守護竜プロメテウス7
竜舎の近くには竜医師たちの休憩所があり、そこには食堂の他に、カフェや運動施設も併設されているらしい。
私はラファエル副師長に誘われ、食堂にやって来た。
肉料理や魚料理、焼きたてのパンやスープ、サラダにデザートなど、メニューが充実している。
専属竜医師や補助竜医師は、ここの料理を自由に食べていいみたい。
私が選んだのは、食べやすさを優先したサンドイッチ。
たっぷりの卵と、シャキシャキとした新鮮なレタス。酸味のあるトマトが美味しい……と脳が認識する前に、メモに書かれた情報が上書きしていく。
(栄養補助食品も、アルトリーゼ家のものとは全然違う。火の竜には、こういう組み合わせも効果があるのね。竜競に特化している可能性もあるから、そこは注意が必要……)
メモに書いた情報をノートに整理しながら、金紅の竜舎の特徴を振り返る。
一番の利点は、内科や外科など、それぞれの専門分野に特化した竜医師が集められていること。
他の家の竜舎では、そもそも竜医師の人数が少ないから、総合的な知識が必要になる。
けれど、これほど大規模な竜舎なら、各分野に特化した竜医師を配置できるし、治療の幅もぐんと広がる。
(これが竜護院の理想の形なのかしら……)
ノート整理が一段落したところで、冷えてしまった紅茶に手を伸ばす。
そこでようやく、ラファエル副師長たちがこちらを見ていたことに気づき、「あ」と声が漏れた。
「フィルナ様は、とても勉強熱心ですね」
ラファエル副師長に感心したような口調で言われ、頬が熱くなる。
「すみません、食事中にこんなことをして……」
「いえいえ、休憩所では勉強をしながら食事をしている竜医師も多いですから」
「……フィルナ様の勉強量はすごいですね。研修医でも、そこまでやるかどうか……」
デボラさんが、私の手元を見つめながら言った。
「ここでの学びをアルトリーゼ家に持ち帰り、一頭でも多くの竜を救いたいと思っています」
「……すごい。私も見習いたいです」
「私たちも、もっと頑張らないとね」
セシリアさんがそう言うと、デボラさんも力強くうなずいた。
「あ、そういえば」とセシリアさんが口を開いた。
「初日でライラ師長に気に入られるなんて、すごいですね。研修医をプロメテウスの竜房に入れるなんて、今まで一度もなかったことですから!」
「気に入られているのでしょうか? 怒らせてしまったし、嫌われてしまったかもしれません」
「意見の衝突があったとしても、あなたを嫌っているなんてことはないと思いますよ」
ラファエル副師長は、紅茶を飲みながらそう言った。
「でも……」とセシリアさんが、周囲を気にするように小声で言った。
「最近のライラ師長、プロメテウスの件があるからか、いつも以上に厳しいですよね。竜舎全体がピリピリしていて、ちょっと怖いです。副師長もたくさん怒られていますよね?」
「ははは……。まあ、あの人は完璧主義なところがありますからね。もう怒られ慣れました!」
「それは、得意げに言っていいことなんでしょうか……」
セシリアさんは哀れむような眼差しで、ラファエル副師長を見つめた。
「……もしかしたら」
デボラさんがスープを一口飲んでから、口を開いた。
「フィルナ様をライバル視しているのでは?」
「研修医の私を、ライバルだと?」
「それはあり得ますね」
ラファエル副師長が納得したようにうなずいた。
「同じ竜聖医の称号持ちですから、その気持ちはあるかもしれませんね。あなたに負けたくないのでしょう」
負けたくない……。あの視線はそういう意味だったのね。
「ライバルと思ってくれる人がいるなんて……嬉しいです」
金紅の竜舎の竜師長という立場の人が、私のことをライバルだと思ってくれている。
つまり、対等に見てくれているのかしら。
竜医師として勝ち負けを競っているわけではないけれど、私を認めてくれる人がいることはとても嬉しい。
そんな風に思っていると、三人が不思議そうな顔をしていた。
変なことを言ったかも!? と思って、誤魔化すように紅茶を飲んだ。
「でも、ライラ師長、あんなに頑張っているんですから、プロメテウスがまた飛べるようになればいいですね」
「……そうだね」
セシリアさんとデボラさんの会話に、少し違和感を覚えた。
その理由を探ろうとした時、視線の先に、噂のライラ師長の姿を見つけた。
片手にトレイ、もう片方の手に書類を抱えて、きょろきょろと周囲を見回している。座る場所を探しているみたいだ。
この時間、席はほとんど埋まっていたけれど、食べ終えた人もいるのに、誰も席を譲ろうとしない。
みんな、ライラ師長と目を合せようとせず、視線をそらしている。
ちょうど、私の隣の席が空いていた。
「ライラ師長、私の隣の席、空いていますよ」
そう声をかけると、ライラ師長はびっくりしたように目を見開いた。
ラファエル副師長たちも目を丸くしているし、私の周囲に座っている人たちも沈黙している。
(そ、そんなにおかしなことだったかしら? もしかして、研修医風情が、ライラ師長に声をかけるなってこと!?)
