紅脚のアタランテ20
「珊瑚が原因?」
「どういうことですか?」
話が聞こえたのか、ラインさんも駆け寄ってきた。
私はソファーの足元に置いてある鞄を開いて、中から一冊の本を取り出した。
「エンリカ様から聞いた話を思い出したんです。とても扱いの難しい珊瑚があると……」
私はその本をテーブルの上に置いて開いた。これは水棲竜の病気に関する本だ。
つい先日届いたばかりで、まだ読めていなかったことが悔やまれる。
私は珊瑚に関するページを開いて、ふたりに見せた。
「これです」
「これは……とても鮮やかな赤色の珊瑚だな」
「へえ、綺麗な珊瑚ですね。これが原因なんですか?」
「はい」
私はそのページの内容をざっと確認する。
「水棲竜が生息するスペルビア周辺の海には、『宝石珊瑚』と呼ばれる、とても美しい赤い珊瑚があるそうです。正式名は『プレゲトーン』。この珊瑚は刺激を受けると、猛毒の体表粘液を出します」
「まさか、それが……」
「はい。コルルムエンネア毒になります。しかもこの珊瑚、死んでからも、その猛毒を出すことがあります」
「死んでからも? 待て、では会場に飾られているあの珊瑚は作り物ではなく、本物のプレゲトーンだと?」
信じられないと目を見開くヘリアス様に、私はうなずいた。
「すべてが本物なのかはわかりませんが、あの中に本物のプレゲトーンが混ざっていると思います。ティモン竜医師は恐らく、何らかの原因で欠けたプレゲトーンを見つけて、それを赤い宝石だと思って、恋人に渡そうとしていたんじゃないでしょうか? その時に素手で触れて、さらには粉塵を吸いこんでしまったから症状がひどくなったのではないかと……」
「赤い宝石とは、そういうことか!」
ヘリアス様は悔しげに唇をゆがめた。
「ティモンはなぜ、宝石のことを詳しく話さなかったのでしょう。拾ったものだと証言していれば、もっと早く原因を特定できたかもしれないのに」
ラインさんが不思議そうに首を傾げる。
「本当のことはわかりませんが、その宝石が中毒の原因だとは考えなかったか、あるいは証言すれば奪われると思ったのかもしれません」
「なるほど」
「ライン。すぐに火竜戦の会場や、飾りを使用した施設を封鎖しろ」
「了解」
ラインさんはうなずいて、足早に部屋から出ていった。
入れ替わるようにして、ライラ師長とベアトリクス様、アルカイオス様が部屋に入ってきた。
ベアトリクス様が、少し緊張した面持ちで私たちに訊ねた。
「竜舎に戻した竜のことを報告した方がいいと思って来てみたのだけど……何か問題があったのかしら?」
私は、飾りに使われている珊瑚が、今回のコルルムエンネア中毒の原因である可能性が高いことを説明した。
「そんな猛毒の珊瑚が、我々のすぐ近くにあったというのか!?」
アルカイオス様が驚愕し、顔を真っ赤にして拳をにぎりしめた。
「王家や王族関係者が利用する休憩所にもあります」
ヘリアス様がそう告げると、ベアトリクス様が口元に手を添え、青ざめた表情で言った。
「私たちが宿泊施設として利用している鶏冠の屋敷にも、赤い珊瑚の飾りがあったわ! 微熱や咳の症状が出ていたのは、そのせいなのかしら……」
「ヘレナ姉上は、怒りにまかせて部屋を荒らしたと聞いている。その時に珊瑚を破壊し、発症したというわけか」
さらっと、とんでもない話が聞こえた気がする。
ライラ師長が眉を顰めて言った。
「火竜戦の会場にも、たくさん珊瑚の飾りがあった。つまり、四頭の竜が一斉に中毒を発症したのは、会場の珊瑚が原因か?」
「それもあるかもしれませんが、恐らく一番の理由は、竜装具検査所にて、竜が珊瑚の飾りを破壊したことが原因かと」
「そんなことがあったのか?」
「はい。その時、竜装具検査所にいたのは中毒を発症した四頭です。そして騎乗していたヘイゼル様も、珊瑚の粉塵を間近で吸いこんでしまったのでしょう」
「だから、ヘイゼル様も発症したということか」
ライラ師長は納得したようにうなずいた。
今思えば、中毒を発症したプルイーナも竜装具検査所に向かっている。どこの検査所を使用したのかはわからないけれど、その時に珊瑚に触れてしまったのかもしれない。
「現在、飾りを使用した施設の封鎖を命じています」
ヘリアス様は冷静な口調で、場を安心させるように告げた。
「そうですか。迅速な対応に感謝します、ヘリアス卿」
「いえ、フィルナが気づいてくれたおかげです」
「あら、フィルナ先生が? すごいわ、名推理ね!」
「い、いえ……本当に偶然ではありましたが」
「それでもすごいわ。珊瑚の危険性を突き止めてくださらなかったら、私たちも中毒を発症していたはずです。それに、竜を逃がすように誘導してくださったことにも感謝しております」
「私も同じ気持ちだ」
ライラ師長が小さく微笑んで言った。
「フィルナ先生が逃げろと言ってくれたおかげで、竜舎に戻った火の竜たちはすぐに落ち着いた。それに、猛毒の珊瑚から引き離すことができた。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ……私の言葉を信じてくださって、本当にありがとうございます!」
竜たちが無事だったこと。そして、おふたりが私の言葉を信じて行動してくれたことが、心から嬉しかった。
私は一拍置いてから、彼らの顔を見回して言った。
「私は今回のことで、ジュピタリア血統の欠陥はないと、確信しました」
王家のふたりはもちろん、ライラ師長も「それは本当か!?」と目を見開いている。
アルカイオス様が、半信半疑といった様子で口を開いた。
「もし、そんなことがあれば、すごいことになる。百年以上前からの認識が覆ることになるぞ」
「ええ、そうね。ねえ、フィルナ先生」
ベアトリクス様は、どこか期待するような、祈るような眼差しで私を見つめた。
「できれば、ヘイゼルがいる部屋で、詳しい話を聞かせてもらえるかしら。きっと、あの子も聞きたがるわ」
「わかりました」
私たちは医務室に向かったけれど、そこにヘイゼル様の姿はなかった。
彼女は医師の制止を振り切って、アタランテの竜房に向かったという。
急いで待機竜舎へ向かうと、アタランテの竜房の前にヘイゼル様がいた。
寝起きのままに乱れた髪、そして真っ青な横顔。
彼女は車椅子に座り、膝には布がかけられていた。
本来なら絶対安静の身なのに……。こうして座っているだけでもつらいはず。
「……情けない姿でしょ?」
がさがさに掠れた声だった。
ヘイゼル様は疲れた様子で、こちらを見た。
まず目に入ったのは、涙で濡れた赤い目元。そして、額や鼻、頬を覆うガーゼ。
とても痛々しい姿だった。




