針先程度の反抗
キントバージェ家を出て公爵家に向かう日。女神に祝福されたように、雲ひとつない快晴に恵まれた。
雷雨に見舞われたウィル様との結婚とは大違い。窓に映った私の顔には、苦い笑みが浮かんでいた。
荷物はすべてアルトリーゼ家に送っている。手に持った鞄には、竜医師用の道具が詰まっていた。
部屋を出て階段を降りると、居間の方からお父様の笑い声が聞こえてきた。
部屋の入口に立って中を窺うと、正装姿のお父様が椅子にふんぞり返っている。
「まさか本当にアルトリーゼ家との関係が修復されるとはな! いや、これで我が家も安泰だ!」
とワインをあおる。ほんのりと顔が赤い。すでに何杯か飲んでいるらしい。
ヘリアス様はあのあと、お父様が何を言ってもにべもなく拒絶していたというのに、よくここまで楽観的でいられるものだとあきれてしまう。
その向かい側で、着飾ったお母様も得意気に胸を張っている。
「私の健気な祈りが女神様に届いたのです。じゃなきゃ、あんな出来損ないの娘に公爵様が求婚するはずないわ」
「そうだな! 出戻り娘にしては出来すぎな話だ。これも我々のおかげだな! ああ、女神様、感謝いたします!」
「うふふ、あの王の剣の名があれば、うちの竜にも箔がついて、もっと高値で取り引きできるわよ! もっと切り詰めるところは切り詰めて儲けないと! 竜は頑丈なんだから!」
お母様の発言にかっと頭の奥が熱くなったけど、私は深呼吸をして抑えこんだ。
慈善事業ではないことくらい理解している。それでも、大切な竜を金儲けの道具として雑に扱おうとするその考えが許せなかった。
竜は竜騎士の生涯の相棒となる存在であり、竜騎士たちは己の竜に家族以上の愛情を向けるという。そして、竜もまた愛情に応える賢い生き物だ。
だからこそ竜たちは、道具扱いをする両親には決して心を開かなかった。
別れの挨拶をしようと一歩足を踏み入れると、最初に気づいたお父様が「こっちに来い」と顎をしゃくってみせた。私は荷物を入口に置いて、お父様に近づく。
「はい、お父様」
「いいか、フィルナ。今度は離縁を言い渡されないよう、どんな手を使ってでも公爵にしがみつけ。いいな?」
お父様はじろっと威圧的に私をにらんだ。私はあえて返事をせずに見つめ返した。
私の反応に、お父様は面食らったようにまばたきした。
「な、何だその態度は!」
「ヘリアス様は、竜医師としての私を必要としてくれました。私は私の役目を果たすだけです」
ちくりと針先で刺す程度の反抗。
それでも、従順だと思っていた娘から反抗的な態度をとられたふたりは目を丸くして、それから怒りに身体を震わせた。
お母様はあまりの怒りに、テーブルに拳を叩きつけながら立ち上がった。私はとっさに身構える。けれど、その怒鳴り声は、アルトリーゼ家の到着を知らせる甲高い笛の音にかき消された。
私たちは一斉に窓の外を見た。
「すごい……!」
私は感嘆の声を上げながら窓に駆け寄り、ガラス越しに空を見上げた。
緑や青、茶色。たくさんの竜たちが、紙吹雪のシャワーのようにキントバージェ家の敷地に舞い降りてくる。
私は荷物を手に持って、急いで玄関へと向かった。
扉を開いて外に出ると、何十頭もの竜が屋敷を取り囲んでいた。
竜の行列は敷地の外までつづいている。
たくさんの竜に囲まれた私は、全身が高揚感に包まれ、そのまま空に浮き上がってしまいそうになった。
「こ、これはすごいな!?」
後ろから、お父様とお母様の興奮した声が聞こえてきた。
「リスティーの時のお迎えとは規模が違うわよ!?」
「それは、ほら、あの子はまだ婚約者だったわけだしな?」
不満げなお母様を宥めるお父様の声を聞きながら、私は目の前の光景にすっかり心を奪われていた。
まさに王の剣の名に相応しい、素晴らしい行列である。
竜の背にまたがっていた竜騎士たち――アルトリーゼ家の象徴である赤の騎士服をまとっている――が地面に降り立ち、こちらに向けて一礼する。彼らの洗練された動きに、私は今更ながらに緊張してしまった。家の格が違いすぎる。
公爵家の紋章を身に着けた竜たちも、どこか誇らしげに胸を張っていた。
どの竜も美しく健康的だった。アルトリーゼ家の補助竜医師たちの腕の良さと、彼らの深い愛情に笑みがこぼれる。
その時、ふっと頭上に影が落ちた。
一陣の風を巻き上げながら、火の竜が舞い降りる。ドゥルキスとヘリアス様だった。
降りた瞬間から、興味津々に周囲を見回すドゥルキスの様子に、私は内心安堵する。
(ドゥルキス……元気そうでよかった)
ドゥルキスの背から降りたヘリアス様は、真っ直ぐにこちらに向かってくる。歩く姿すら優雅で勇ましい。
全身赤の正装姿のヘリアス様は、まるで竜の化身のようだった。偉大なる者を前にした恐れと、その圧倒的な美しさに言葉を失う。
私も、この日のためにと侯爵家の名に恥じない純白のドレスを着ている。それでも、高貴なヘリアス様の隣に並べる自信がなかった。




