表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

181/193

人喰い竜2

「それではまず、鎮痛薬の成分を見せてもらってもいいですか?」

「は、はい! これです」


 私は男性から薬の瓶を受け取った。

 名称を確認して、思わず眉を顰める。


「排泄されるのを待つのは難しそうですね。催吐処置を行います」

「ど、どういう処置ですか?」

「静脈に注射をします。従来の薬と違って、身体への負担はそれほどありませんから、大丈夫ですよ」


 「よろしいですか?」と確認すると、男性はこくりとうなずいた。

 私はその男性に牧羊犬を押さえてもらい、嘔吐を誘発する薬を前足に注射した。

 数分後、牧羊犬は突然身体を曲げ、腹部を収縮させて「オエッ」と胃液を吐き出す。

 その中に、丸い錠剤が二粒確認できた。


「出てきたー! ああ、本当によかった! 頑張ったな!」


 男性はほっとしたように笑みを浮かべ、牧羊犬の顔を何度もなで回して褒めた。

 様子を見守っていた周囲の人々も、興奮したように歓声を上げる。


「本当にごめんな。これからはもっと気をつけるからな」


 男性がそう謝る一方で、当の牧羊犬はけろっとした様子で、飼い主に構ってもらえるのが嬉しいのか、楽しそうにはしゃいでいた。


(大きな犬も可愛いなぁ……)


 エアル……と、また寂しさに襲われそうになって首を横に振る。

 最後に点滴を打たせてもらい、処置は終わった。

 すると、周囲で見守っていた人たちが「へえ~」と感心したような声を上げる。


「すごいもんだなぁ、獣医って。俺にはできねぇよ」

「かっこいいなぁ」

「お嬢さん、すごいんだな! あっという間に治しちゃって!」


 さっきとは違い、好意的な態度を向けられて、少し照れくさくなる。

 その時、飼い主の男性が申し訳なさそうな顔をして言った。


「先生、助けてくださって、本当にありがとうございます! さっきは失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした」

「いえ、お役に立ててよかったです」


 ほっとして微笑むと、男性はなぜか目元を赤らめた。

 すぐに、彼の奥様が「恩人の先生に妙な気を起こすんじゃないよ!」と男性の背中を思いきり叩いた。


「いってぇ!」

「いってぇじゃないよ、まったく……ごめんねぇ、先生! うちの子を助けてくれてありがとね! まさか観光客の中に獣医さんがいるなんて、本当に運が良かったよ」

「いえ、私もまさか、ここで処置をするとは思いませんでした」

「そうよねぇ! この島には旅行で来たの? この定期船はほとんど島民しか利用しないから、いつも同じ顔ばかりで退屈でねぇ」


 聞かれるとは思っていたけれど、やはりドキッとする。

 あらかじめ用意していた答えを伝えようとした瞬間、ヘリアス様に肩を抱かれた。


「ええ、新婚旅行に」


 そう言って、鼻先が触れ合うほどの距離まで顔が近づく。

 エメラルド色の瞳が優しく細められ、その輝きに見惚れてしまう……けど、乗客の視線がすべて私たちに集中していることに気づいて、かぁっと顔が熱くなる。


(ヘリアス様! ものすごく見られています!)


 と目で訴えかけるけど、彼は楽しげに顔を近づけてくる。

 「まさかここで!?」と心臓がバクバクと鳴り響く。だけど、ヘリアス様の唇は、私の前髪に触れた。

 そっと髪をなでられたかのような柔らかい感触が伝わって、ゆっくりと離れる。

 そのかすかな動きで、ふわりと香水の香りが広がった。


「まあぁ」


 奥様がうっとりと頬を染めた。

 男性たちからも「おお……!」と感嘆の声が漏れる。

 私は無意識に止めていた息を、ふうっと吐き出した。

 

 ほっとしたような、残念なような……。きっとそんな気持ちが顔に出ていたんだと思う。

 ヘリアス様がふっと小さく笑って、私の耳元に顔を寄せた。


「またあとで」


 耳元でそうささやかれて、びくっと肩が跳ねる。

 心臓が再び激しく鼓動し、耳まで熱くなる。


(女神様……私は、はしたない女です!)


