守護竜プロメテウス6
アルカスを竜房に戻したあと、私はラファエル副師長について回り、様々なことを教えてもらった。
この竜舎での火の竜の飼育方法。特別な栄養補助食品。敷料の素材、などなど……。
どれも勉強になる。
必死にメモを取っていると、ライラ師長に呼ばれた。
「フィルナ研修医」
「はい!」
彼女に呼ばれると、何だか緊張して背筋がぴんと伸びる。
私はメモを閉じて、ライラ師長に向き直った。
「生きる伝説と呼ばれた火の竜のもとへ案内する」
その瞬間、ラファエル副師長だけでなく、近くにいた竜医師や、補助竜医師たちがざわめいた。
私も、その言葉の意味を理解して、気持ちを引き締める。
「わかりました」
「よろしい。ラファエル副師長、彼女を連れて行くぞ」
「了解です」
「では、私についてきてくれ」
私はライラ師長に連れられて、奥の部屋へと案内された。
扉を開いた先にあったのは、他の火の竜の竜房とは異なる、特別仕様の大きな竜房だった。
その中には、巨大な火の竜が横たわっていた。
ライラ師長が足を止め、誇らしげな顔をして言った。
「三百年を生きる最高齢の火の竜。生きる伝説と言われたこの国の守護竜、プロメテウスだ」
「彼が……」
偉大なものを前にした緊張からか、私の声は震えていた。
大きさはエアル二頭分、ううん、それ以上はある。
威厳ある太い角に、少し色褪せてはいるものの、立派な鱗。見たこともないほど大きな翼に、鉄格子を薙ぎ倒してしまいそうな太い尻尾。
眠っていても、伝説という名に相応しい威風を漂わせる竜だった。
最強の火の竜と称された、ジュピタリアの孫であるプロメテウス。
老いは感じるけれど、その名を呼ぶのも躊躇われるほどの存在感だった。
その気配は最早、神に近い。
圧倒的な姿に見惚れていると、竜房の近くにいた男性がこちらに気づいて、「おや」と嬉しそうな声を上げた。
「そこにいるのは、フィルナかな?」
「え……陛下!?」
その男性は、我が国の国王リアン陛下だった。作業服姿だったから、一瞬誰かわからなかった。
「休憩時間に、ここの掃除を手伝っていてね」
「陛下直々に、この竜房の掃除を?」
「そうだよ。この国の守護竜である彼には、いつも世話になっているからね。やれることはしてあげたいのさ」
そう言って、陛下は微笑んだ。
武芸大会の前夜祭でお会いした時は、五十代にしては若々しい印象だったけれど、その表情に疲労がにじんでいるせいか、実年齢以上に老けて見えた。
「研修医が来るとは聞いていたが、あなただったとは知らなかったよ。ここでの経験が、きっとあなたの糧となるだろう。期待しているよ」
「ありがとうございます。一ヶ月間、学ばせていただきます」
「うんうん。ああ、そういえば、エンリカやアリーチェのことも世話になったね。水棲竜の出産の件も感謝しているよ。スペルビアとの友好関係が改善されたのも、あなたの功績が大きい」
「身に余るお言葉で、す!?」
ものすごい形相でライラ師長ににらまれて、ぎょっと息を飲んだ。
私、何か変なことを言ったかしら?
