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紅脚のアタランテ17

 アタランテはひどく混乱しているらしく、激しく尻尾を振り回し、近づこうとする人間に威嚇を繰り返している。

 それを見ている市民たちが大騒ぎして、さらにアタランテが興奮する。負の悪循環だ。

 アタランテを止めようにも、麻酔銃を二度も撃つのは身体への負担が大きい。

 量を調節して、もう一度……。そう考えていると、腕の中でヘイゼル様が叫んだ。


「アタランテ!」


 騒然とする空気を切り裂くように、凛とした声が響く。

 すると、アタランテの動きがぴたりと止まる。

 呼吸は荒いけれど、少しだけ冷静さを取り戻した彼女は、ヘイゼル様のことをじっと見つめている。


「うん、いい子。いきなり眠らされて、怖かったね。ごめんね」


 ヘイゼル様が優しく声をかけると、アタランテはゆっくりとこちらに近づき、コートに隠されたヘイゼル様の足に鼻先を近づけた。

 そして、「ごめんなさい」と謝罪するように、「クゥーン、クゥーン」と悲しげな声で鳴き始めた。

 その目には涙があふれ、ぽろぽろとこぼれ落ちた。


「竜が泣いてるよ? 悲しいの?」


 小さな女の子が母親に訊ねる声が聞こえた。

 竜が泣く姿を初めて目に見た人々は、その光景に息を飲む。

 ヘイゼル様はそっとアタランテの鼻先に触れて、小さく微笑んだ。


「私が悪いの。だから、気にしないで。あなたは何も悪くないんだよ」


 それでも、アタランテの涙は止まらない。

 彼女がヘイゼル様に献身的だったのは、ヘイゼル様の足になるためだったんだ……。

 だからこそ、自分がヘイゼル様の足を破壊したことを、誰よりも悲しんでいる。


「もう泣かないでよ」


 ヘイゼル様が慰めるようにアタランテの鼻をなでた。

 すると、アタランテの鼻がひくひくと動いて、呼吸がさらに荒くなった。


「どうしたの? アタランテ!?」


 アタランテは私たちから距離を取り、そのまま全身の力が抜けたように横転した。


(もしかして、麻酔が今効いた!?)


 私はヘイゼル様を補助竜医師に託し、駆け出しながら叫んだ。

 

「翼が下敷きになっています! このままだと骨が折れる!」

「全員で持ち上げろ!」


 ユーリ師長も叫びながら、急いで駆け寄ってくる。

 右の翼が折れ曲がり、身体の下敷きになっている。

 私は地面と身体の間に手を差しこみ、必死に押し上げようと力をこめた。

 サンデル先生、アンシア先生、他の竜医師や補助竜医師も加わり、全員で一斉に押し上げるけれど、中々持ち上がらない。


 とにかく重い。じわじわと汗がにじんで手が滑りそうになる。頭に血がのぼる感覚もある。

 でも、ここで諦めたら、アタランテが飛べなくなるかもしれない。


「うおー!」


 その時、叫びながら突進してくる大きな人影と、見覚えのある赤が視界の端に迫ってくるのが見えた。


「よいしょー!」


 掛け声とともに、手にずっしりとのしかかっていた重みがふわっと軽くなる。

 右隣を見ると、ラファエル副師長とヘリアス様がアタランテの身体を持ち上げてくれていた。


「ラファエル副師長!? それに、ヘリアス様!」

「この日のために鍛えてきましたよ!」

「もう少しだ! 一気に押し上げるぞ!」


 ヘリアス様の声に、みんなが「おお!」と応えた。

 あんなに重かった身体が嘘のように軽くなり、あっという間に翼を取り出すことができた。

 すぐにサンデル先生とアンシア先生が翼を確認し、顔を上げる。


「大丈夫、折れてはいません!」


 それを聞いた私たちは、安堵のため息をついた。

 ヘリアス様も「そうか」と小さくうなずき、ラファエル副師長はやりきったという顔で微笑んでいる。

 ふたりともさすがというべきか、汗ひとつかいていなかった。


「ありがとうございます、ヘリアス様。そしてラファエル副師長も」

「間に合ってよかった」

「いやぁ、待機竜舎に用事があったので、残っていてよかったです」


 ラファエル副師長はそう言って、照れくさそうに頬をかいた。


「フィルナ、手を見せてみろ」


 ヘリアス様が私の手を取り、眉を顰めた。


「血がにじんでいる」

「あ……持ち上げた時に、鱗で切ったのかもしれません」


 指摘されて初めて、両手の平から血が出ていることに気がついた。


「アタランテの身体が汚れちゃいました。早く拭いてあげないと」

「竜も大事だが、あなた自身のことももっと大事にしろ」

「は、はい!」


 厳しく言われて、私は慌ててうなずいた。心配してくれているのがわかるから、怖いとは思わない。  

 けれど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 ヘリアス様は近くの補助竜医師に声をかけて、水筒とガーゼ、包帯などを受け取り、応急処置をしてくれた。

 その慣れた手つきに、この方はこうやって何度も誰かを助けてきたのだと感じる。


「緊急時とはいえ、無理をしたな」

「ご心配をおかけして、本当に申し訳ありません。でも、大丈夫ですよ。すぐに治ります!」


 ヘリアス様の眉間の皺がさらに深くなる。


「竜医師という仕事柄、仕方がないとは思うが、心配はさせてくれ」


 そう言って、ヘリアス様は労わるように私の手をそっと包みこむ。

 包帯越しにじんわりと体温が伝わってきた気がして、手の平のじんじんとした痛みが和らいでいくのを感じる。

 天青の神殿でのことがあったからか、ヘリアス様はよく私に怪我がないか心配してくれるようになった。

 大切にされていることが嬉しい。でも、心配をかけてしまうのが心苦しい。


(ヘリアス様が心配しなくてもいいくらいに、もっと強くならないと……!)


 内心で決意する。

 空気を変えるように、私は別の話題を口にした。


「ヘリアス様は、会場の警備を担当されていたのですね」

「ああ。火の竜が一斉に混乱したので、周辺にラドロンが現れた可能性を考えたが、今のところラドロンや魔物の姿はなく、セイレニア教の犯行声明もなかった」


 言い終えると、ヘリアス様は視線をヘイゼル様に向けた。

 ヘイゼル様は、自分の足を隠しているコートをぎゅっと両手でつかみ、心配そうにアタランテを見つめている。


「ヘイゼル様を医務室に運ばなければ」

「そうですね」


 私はうなずき、それから周囲で体力を使い果たして伸びているサンデル先生たちを見た。

 私たち竜医師は、アタランテを会場の外に運ばなければならない。

 そう思い、アタランテに視線を向けると、少し開いた口からよだれがだらだらと垂れているのが見えた。

 ドッと心臓が跳ねて、一瞬呼吸が止まる。


「これって……まさか!」

「フィルナ?」


 違ってほしい。祈るような気持ちで腹部の鱗を確認する。

 すると、赤い鱗が黒く変色していた。


「ユーリ師長! アタランテがコルルムエンネア中毒を発症しています!」


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