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紅脚のアタランテ23

 ルイミア様が逮捕されたその日の夜。アルカイオス様が金緑の竜舎に訪れた。

 彼の隣には、ヘリアス様の姿もある。


「どうされましたか?」


 声をかけると、アルカイオス様は私を見て「ウタヒメ様」と呼んだ。


「え?」

「ち、違う……間違えた」


 アルカイオス様は慌てて視線をそらした。

 ヘリアス様が一瞬だけ彼を見やり、それから口を開く。


「ルーク様を探している。ここに来ていないか?」

「ルーク様ですか? いえ、ここには来ておりません」

「そうか。ここにもいないか」

「屋敷に戻られていないのですか?」

「ああ。アリアドネは竜舎にいるが、ルーク様の姿が見えない」


 間違いなく、ルイミア様が逮捕されたことが原因だろう。

 祖母であるルイミア様が、恐ろしい犯行に手を染めていた……。その事実を知った彼の心情を思うと、胸が痛んだ。

 アルカイオス様は深くため息をつく。


「まだ城の敷地内にいるのか、それすらもわからない。竜に乗っていないということは、徒歩で行ける範囲にいると思うが」

「……もしかして、礼拝堂では?」


 私がそう答えると、アルカイオス様が怪訝そうな顔をした。


「ルークが礼拝堂に? そんな信心深い男か?」

「ルイミア様が信心深いお方でしたので、一緒に暮らしていたルーク様も、心の拠り所にしているのかもしれません」


 普段はそこまでの信仰心がなくても、落ちこんだ時には女神にすがりたくなる。そんな気持ちは誰にでもあると思う。


「……たしかに、礼拝堂はまだ探していない。行ってみる価値はあるか」


 他に探す当てもないということで、おふたりは礼拝堂へ向かうようだ。

 ちょうど私も、他の竜医師に引き継ぎを済ませて帰るところだったので、ヘリアス様たちに同行し、ルーク様を探すことにした。


 城の敷地内にある礼拝堂に到着し、そっと扉を開けると、最前列の長椅子に腰掛けるルーク様の後ろ姿が見えた。

 バラ窓から射しこむ月明かりが、彼の輪郭を寂しげに浮かび上がらせている。

 アルカイオス様が、驚いたように声を漏らした。


「本当にいるとは思わなかった。珊瑚の件といい、見事な推理力だ」

「ありがとうございます」


 推理だなんて大袈裟すぎると思ったけれど、彼の隣でヘリアス様が得意気にうなずいているのを見て、私も嬉しくなった。

 アルカイオス様は遠慮なく中へ入っていく。

 私とヘリアス様は、扉の外からその様子を見守ることにした。


「ここにいたのか、ルーク」

「アル……」


 迷子のような、弱々しい声が響いた。


「……まさか、おばあ様があんな恐ろしいことを考えていたなんて、知らなかった。私は、おばあ様や亡くなった母の苦しみを、何ひとつ理解していなかったんだ」


 そう言って、ルーク様は深くうなだれた。

 彼の右手は、額に触れているように見えた。そこにある決意の証を確かめるように……。


「誰かを救いたいと言っておきながら、一番身近にいる人も救えないなんてな……。私も、おばあ様とともに罰を受けるべきだ」

「ふざけるな!」


 アルカイオス様が容赦なくルーク様を殴り飛ばした。

 長椅子ごと倒れこむ激しい音と、かすかな呻き声が響く。


「本当に、何もかも気に入らん。貴様は昔からそうだった」


 アルカイオス様の横顔には、ルーク様に対する激しい憎悪がにじんでいた。


「生まれた年も、生まれた日も同じ。昔から俺たちは双子のようだと言われていたな。不愉快極まりない」


 ルーク様は倒れたままなのか、反応はなかった。


「人々は次第に、『双子なのに』とささやき始めた。それは貴様が悪行を重ね、人々を落胆させる一方で、俺は非常に優秀だという意味だった。だが、いつしかその意味が逆転した」


 怒りをぶつけるように、アルカイオス様が床を踏み鳴らす。


「……アルカイオスはルークに比べて、粗野で未熟である。対してルークは、弱きを助ける立派なお方である。貴様を厄介がる者はいるが、貴様を知った者たちは必ずこう評価する」


