表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

180/193

人喰い竜1

 海の上にいる。

 それも、生まれて初めての船の旅だ。 

 私は古代竜の調査のため、目撃情報のあった島へ向かっている。


 青い空ほど自由な場所はないと思っている私だけど、今はこの広大で透き通った海の美しさに夢中だった。

 手すりの向こうに顔を出して、海を覗きこむと、色とりどりの鮮やかな魚たちが泳いでいるのが見えた。

 船が進むたびに白い水飛沫が上がり、その光景にも思わず見入ってしまう。

 

「船で移動するなんて初めてです!」


 隣にいたシーラが楽しそうに言った。


「ええ、私も初めて。肌に触れる風の感覚も、時間の流れも……竜に乗っている時と全然違う。正直、エアルと一緒にいられないのは、ちょっと寂しいけれど」

「ずっと竜と一緒にいた奥様は、特にそう感じますよね。今回は正体を隠しての調査ですし、島の規則で竜を連れていくこともできませんからね」


 シーラの言う通り、今の私は公爵夫人ではなく、商家の妻という設定である。

 貴族だとわかると警戒され、情報を得られない可能性があると考え、観光客を装うことにした。

 そして、とても珍しい話だけど、今から向かう場所には竜を入れてはいけないという規則がある。

 ということで、エアルやドゥルキスたちはお留守番だ。


 今はここにいないけれど、ヘリアス様とラインさんも調査に同行している。

 私たち四人は、古代竜が目撃されたというパクトロス島に向かっていた。


 私は、海の上にぽつりと浮かぶ島を見つめながら、ベルンハルト様から聞いた話を思い出す。

 彼によると、パクトロス島へ向かう定期船の船長や船員から「珍しい竜を見た」という通報があったそうだ。

 それが古代竜ではないかと、ベルンハルト様はお考えのようだった。

 その話を聞いたヘイゼル様は、眉を顰めた。


「はー? そんな情報つかんでないし」

「そりゃ教えるわけないだろ。お前が女王になってしまう」


 そう言って笑うベルンハルト様に、ヘイゼル様は不機嫌そうに頬を膨らませた。


「フィルナ、その話断っていいよ。それか、私もついて行って、フィルナと一緒に古代竜を見つける。名案じゃん」

「やめなさい」


 ベルンハルト様は小さく息をつき、それから再び話をつづけた。


「俺はしばらくあの島を調査していたが、古代竜を見つけることはできなかった。加えて、あの島はよそ者にあまり協力的ではない。王家の者だと知って、より一層警戒されたかもしれない」

「その島が古代竜を隠していると?」


 そうヘリアス様が訊ねる。


「隠しているかはわからんが、あの島には何かある」

「その竜の情報が何かの見間違いか、またはデマである可能性は?」

「古代竜の目撃情報はほとんどがデマだ。しかし、今回の情報は信憑性が高い」

「なぜ、そう言い切れるのですか」

「船長たちの情報には、王家しか知り得ない情報があったからさ」


 ベルンハルト様はそう言って、確信に満ちた笑みを浮かべる。


「彼らが言うには、その竜には角が四つ、翼が四つあったそうだ。これは、王家に伝わる古代竜の特徴と一致する」


 私は息を飲んだ。いや、驚いているのは私だけじゃない。

 この話を聞いて驚いていないのは、ヘイゼル様だけだろう。

 私たちは、古代竜の姿がどんなものなのか知らない。絵本や図鑑にだって描かれていなかった。

 でも、王家にだけは、古代竜の特徴が伝えられていた。


(角が四つ、翼が四つある竜……そんな竜は見たことがない!)


