竜の橋
「待たせてしまったな。さあ、行こう」
「はい。これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ヘリアス様が右手を差し出す。私はその手に、そっと指を乗せた。
手袋越しに触れた手はとても硬かった。この人が竜騎士であることを改めて思い知らされる。
私はヘリアス様に手を引かれて、ドゥルキスに近づいた。
竜騎士の家では、「夫婦となる者は同じ竜の背に乗る」という習わしがあるため、私はヘリアス様と共にドゥルキスに乗ることになる。
初めてドゥルキスに乗れることが嬉しくて、私は「晴れてよかったですね」と興奮気味に言った。
「おかげで、ドゥルキスの背に乗れますから!」
「晴れたからドゥルキスに乗れる?」
「雨の日だったら乗れませんから」
と言うと、ヘリアス様は眉を顰めた。
「雨が降っていても竜の背に乗る。小雨程度ならそうするが?」
「え……そ、そうですよね! 変なことを言って申し訳ありません」
私は熱くなる顔を隠すようにうつむいた。
ウィル様と結婚した日は、朝から豪雨に見舞われたけど、彼が迎えに来てくれる頃には小雨と表現してもいいくらいのものだった。
これなら竜での出迎えも問題ない、と私は思っていたのだけど、迎えに来てくれたウィル様は馬車に乗っていた。
「花嫁が雨に濡れては可哀想だから」
とウィル様は微笑んだ。当時の私はその気遣いに舞い上がって頬を染めていた。
けれど、今わかった。リスティーへの気持ちがあったから、竜ではなくわざわざ馬車を使ったのだと。
もう終わったことなのに、私の心は飽きずに傷をつくる。
私は顔を上げて、何でもないように笑った。今日は新しい人生を始める日なんだから、いつまでも沈んでいたら、ヘリアス様に失礼だ。
ヘリアス様は何か言いたげに目を細めたけど、何も言わずにドゥルキスの背に乗った。
「さあ、こちらへ」
ヘリアス様の手に引き上げられながら、ドゥルキスの背中にまたがる。後ろからヘリアス様に抱きしめられるような体勢になるので、さすがにちょっと恥ずかしい。それでも、お互いに新婚のような甘い雰囲気になることはない。
これが契約結婚であることくらい、わきまえている。
だけど、ヘリアス様が天候に関係なく、竜で私を迎えにきてくれたことは、素直に嬉しかった。
私がドゥルキスに乗ったのを見計らって、お父様とお母様がへつらうような笑みを浮かべて近づいてきた。
「さすがはアルトリーゼ公爵! 嫁入りの行列でこれほどの竜と竜騎士をそろえた家は見たことがありません!」
「とんでもない。キントバージェ家の大事な娘を妻として迎えるのだから、これくらいは当然のこと。ところで、ギオン卿」
「はい!」
「あの日は結婚の承諾を得るために、あれ以上何も言わなかったが……私は娘を蔑むような家を敬愛することはできない」
「え?」
にこにことしていたお父様とお母様は、きょとんとした顔をした。
私は視線だけで背後を振り返る。ふたりを見下ろすヘリアス様の顔には、軽蔑の色が浮かんでいた。
「私の前で、よくも妻を侮辱してくれたものだな? 恥を知れ!」
ヘリアス様が怒声を上げると、ドゥルキスが大口を開けて火を吹いた。
「ひぃぃぃぃ!?」
「きゃあぁぁぁぁ!?」
火が蛇のようにうねり、悲鳴を上げるふたりの頭上を掠めて飛んでいく。それは空へとのぼり、赤い尾を引いてすっと消えた。
お父様とお母様は腰を抜かして、その場にへたりこんだ。
「ヘリアス様!?」
私は驚いて声を上げていた。
ヘリアス様はふんと鼻を鳴らした。
「民を斬る剣は持っていないが、竜騎士の家の誇りを傷つける者には容赦しない」
ヘリアス様の怒りを目の当たりにして、私は呆然としてしまった。
「行くぞ」とつぶやくヘリアス様の声に応えて、ラインさんが笛を吹く。
その音色に我に返った時には、大地がずいぶんと遠くなっていた。恐怖に震える両親が、豆粒のように小さく見える。
ドゥルキスにつづいて、次々と竜たちが空へと舞い上がる。
そして、ドゥルキスを中心にして、竜たちが横一列に並んだ。まるで、氷に覆われる大地から逃れ、餌を追い求める渡り鳥のように。
(これが、竜の橋……)
竜騎士の結婚は、「空にかかる竜の橋」とも呼ばれている。人々の数少ない娯楽のひとつのため、今も村の方から歓声が上がっている。
その美しい光景に見惚れていた私は、少し気分が落ち着いたところで、背後のヘリアス様に声をかけた。
「あの、ヘリアス様」
「どうした」
「先ほどは、ありがとうございました」
「礼には及ばない。私たちは夫婦なのだから、妻の名誉を守るのも竜騎士である私の務めだ」
真心からの気遣いというわけではなく、彼にとっては「竜騎士として当然の行い」という認識なのだろう。
心からの行為ではなかったとしても、私は嬉しかった。
今まで私の人生の中で、私のために声を上げてくれた人はいなかったから。
「ヘリアス様」
「何だ?」
距離が縮まって、背中や腕にヘリアス様の体温を感じる。その温もりに涙がにじみそうになるのを必死にこらえて、私は背筋を伸ばした。
この方の強さに甘えて、守られてばかりではだめだ。
「今度は私が、必ずお役に立ってみせます」
「……そうか。期待している」
「はい!」
表情を確認することはできなかったけれど、背後でふっと吹き出したような、柔らかな気配がした。