 と内心で懺悔する。

 キスを期待していたことをヘリアス様に気づかれたのが、一番恥ずかしい。

 気をそらすために、周囲の反応を確認する。ひとまず、新婚旅行に来た夫婦だと信じてもらえたようだった。


「じゃあ、そこの兄ちゃんと嬢ちゃんは?」


 飼い主の男性がそう問いかけてきた。すると、私たちの後ろに控えているラインさんとシーラに注目が集まった。

 ラインさんは誠実そうな柔らかい笑顔を浮かべ、ヘリアス様の左肩を軽く叩く。


「俺はこいつの兄です。そして、こっちの女の子はうちの使用人。俺たちみんな仲が良いので、新婚旅行と家族旅行を兼ねているんです」

「へえ、家族ぐるみでわざわざこの島に? 観光客向けの島なら、他にもあったろうに」


 警戒されているわけではないと思うけど、偽っているという後ろめたさからか、そんな問いかけにもつい緊張してしまう。

 しかし、ラインさんは動揺する様子もなく、身振り手振りを交えて答えた。


「我々、兄弟で古代遺物商を営んでおりまして、旅行のついでに珍しいものがないかと、島々を旅しているんですよ」

「まさか新婚旅行にもついて来るとはな」


 ヘリアス様が、兄の奔放さにあきれているかのようにつぶやいた。


「いいじゃないの。俺が仕事をしている間、お前たちは存分に島を楽しめばいいさ」


 そう快活に笑う姿は、どこからどう見ても商家の好青年だった。

 すると、男性があきれたように笑いながら言った。


「兄ちゃん、いくら仲良しでも、新婚さんの邪魔しちゃいけねぇよ」

「そこは反省してますよ」

「そうかぁ?」

「でもねぇ、パクトロス島に行くなんて滅多にない機会だし、俺も楽しみたいんですよ! メシと酒が美味いと聞いたら、行かないわけにはいかないでしょ?」


 ラインさんの言葉に、男性は納得したように大きくうなずいた。


「ま、そりゃそうだな。ここには美味いもんがいっぱいある! いい女もな!」

「いい男は少ないよ」

「うるせぇ」 


 わっと笑い声が上がった。


(さすがラインさん、懐に入るのが上手い)


 それに、ヘリアス様も迫力はあるけれど、いつも通り自然にラインさんと会話しているせいか、厳しい印象が多少和らいだように思える。

 島民の方たちと少しだけ打ち解けられて、内心ほっとする。

 おかげで、ヘリアス様のお姿を眺める余裕も出てきた。


(黒髪も綺麗……)


 ヘリアス様と言えば、あの鮮やかな赤髪が印象的だけれど、黒髪も冷たい美貌を引き立てていて、とても素敵だ。

 こうしてみると、本当にラインさんと兄弟みたい。

 ふと、さっきヘリアス様が口にした「新婚旅行」という言葉が、頭に浮かんだ。


(それらしいことを、してもいいのかしら……)


 そんなことを思いながら、そっとヘリアス様の指に触れると、ぎゅっと強い力でにぎり返され、びっくりしてしまった。

 顔を上げると、ヘリアス様と目が合い、彼は少し表情を緩める。

 穏やかな笑顔だった。

 彼の心の柔らかい部分を見せてもらっている気がして、胸が温かくなる。

 その様子を見られていたのか、奥様が「お熱いね」と笑ったけれど、急に真剣な顔になって言った。


「あなたたち、ここはいい島だけど、気をつけてね」

「どういうことですか?」


 彼女は誰かに聞かれるのを恐れるように周囲を見回してから、小声で教えてくれた。


「パクトロス島にはね、『人喰い竜』が棲みついているから」

「人喰い竜……?」


 不穏な言葉に、胸の奥がざわめく。

 人間と共生してきた竜は、人を襲うことはまずあり得ないと言われている。

 ただ、病気などで正気を失った場合や、ひどい虐待を受けた場合には、人を食べたという記録も残っている。


「夜はひとりで浜辺の散歩なんてしちゃだめだよ? あなたみたいな若い女性は、あっという間に食べられちゃうからね」

「そうなんですね……ご忠告、ありがとうございます」


 私はそうお礼を言って、窓の向こうを見た。

 島はもう目前だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
人食い竜の噂で脅して古代竜を隠してるのかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