守護竜プロメテウス13
その日の夜。
プロメテウスは竜房で派手にこけて、それから立ち上がることはなかった。起き上がろうとすらしない。
「プロメテウス」
ライラ師長がじっとプロメテウスを見つめ、声をかけつづける。何度も、何度も。
彼は優しい目でじっとライラ師長を見つめて、「ありがとう」と伝えるように、ゆっくりとまばたきする。
竜房には、リアン陛下の姿もあった。
「今日は彼と一緒に眠るつもりだ」
と言うので、警備の関係で、ヘリアス様も一緒にいる。
ヘリアス様は、横たわったままのプロメテウスを見て、少し衝撃を受けていた。
「前に背中に乗せてもらった時は、もっと元気そうだった。あっという間なんだな」
「そうですね……」
私たちはお互いに仕事中だったけれど、少しだけ、寂しさを慰め合うように、軽く指を絡めた。
それから一時間ほどが経過した時だ。
「キャア」と、プロメテウスが可愛い声で鳴いた。
「うん? どうかしたかい?」
竜房に入っていたリアン陛下が、プロメテウスの顔に触れながら声をかける。
目は閉じられ、反応がない。胸から腹にかけての呼吸の動きも見られなかった。
はっと、リアン陛下が息を飲んだ。
「プロメテウス!」
ライラ師長が中に入り、私もそれにつづく。
呼吸を確認し、瞳孔に小型照明器具の光を当て、反応があるか確認する。
「ついにこの時が来てしまった」という心の声と、「まだ行かないで」という願いが胸の奥で混ざり合う。
ライラ師長は深く息を吐いて、リアン陛下に向き直る。
「女神様のもとへ、旅立たれました」
彼女がそう告げると、リアン陛下は目に涙を浮かべ、「そうか」と小さくうなずいた。
リアン陛下は、深い眠りについたプロメテウスの目元に触れながら、声をかけた。
「頑張ったなぁ……。本当に、今までよく頑張ってくれた。三百年もの間、この国を守ってくれて、本当にありがとう。いつか必ずあなたに会いに行くから、その時は、一緒に空を飛ぼう」
感謝と愛を伝えるように、リアン陛下は大きな鱗をひとつずつ丁寧になでる。
リアン陛下の優しい声と、鼻をすする音が静かな竜房に響く。
プロメテウスは、全身の力が抜けたように横たわっていた。
ライラ師長は、その穏やかな顔をじっと見つめていた。だけど、その目には涙が浮かび、呼吸が乱れ始める。
それでも、声を上げて泣くことはせず、静かに一礼した。
「さようなら……偉大なるプロメテウス。お疲れ様でした」
彼女が感謝を伝えると、ラファエル副師長や他の竜医師、補助竜医師たちも、次々と感謝の言葉を口にした。
私も同じように、感謝と労いの言葉をかける。「ありがとう」と伝えたいのに、こみ上げる涙で声が詰まり、うまく言葉にならない。
守護竜の旅立ちに、誰もが涙を流していた。
関わった年数はそれぞれ違っていても、彼に対する敬意と思いは、みんな同じだった。
「ライラ。あなたには、本当に苦労をかけたね」
リアン陛下がライラ師長に労いの言葉をかけると、彼女は小さく首を横に振った。うつむき加減になって、震える声で言った。
「私には、そのようなお言葉を受け取る資格などございません。私はプロメテウスの大切な時間を奪い、苦しめてしまったのです」
「彼はそうは思わなかっただろう。あなたのおかげで、大きな病もせず、心安らかに旅立てたのだ。守護竜を任された重責もあっただろうに、最後まで彼を支えてくれたことに感謝する」
「陛下……っ」
ライラ師長は謝罪の言葉を飲みこみ、嗚咽をこぼした。
リアン陛下は私に向き直り、涙に濡れた顔のまま微笑んだ。
「フィルナ。あなたにも本当に世話になったね。ライラを説得し、支えてくれたおかげで、私はプロメテウスと、とても幸せな時間を過ごすことができた。ありがとう」
「もったいないお言葉でございます」
「……それで、フィルナ。あなたにひとつ頼みがある。どうか最後に、ウタヒメの歌を捧げてもらえないだろうか」
「もちろんです」
私はプロメテウスのそばに寄り、その姿を見つめた。
もう、あの優しい眼差しも、息遣いも、何も感じられない。寂しさが押し寄せ、胸がきゅっと締めつけられる。
胸の前で祈るように両手を組み、そっと目を閉じる。
視覚が閉ざされると、他の感覚が研ぎ澄まされていく。
静寂。竜房のにおい。誰かの泣き声。肌に触れる冷たい風。
私は深く息を吸いこみ、吐き出す息に音を乗せた。
(どうか、痛みと苦しみから解放された身体で、もう一度空へ……)
そう願いながら、竜の歌を紡ぐ。すると、プロメテウスの身体が、淡く輝き始めた。
(これは……!?)
誰もが目の前の光景に息を飲んだ。武芸大会の時に見た、竜の共鳴反応のようにも見える。
その儚い光はプロメテウスの身体から抜け出し、やがて巨大な竜を思わせる形をして、私たちの目の前に現れた。
光の竜は、大きな翼を広げて、その場にいる人間すべてを包みこんだ。
触れることはできないのに、まるで火の竜に触れた時と同じくらい温かかった。
「プロメテウス?」
そう呼びかけると、光の竜はこくりとうなずいた。
光となった守護竜は空を見上げ、地を蹴って飛び上がる。
その身体は天井をすり抜け、外の世界へと飛び出していった。
私たちはそれを追うようにして、竜舎の外へと駆け出した。
光の竜が夜空を舞っている。
私たちを待っていたのか、その姿は花火のようにぱっと弾けて、空に光の大輪を咲かせた。
弾けた光は、優しい雨のように、私たちの頭上に降り注ぐ。
その幻想的な光景に、私は静かに見惚れていた。
もう一度光が弾ける。すると、隣に並んだヘリアス様の表情が、柔らかな光に照らされた。彼もまたその光を見つめて、小さく微笑んでいる。
私の右隣に並んだライラ師長が、夜空を見上げながら言った。
「笑ってくれと、そう言っているのかもしれない。本当に、優しい竜だったから」
ライラ師長の顔に、もう後悔の影はない。命の光に照らされたその微笑みは、とても美しかった。