 アルカイオス様は、恨めし気にルーク様を見下ろし、声を震わせながら叫んだ。


「この俺が、貴様に負けるはずがない! 貴様なんかに……貴様にだけは!」


 礼拝堂内に叫び声が反響した。

 一瞬の静寂のあと、アルカイオス様は再び口を開いた。


「……だが、貴様は俺との勝負から逃げるらしい」

「逃げる? 逃げてなんか――」

「一番楽な道を選んだくせにな」

「何だと?」


 ようやく、ルーク様が立ち上がった。

 アルカイオス様は、ふんと鼻で笑って言った。


「誰かに罰してもらうことは、とても楽な道だ。自分の生死を他人に委ねればいいんだからな。貴様は生きて償うことから逃げたのだ。罵倒されるのが怖いのか?」

「違う……」

「貴様は罪を償うことから逃げた臆病者であり、卑怯者だ! この世から逃げ出した母親と同じだな!」

「お前っ!」


 ルーク様は目を見開き、怒声を爆発させ、アルカイオス様を殴り飛ばした。

 当然の怒りではあるけれど、少し意外に思い、驚いてしまった。


(ヘレナ様に何を言われても耐えていたルーク様なのに、アルカイオス様の前では、こんなにも感情をむき出しにするお方だったのね)


 アルカイオス様は殴られた反動で後ろにのけ反ったけれど、すぐに体勢を整えて、ルーク様をすかさず殴り飛ばした。

 まともに受け身を取れなかったルーク様は、いくつもの長椅子を巻きこみながら床に転がる。


「ははっ! まだそんな感情が残っていたのか。すべてを悟ったかのような気持ち悪い顔をしていたくせに」


 殴られたのに、アルカイオス様はどこか嬉しそうに見えた。

 ゆらりとルーク様が立ち上がる。


「何度殴られようが、先ほどの言葉は訂正しないぞ。俺に謝らせたいなら、俺に勝ってみせろ」

「え……」


 ルーク様の表情に驚愕がにじむ。

 つまりそれは、「火竜戦に出ろ」という意味になる。

 その意味に気づいて、ルーク様は首を横に振る。


「無理だ。出られるはずがない」

「貴様がそう思うのなら、その通りになるだろうな」


 アルカイオス様は、ルーク様に背を向けた。


「母を侮辱されてなお、逃げに甘んじるというのなら……貴様はそれまでの男だ」


 そう言って、アルカイオス様はこちらに戻ってくる。

 言葉こそ厳しいけれど、間違いなく彼なりの激励だった。

 それが伝わったのか、鼻をすする音がかすかに聞こえた。


「ヘリアス様。ルーク様は、これからどうなるのでしょうか……」

「彼自身は処罰されない。アルカイオス様が、陛下に嘆願したからだ」

「アルカイオス様が……」


 アルカイオス様は、ルーク様に憎しみにも似た感情を向けながらも、その実力は認めているのだろう。


「セルペンス伯爵は夫人とともに処罰を受ける。そうなれば、ルーク様が伯爵領を継ぐことになるだろうな」


 伯爵領は大混乱に陥るだろう。ルーク様が継いだとしても、強い反発を受けるかもしれない。

 けれど、彼はその苦難にすら立ち向かう人だと思う。

 アルカイオス様が外に出て、そのまま歩き出す。

 私たちも後につづいた。


「……ルークは、火竜戦に出るだろうか」


 先頭を歩いていたアルカイオス様が、ぽつりとつぶやいた。

 ヘリアス様は、口元に小さく笑みを浮かべて言った。


「あなたにあそこまで言われて、逃げるような竜騎士ではありません。しかし、よろしいのですか?」

「何がだ?」

「どうやら、ずいぶん火をつけたご様子。本番では、あなたの脅威となるかもしれません」


 アルカイオス様は視線だけで振り返り、にやりと好戦的に目を細めた。


「なら、叩き潰せばいいだけだ。俺のバシレウスは誰にも負けんからな」


 そう言って、彼は上機嫌に歩き出す。

 それにつづきながら、ヘリアス様がこそっと私に耳打ちした。


「アルカイオス様は、ウタヒメに興味がある」

「ご、誤解のある言い方はやめてもらいたい!」


 聞こえていたのか、アルカイオス様が慌ててこちらに向き直り、ちょっと赤い顔でまくし立てるように言った。


「昔から、ベアトリクス姉上がそういった絵本ばかり読むから、この国に伝わる伝説に興味があるだけだ! 決して変な意味ではない! 竜とウタヒメの伝説は、竜騎士なら誰でも興味があるということだ!」

「は、はい」


 その勢いに圧倒され、私はこくこくとうなずいた。

 アルカイオス様はふいっと視線をそらしながら、小声で言った。


「……だから、もしよろしければ、ウタヒメの竜の歌を聞かせてもらえないだろうか?」

「もちろんです! 今から歌いましょうか?」

「頼む!」

 

 前のめりになって返事をするアルカイオス様に、ヘリアス様はこっそりと吹き出していた。


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― 新着の感想 ―
男の肉体言語コミュニケーションってかんじだな〜それにしても言い過ぎだけど。
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