それによく考えれば、ひとりで食べながら仕事をしたいと考えているかもしれないのに、余計なおせっかいだったかもしれない。
(でも、知らないふりをするよりも、声をかけて嫌われた方がマシかもしれない)
そう自分に言い聞かせながら、私はライラ師長を見つめた。
ライラ師長は少し迷った素振りを見せたけど、私の隣に座ってくれた。
「……声をかけてくれてありがとう。助かったよ」
「あ、いえ! こちらこそ、ありがとうございます」
「なぜあなたが感謝を? まあ、いいが」
ライラ師長は、何だかほっとしているように見えた。空いている席が見つからなくて、困っていたのかもしれない。
トレイには、私が選んだのと同じサンドイッチが載っていた。
テーブルの上には、書類の束と参考書が置かれている。
食事中でさえ、頭の中は竜のことでいっぱいなんだと思う。
やっぱり、ライラ師長は誰よりもプロメテウスを気にかけている。
師長という立場も影響していると思うけれど、それだけが理由じゃないはず。
ライラ師長を見ていると、何だか嬉しくなる。
「その本は、どんな本ですか?」
「これは高齢の火の竜に関する貴重な本だ。読むのは二回目だが、新たな発見があるかもしれないと思ってな。まだ読んだことがないなら、オススメだぞ」
「ありがとうございます! 読んでみますね」
ライラ師長はちらっと私を見て、その本を私に差し出した。
「私はもう一冊持っているから、読みたいならこれを読むといい」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
火の竜に関する本はあまり出回らないから、とても貴重だ。
「わあぁ……!」と、小さく歓喜の声を上げながら目次を眺めていると、ふっとライラ師長が笑ったような気配がした。
本から目を上げると、ちょうどライラ師長と目が合った。彼女は一瞬気まずそうに眉を寄せて、視線をそらした。
「あなたは、嫌じゃないのか?」
「嫌とは?」
「私は先ほど、あなたを怒鳴ったんだぞ。普通は私を避けるだろう」
「私が何も知らないというのはその通りですし、そのことでライラ師長を避けようだなんて思いません。それに、ライラ師長から学びたいことがたくさんあります。ご迷惑でなければ、もっと話をしてみたいです」
「そ、そう……」
ライラ師長は、慌てたようにサンドイッチを口に運んだ。
その目元が、ほんのりと赤く染まっているように見えたけれど、あまりじっと見つめるのも失礼な気がして、私も残りのサンドイッチをぱくりと食べた。
すると、じっとこちらを見つめているラファエル副師長たちと目が合った。
「……やっぱり大物ですね、フィルナ様」
「え?」
「あ、いや、何でもないですよ」
ラファエル副師長が、「あはは」と曖昧に笑った。
「ああ、そういえば!」と、セシリアさんが少し強引に話題を切り替えた。
「さっき聞いたんですけど、金緑の竜舎の竜医師が、突然倒れたそうですよ」
「誰が倒れたのだ?」
ライラ師長が訊ねる。セシリアさんが口を開こうとした、その瞬間、
「ティモン竜医師だ」
彼女の声をさえぎるように、聞き覚えのある低音が響いた。
慌てて後ろを振り返ると、そこにはヘリアス様とラインさんが立っていた。