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紅脚のアタランテ18

 コルルムエンネア中毒の発症。その言葉を聞いた瞬間、緊張が波のように広がっていくのを肌で感じ取れた。

 ヘイゼル様は目を見開き、ユーリ師長が慌てて駆け寄って、鱗を確認した。

 彼は険しい顔をして、


「信じられませんが、間違いなさそうですね」


 アタランテは毒物を摂取していない。なのに、どうして……。

 その時、背後から困惑した竜医師の声が響いた。

 麻酔で眠っている竜の腹部を確認した竜医師が、顔を青ざめさせて叫ぶ。


「鱗の変色を確認! コルルムエンネア中毒と思われます!」

「え?」


 さらにつづけて、麻酔銃を撃たれていなかった二頭の火の竜が芝の上に崩れ落ちた。

 担当の竜医師たちは「コルルムエンネア中毒!」と声を上げる。

 つまり、アタランテを含め、四頭の火の竜が同時に中毒を発症したことになる。


「おいおい、冗談きついぞ!?」


 ユーリ師長は表情を引きつらせて、ガシガシと頭をかき乱した。


「数年に一度あるかわからない中毒だぞ? 薬の在庫なんてねぇよ」

「で、でも、今回の件で新しく注文していますよね!?」


 アンシア先生が声をうわずらせながら訊ねる。

 サンデル先生が首を横に振った。


「注文したが、まだ届いていないんだ。他の竜舎の在庫もない」


 この中毒が発症してすぐ、全竜舎で薬の在庫確認が行われた。

 だけど、アーテル解毒剤はほとんどが期限切れで廃棄されたあとで、代用を含めても用意できるのは三頭分くらいだ。 

 一頭は、間に合わない。


「今すぐ待機竜舎を確認しろ! 奪い合いになるかもしれんが!」


 ユーリ師長の声が飛ぶと、何人かの補助竜医師が駆け出していった。


(一頭だけ見捨てるなんてできない! どうすれば全頭を助けられる?)


 私は必死に思考をめぐらせる。あせりで、額にじわりと汗がにじんだ。


「……助けて」


 一瞬、誰の声がわからなかった。

 それくらい小さくて、頼りない声だった。

 それが、うつむいたヘイゼル様の声だと、誰がわかっただろう。


「大切な竜なの。足を失った私に、自由に世界を旅する足をくれたんだよ」


 ぽつぽつ、と草の上に雫が落ちる。


「お願いみんな、助けて……。助けてください! 私はどうなってもいい。だけど、アタランテだけは助けてください!」


 ヘイゼル様は女神に祈るように両手を組んで、何度も「助けてください」と涙ながらに繰り返した。

 私は屈みこんで、ヘイゼル様の手をそっと両手で包みこんだ。


「大丈夫。必ず助けますから」


 ヘイゼル様は弾かれたように顔を上げた。

 意志の強い瞳は、今は怯えた子供のように揺れて、すがるように私を見つめている。


「アタランテも、他の竜もみんな助けます!」


 ヘイゼル様は涙に濡れた目を大きく見開いた。


「そんなこと、できるの?」

「ええ」


 安心させるように断言し、ぎゅっと手をにぎる。


「でも、四頭すべてを治療できる薬の在庫は……」


 サンデル先生が難しい顔でつぶやいた。

 私は立ち上がり、ユーリ師長たち竜医師の顔を見回して言った。


「プルルスとセレスト、このふたつの薬の、さらに代用ができるかもしれません。厳密に言うと、セレストの在庫はあると思いますので、プルルスの代用ですが」

「代用の代用ですか」


 ユーリ師長は一瞬眉間に皺を寄せたけれど、小さくうなずいて、


「……いや、今は迷っている場合ではありませんね。フィルナ様、教えていただけますか?」

「もちろんです! どのご家庭にもあるニンニクと、少量のフェンネル。あとは竜舎の在庫の薬で、もっとも多いエリュトロン、ミニュイ、フラウム。この三つを使用します」

「ニンニクならたくさんあるよ!」


 その時、観客席の方から女性の声が響いた。

 そちらに視線を向けると、年配の女性が柵から身を乗り出しているのが見えた。


「会場近くに店があるからさ、そこから持ってくるよ!」


 彼女はそう言うと、こちらを見て呆然と立ち尽くしている抗議団体をきっとにらみつけ、怒鳴りつけた。


「あんたらも竜が大事なんだろ? 竜医師さんたちが身体張ってんだから、あんたたちもちょっとは手伝いな!」


 怒鳴られた団体の人たちは、戸惑ったように互いに顔を見合わせた。

 すると、その中のひとりの男性が声を上げた。


「フェンネルならうちにもある!」

「よ、よし……俺はみんなに声をかけてくるぞ! 待ってろ、竜医師さんたち!」


 全員ではなかったけれど、彼らの中から数人が駆け出していくのが見えた。

 それを満足そうに見送った年配の女性が、私に視線を向けて言った。


「ここに持ってきたらいいかい?」

「は、はい! ここに持ってきてください! よろしくお願いします!」

「よっしゃ、任せな! 安心しな、ヘイゼル様! あたしらも協力するからね!」


 女性が去っていくと、その姿に触発されたかのように、他の観客たちも次々と会場を飛び出していった。

 その光景に、胸が熱くなるのを感じた。

 竜を助けたいと思っているのは、竜医師だけじゃない。

 そう思うと、自然と希望が湧いてくる。

 

「まずは竜たちを待機竜舎近くまで運び、会場から離しましょう。材料が集まったら、待機竜舎で調合を始めます」

「わかりました。他三頭の竜医師に声をかけろ! 移動させるぞ!」


 ユーリ師長が指示を出すと、竜医師や補助竜医師たちが一斉に走り出した。

 ヘリアス様は指示笛を吹いて、竜騎士たちに何らかの指示を出してから、私に向き直った。


「フィルナ。私たちも竜を運ぶのを手伝おう。竜騎士たちがいれば早い」

「ありがとうございます! お願いします!」

「ああ。ヘイゼル様は、ラファエル竜医師に任せる」


 ヘリアス様はそう言って、ドゥルキスを呼ぶための竜笛を吹いた。

 私は後ろを振り返り、ヘイゼル様に声をかけようとして、息を飲む。

 ヘイゼル様が地面にうつ伏せになっている。


「ヘイゼル様! しっかりしてください!」


 慌てて駆け寄り、ヘイゼル様を仰向けにした。

 目は虚ろで、口の周りは吐瀉物で汚れ、身体はびくびくと痙攣している。


「そ、そんな……ヘイゼル様!」


 ヘイゼル様もまた、コルルムエンネア中毒を発症していた。


読んでくださったみなさまに、感謝の気持ちをこめて。

TOブックス様から、当作品の書籍版・電子書籍版が2025年11月1日発売予定です。

活動報告に詳しいお知らせとリンクを載せていますので、ご興味のある方はそちらをご覧いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
うーん何が原因なんだろう。風に乗って毒が飛んできてるのか?
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