師であるあなたに依頼したい」


 「受けてくれるか?」と訴えかける目を見返し、私はうなずいた。

 古代竜は助けを必要としていないかもしれない。私の考えは傲慢なのかもしれない。

 それでも、私は力になりたいと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