守護竜プロメテウス11
プロメテウスは食事を終えると、腹部を床につけた状態のまま座って、そこからほとんど動かなくなった。
時々、ふうーっと息を吐いて、目を閉じている。
たくさん食べたから、お腹が苦しいのかもしれない。
(旅立つ生き物は、自然と食事をしなくなる。それなのに、プロメテウスは必死に食べようとしている)
これ以上は危険だ。
その時、ラファエル副師長が不安そうな表情を浮かべて訊ねた。
「ライラ師長、本当にまた食べさせるんですか? 胃の負担を考え、少し様子を見てからの方が……」
ライラ師長は書類から顔を上げて、ラファエル副師長をきっとにらんだ。
「何を言っている? 食べさせないと痩せていくだけだ! 私は陛下から預かったプロメテウスを死なせるわけにはいかないのだ!」
「それはわかっていますが……」
「今まで順調だったんだ。食欲不振には、必ず原因があるはずなんだ」
「ライラ師長……」
「この室温は適温ではなかったかもしれん。皮膚炎の治療に使用した抗生剤で一時的な食欲不振も考えられるが、使用は既に中止しているし……。放牧場での散歩もできていないから、そのストレスか?」
ライラ師長はぶつぶつとつぶやいたかと思うと、顔を上げて、ラファエル副師長に指示を出した。
「食欲促進剤を使用しよう。一時的だが、必ず効果がある」
「わ、わかりました」
ライラ師長の勢いに押され、ラファエル副師長は慌ててうなずいた。
私はひとつ深呼吸をしてから、意を決して言葉を発した。
「ライラ師長。その薬を使用する前に、もう少し他の竜医師たちと話し合う必要があると思います」
「何だと?」
ライラ師長は不快そうに目を細めて、私をにらんだ。
「話し合いだと? 何を話し合う必要がある」
「食事量が減っているのは、プロメテウスの終末期だからでしょう」
その瞬間、ラファエル副師長や補助竜医師たちが息を飲んだ。
ライラ師長は少し目を見開いて、それから苛立った様子で言った。
「終末期? プロメテウスがもうじき死ぬと? ふざけたこと言うな!」
「ふざけてなどいません。違和感があれば報告しろと、そう言ったのはあなたです。ライラ師長だって、竜医師たちが感じるちょっとした違和感の重要性を知っているから、あんなことを言ったはずです」
「違和感だと? それは違うな。あなたは私のやり方が気に入らないから不快になっているだけだ。だから終末期などと言って、自分の意見を通そうとしているんだ!」
やっぱりそうだ。私は確信した。この人は、プロメテウスが死ぬなんて、考えたくないんだ。
ライラ師長は私の目前に書類を突きつけた。
「これが私たちのやり方だ。数値上では何も問題ない。私の管理は完璧だ」
彼女が必死にプロメテウスを生かそうとする理由もわかる。
この国を守る守護竜を死なせるわけにはいかない、という使命感。そして、大切な竜を失いたくないという彼女自身の強い思い。
私だって、エアルが同じことになったら、冷静でいられる自信がない。
だけど、私の脳裏によみがえるのは、陛下がつぶやいたあの言葉。「できれば、苦しませないように」という一言だ。
「数値も大切ですが、彼が今どんな状態なのか、確認できていますか?」
「馬鹿にするなよ、何年プロメテウスを見てきたと思っている! 研修医のくせに、私よりも優れていると言いたいのか!?」
「いいえ」
「ここでは私が竜医師長だ! プロメテウスは私が完璧に管理する! 私の指示に従えないならここから出ていけ!」
ライラ師長は扉の方を指差して叫んだ。
私は、怒りに顔をゆがませるライラ師長を見つめながら、小さくうなずいた。
「わかりました。ですが、ひとつだけよろしいですか?」
私はライラ師長に目をやり、それから周囲の竜医師や補助竜医師たちの顔を見回した。
「あなたも、ここにいる人たちもみんな、プロメテウスが老いた竜であることを理解しておられない」
「それくらい誰もが理解している! だから毎日完璧な食事と運動量を計算して――」
「ええ、完璧です。高齢竜のための食事に薬、栄養補助食品も与えられている。もう一度、プロメテウスに飛んでほしいという願いを感じます。ですが、プロメテウスは、この竜舎にいる若い竜とは違うのです」
「わかっていると言っている!」
「いいえ、わかっていません。三百年以上ここにいるから、感覚が麻痺しているのです。私たちはいつか死ぬんです。それは、守護竜だって同じです。永遠に生きる存在などいない。書類から顔を上げて、彼を見てあげてください!」
私ではなく、彼を。私は両手を広げ、プロメテウスへと視線を誘導した。
ライラ師長ははっとして、プロメテウスに視線を向けた。
プロメテウスは顏だけをこちらに向けて、私たちを見つめている。
「プロメテウスはきっと、あなたの願いに応えようとしている」
「私の、願いに?」
「ええ。もう一度空を飛んで、守護竜としての務めを果たそうとしているのです。あなたの不安そうな顔、悲しそうな顔を、笑顔にするために」
ライラ師長は言葉を詰まらせた。
「最期まで守護竜としての人生をまっとうさせるのか、それとも守護竜という役目から解放し、できるだけ苦しませずに、彼自身の人生を送ってもらうのか……。それを決定するのは私たち竜医師ではなく、リアン陛下です」
「あ……」
ライラ師長の目がいっぱいに見開かれた。
彼女はかたかたと震える手で鉄格子をつかんで、プロメテウスを見上げた。
「もう一度、空を飛びたいと、陛下のご命令で……いや、違う。それは、私が言い出したことだ。陛下ではない」
ライラ師長は首を横に振った。プロメテウスが心配そうに鼻先を近づける。
「いつか、もう一度飛べるようにしてみせると、私が言ったんだった。こんなに翼がボロボロなのに……私は……」
彼女の目には、何が見えただろう。
ガーゼが貼られたボロボロの翼。色褪せた鱗。寝転がったまま、立ち上がることすら苦しそうな守護竜の姿……。
「ああ……!」ライラ師長は、愕然としたように声を漏らした。
火の竜は頑丈で、自分たちよりもずっと長生きだ。だから病気だってすぐに治ると思ってしまうし、いつまでも若い頃のままだと錯覚する。
目の前の現実を、幻想で覆い隠してしまう。
ライラ師長は現実を否定するように激しく頭を振り、竜舎を飛び出してしまった。
「ライラ師長!」
その背を追いかける。今はひとりにするべきじゃないと、そう思ったから。