 未知の竜。その可能性を思うと、全身が高揚感に包まれる。

 その時、ベルンハルト様と目が合った。彼はなぜか嬉しそうに目を細めた。


「あなたは、古代竜の登場を純粋に喜んでいるんだな」


 王家と違って、という言葉は口には出さなかったけれど、何となく伝わってきた。

 そこでようやく、私の口元が緩んでいることに気がつき、慌てて手で押さえる。もう手遅れだけど……。

 ベルンハルト様は私を見て、親しみを感じさせる優しい笑顔を浮かべて言った。


「よそ者には非協力的ではあるが、観光客には親切な島だ。調査を兼ねた新婚旅行のつもりで観光してもらってもいい」

「フィルナはまだ依頼を受けるとは言っていませんよ」

「まあまあ、ヘリアス。お土産は酒でいいぞ」

「お酒ならご自身で購入したものがあるのでは?」


 ヘリアス様がさり気なく断ろうとすると、ベルンハルト様はきりっとした表情を浮かべながら、


「もう全部飲んだに決まってるだろ」

「なぜ威張るんです」


 ヘリアス様は少し疲れたような顔をした。

 あの時、「新婚旅行」という言葉にちょっとドキドキしていた、なんて言えない。


 しばらく海を眺めたあと、シーラと一緒に船内に戻ると、人々が一か所に集まり、困ったように顔を見合わせていた。

 近づいてみると、その中心には大きな犬がいて、飼い主と思われる年配の男性が、必死になってその子の口をこじ開けようとしていた。


「どうされましたか?」


 そう声をかけると、飼い主の男性が顔を上げた。


「こいつが、俺が落とした鎮痛薬の錠剤を二粒飲みこんじまったんだ。まあ、そんなに気にしなくても、いつか出てくるかもしれねぇがな!」

「いえ、飲んだ種類によっては中毒症状を起こしますし、少量でも死亡した例があります」

「え……」


 私がそう指摘すると、飼い主の男性は不安そうな顔をした。周囲の人たちも驚いた表情を浮かべる。

 私はその犬の近くに屈みこんで、様子を観察した。

 ブラウンの毛色に、筋肉質な身体をした大きな牧羊犬だ。

 呼吸の早さも正常。今はまだ元気そうだけど、このままにしておくのは危険だ。


「あのー、あんたは何者だ?」

「私は獣医です。どうかこの子を、私に任せてはもらえませんか?」


 嘘はついていない。竜医師になるには、必ず獣医学の基礎を学ぶ必要がある。

 そこから竜を専門とするか、それ以外かに分かれるけれど、竜医師であっても犬や猫などの動物を診察することはできる。

 

 この子を今すぐかかりつけ医のもとまで運ぶことはできないし、今できることをしてあげたい。

 そう思って申し出たのだけど、周囲の反応はどこか冷ややかだった。

 飼い主の男性は疑わしげな目をして、「女の獣医って……大丈夫か?」とぼそりとつぶやいたので、私は驚いてしまった。


「ちょっと、あんた! 失礼じゃないか!」


 彼の奥様らしい年配の女性が、バシンと男性の肩を叩く。


「そうですよ! 奥様はすごい獣医ですよ!?」


 シーラも憤慨したように声を上げる。

 だけど、他の人の顔を見ると、大体この男性と同じ考えのようだった。彼らは小声でささやき合っている。


「島に戻っても獣医さんはいないだろ?」

「ああ。病気になって、島の外の実家に戻ってるんだってよ」

「だからって、女の獣医って――」


 私は周囲の声を聞かないふりをして、飼い主の男性を真っ直ぐ見つめた。

 彼は少し面食らった表情をした。

 

「あなたの考えが正しいとか、間違っているとか、そんなことを論じるつもりはありません。ただ、その話は、この子の命より重いものですか?」


 そう、静かに問いかけた。

 男性ははっと息を飲んで、不安そうに男性を見上げる牧羊犬を見下ろした。


「私の妻では不満だと言うのか」


 疑いと不満に満ちた空気を吹き飛ばすかのように、鋭い声が飛んだ。

 その瞬間、人々は思わず口をつぐみ、ぴしりと背筋を伸ばした。


 ゆったりとした靴音を響かせ、ヘリアス様が現れた。

 服装はいつもと違い、商人らしい動きやすそうな格好をしている。素材は良いものを使い、程よく裕福に見えるよう工夫されていた。

 燃えるような赤い髪は、今は濡れたように艶やかな黒髪に染まっている。

 一応、商人という設定なのだけど……その身からにじみ出る気品が、身分の高さを物語っていた。

 そのエメラルド色の瞳の力強さに、人々は思わず目と口を丸くし、圧倒されていた。


「大切な家族の命を彼女に委ねるくらいなら、失った方がマシだと?」

「い、いえ、そういうわけでは!」


 飼い主の男性は慌てて首を横に振り、私に視線を向けた。


「で、では……お願いしてもよろしいですか?」

「もちろんです。お任せください」


 そう告げてから、私はヘリアス様に感謝を伝えるように目配せする。

 すると、彼は小さくうなずき返してくれた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
男尊女卑強めの島なんだろうか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