「さて、そろそろ城に戻らないといけないな」
陛下がプロメテウスを見上げて、名残惜しそうにつぶやいた。
その金色の瞳が、優しげに細められる。
「陛下」
ライラ師長が、陛下に一歩近づいて言った。
「近頃のプロメテウスの体調は良好です。ですから、もう一度プロメテウスの背中に乗って空を飛ぶこともできるはずです。私が陛下の夢を、必ず叶えてみせます」
ライラ師長が自信たっぷりに宣言するので、私はその発言に少し驚いてしまった。
陛下は嬉しそうに微笑んで、小さくうなずいた。
「もう一度空を飛べたら嬉しいね。ライラ、彼やみんなのことを頼むよ」
「はっ! お任せください!」
「できれば、苦しませないように……」
陛下は最後にそう小さくつぶやくと、竜舎を後にした。
その背を見送るライラ師長の横顔には、かすかな笑みが浮かんでいる。
けれど、私と目が合った瞬間、その笑みは幻のように消えてしまった。
「聞いたな? 私たちの責任は重大だぞ」
「はい」
「プロメテウスが目を覚ましたら、まずは食事を与える。一度に多くは食べられないので、少量ずつ、回数を増やして与えることにしている」
「わかりました」
ライラ師長の指示に従って、プロメテウス専用の食事が用意された。
それを見た私は、少し疑問に思う。
(思ったよりも多い……)
餌桶には、新鮮な肉がどっさり入っている。
たしかに、若い竜に比べれば少量だし、食べやすいように細かく切ってあるけれど……。
「この量を全部与えるのですか?」
「筋肉量を維持するためには、高タンパクな食事が必要だ。もちろん肉だけを与えつづければ痩せていくから、栄養は偏らないように計算してある。カロリーも高めだ」
「そうなんですね」
「腎臓への負担も考えた、完璧な食事だ。何か気になることでもあるのか」
じっと冷たい目で見つめられて、私は慌てて首を横に振った。
「いえ、身体が大きいから、食べる量も多いのだと思って……」
「そうだ」
その時、プロメテウスが目を覚ました。
のそりと上体を起こし、眠そうな目でまずライラ師長を、それから新入りである私に視線を向けた。
「初めまして。フィルナ・アルトリーゼと申します」
と自己紹介をする。
プロメテウスは私の方へ顔を寄せて、くんくんとにおいを嗅いでいる。
そして、「よろしく」と返事をするように、ゆっくりとまばたきした。
なんて優しい眼差しだろう。
私なんかよりもずっと大きく、長い年月を生きてきた存在が、私を認めてくれた気がした。
さすがは、この国の守護竜と呼ばれた存在だ。自分の矮小さを、まざまざと思い知らされる。
「何というか、すごい包容力……」
「だろう? 三百歳と言わず、これからも何十年と元気でいてもらう予定だ」
ふふん、とライラ師長は誇らしげに胸を張った。
たしかに、プロメテウスなら、これからも何十年と長生きしていけそうな気がする。
私たちは餌桶を竜房に設置して、プロメテウスの様子を観察した。高齢のため、時々吐いてしまうことがあるらしい。
プロメテウスは餌桶の中の食材のにおいを嗅ぐと、ゆっくりと食べ始めた。
その姿を見て、私は思わず眉を顰めた。
(苦しそう)
少し食べては、じっと動きを止めて呼吸を整えている。胸の動きを見ると、呼吸も速い。
(それに、このにおい……)
呼吸に混じる独特なにおい。食事の際の苦しそうな姿。
私はすぐに考えを改めた。
これから何十年も生きられる竜ではない。どう見ても終末期の竜だ。
(竜が生きたいと願う限り、私はそれを支える。だけど、これは……)
ライラ師長が竜房に近づき、プロメテウスに声をかけた。
「ゆっくりでいい。それを食べたら、また空を飛べるようになる。私を信じてくれ」
すると、プロメテウスはライラ師長に応えるように、食事を再開した。
ライラ師長は、その姿を見て満足そうにうなずいている。
だけど私は、プロメテウスの苦しげな横顔を見て、胸が痛んだ。
彼は本当に、空を飛びたいと望んでいるのだろうか?
ライラ師長は私の視線に気づいて、不機嫌そうに口を開いた。
「何か言いたげだな?」
「いえ、少し呼吸が苦しそうに見えて。食事の量の調節は――」
「これが完璧な計算だ!」
鋭く言葉をさえぎられ、私は口をつぐんだ。
彼女は怒ったように言い放つ。
「何も知らないくせに指図するな。あなたは研修医だろう。黙って私の指示に従えばいいんだ!」
そう言って、強引に話を打ち切った。
ぴりぴりとした空気の中、補助竜医師たちは戸惑ったような表情を浮かべていた。
ライラ師長は、「完璧」というものにこだわっているように見える。
(たしかに、私は何も知らない。でも、このままでいいのかしら? それとも、私のこの疑問は余計なものなの?)
プロメテウスに視線を向けると、彼はすでに食事を終えたらしく、疲れたように横たわっていた。
(あとで、診療記録を確認しよう。プロメテウスだけじゃない、他の火の竜もすべて)
私には知識が足りないし、ライラ師長から信頼されていない。だったら、悩んでいないで行動しないと。手遅れになる前に……。




