人魚姫と水棲竜3
手紙の内容は、第三王子マルセル様の奥方、エンリカ様の所有する水棲竜の診察依頼だ。
水棲竜とはその名の通り、水中で生活をしている竜の総称。
水属性の竜と体表の色は似ているけれど、水棲竜に翼はなく、代わりに美しい鰭を持っている。
エンリカ様の生まれ故郷であるスペルビア王国は小さな島国だけど、そこには多くの水棲竜が生息していて、他国にはない強力な海上戦力を誇っている。
そして今回の依頼は、エンリカ様が結婚する際に連れてきた水棲竜が原因不明の体調不良のため、その治療を頼みたいということだった。
私は手紙を机に置いて、小さく息を吐き出した。
「エンリカ様は、何者かが水棲竜に毒を盛ったと主張しているみたいね」
それを聞いたフェリシアが、難しい顔をしてうなずいた。
「そう考えてしまうのも無理はありませんね。エンリカ様は反乱軍に参加していませんが、彼女に憎しみを向ける者は少なからず存在します」
「そうですか……」
「奥様」
フェリシアは真剣な表情をして言った。
「ヘリアス様の留守を狙ったかのような依頼です。警戒した方がよろしいかと」
「フェリシアの言う通りです。今回はお断りした方がいいですよ、奥様」
私は心配そうにするシーラに微笑みかけて、首を横に振った。
「いえ、王子の依頼です。断ることはできません」
「うぅ、そうですよね……」
シーラがしょんぼりと肩を落とした。
依頼と言っているけれど、これは命令だ。私に拒否権はない。
「それにしても、なぜ私にこの依頼を?」
私は五年前の第三王子反乱の戦いに参加していないけれど、今はアルトリーゼ家の人間だ。普通なら、戦いに無関係な竜医師を選ぶはず。
「ひどすぎます」
シーラが、ぽつりとつぶやいた。彼女は思いつめたように地面を見つめている。
「シーラ?」
「ヘリアス様や、あの戦いに参加していた人たちは、今も苦しんでいます。それに、アンネマリー様のことだって……」
シーラは、今にも泣き出しそうな顔をして言った。
「アンネマリー様はただ、敵味方関係なく竜と竜騎士を助けていただけなのに、そこを攻撃したのは反乱軍です! あのお方を殺したのは――」
「シーラ、落ち着いて」
「あ……申し訳ありません」
シーラははっと我に返り、王子の依頼という手前、それ以上は口をつぐんだ。
フェリシアの瞳にも、同じような悲痛の色が浮かんでいる。
ベルンハルト様の意図はわからない。ただ純粋に、エンリカ様の水棲竜を案じておられるのかもしれない。
(五年前のこともそうだけど、エンリカ様の置かれた立場もかなり厄介ね)
反乱軍の首謀者の妻というだけで、すでに微妙な立場だ。
彼女自身は反乱に加担しておらず、スペルビア王国の王女という立場もあって罪には問われなかったけれど、現在も軟禁状態にあるという。
恐らく、彼女を憎む者たちから守るという理由もあるんだろうけど。
「そういえば、エンリカ様はスペルビアには帰らないのでしょうか?」
シーラが首を傾げた。その疑問には、フェリシアが答えてくれた。
「一度は帰国の話も出たようですが、マルセル様との間に姫君がいることと、その他色々あって、うやむやになってしまったみたいです」
「そうだったんですね」
扱いが難しい立場から、腫れ物のように扱われている、と聞いたことがある。
インヴィディア王国が彼女を手放さないのは、スペルビア王国の強力な海上戦力を手放したくないから。彼らを敵に回すと、海からの脅威となる可能性が高い。
それに、スペルビア王国でしか採れない希少な鉱物があるため、友好関係を築いておきたいはずだ。
そして、スペルビア王国も、インヴィディア王国との友好関係を維持したいと考えている。
かつて帝国と敵対していたこともあり、彼らに狙われるのを避けたいという思惑もあると思う。
それに、スペルビア王国は我が国から数多くの翼竜を借りている国でもある。
お互いの国の利害が一致しているからこそ、エンリカ様はまだこの国にいる。
とはいえ、その両国を繋ぐ糸が徐々に擦り切れているのは間違いない。
(誰も触れたがらない場所へ向かえ、と……)
私は内心ため息をついた。
ただ純粋に水棲竜の治療を望まれているのか、それとも、アルトリーゼ家の失墜を望む者がいるのか。
どちらにしろ、ヘリアス様の名を貶めるわけにはいかない。
(すごいプレッシャーを感じるけれど、やりがいのある仕事だわ)
諸々の事情を抜きにして考えれば、とても魅力的な話だ。なぜなら……。
(あの水棲竜に会える!)
私の気分は、不安よりも高揚感の方が勝っていた。
この国では水棲竜自体が珍しいし、私もほとんど診察経験がない。これは経験を積む良い機会かもしれない。
最初から拒否権はなかったけれど、私は自らの意思で、この依頼を受けることにした。
エンリカ様の要望により、護衛の竜騎士と侍女の人数は制限された。それでも私は、「水棲竜に会えるかも!」「泳ぐ姿が見たい」「その子の鰭はどんな形をしているのかしら?」と期待に胸を弾ませていた。それなのに……。
(まさか、門前払いを受けるとは思わなかった……!)
私は、天青の神殿と呼ばれた屋敷を見つめながら、深くため息をついた。
ちょっと、ううん、結構がっかりしている。
(会いたかったな)
水棲竜に会えなかったことも残念だけど、このままでは王子の依頼を達成できず、ヘリアス様の評判を落としてしまう。
一方的に拒絶されてしまったと主張したところで、どれほど信用してもらえるのか……。
そもそも失敗を望まれているとしたら、報告も慎重にならないと。
(これでは、水棲竜がどんな状態なのかもわからない)
エンリカ様と侍女たちは部外者を警戒している。
今のままでは、屋敷に入ることはできないだろう。
「仕方ないわね。一度、発着場に戻りましょうか」
「そうですね。作戦会議をしましょう!」
私とシーラは、島の発着場の方へ逆戻りすることになった。
その道中、シーラが不満そうに頬を膨らませながら言った。
「むう……まさか、屋敷に入れてもらえないとは思いませんでしたね」
「そうね。水棲竜の状態も気になるし、依頼を達成できなかったらヘリアス様にも迷惑がかかる。それに……」
竜護院のための竜医師も揃っていない状態で、私が依頼を達成できないのは非常にまずい。
アウデンティア竜護院の規模は大きいので、なるべく多くの竜医師を確保しておきたい。最低でも三人と言われているけれど、それ以上の人数が必要になると思う。
とはいえ、公爵家が主体となって募集をかけても、そう簡単に集まらない。
腕の良い竜医師は争奪戦になっているのかもしれない。
(それに、近頃はキントバージェ家の娘だからと、陰口を叩かれることも多くなった)
いちいち気にしないようにしているから、以前のように落ちこむことは少なくなった。でも、竜医師が集まらない理由がキントバージェ家にあるのなら、一体どうすればいいのだろう。
(依頼を達成し、実績を積むしかない。だからこそ、今回の依頼は失敗できない。でも、失敗を望む人も一定数いるんだわ)
そんなことを考えながら歩いていると、発着場の方から騒がしい声が聞こえてくる。
発着場には、運搬用の装備をつけた竜たちがいて、その近くにはたくさんの木箱が積み上がっていた。
あの屋敷に、食料や日用品などを届けに来た商人の集団のようだ。
「何やら揉めているようですね」
「そうみたいね」
商人と思われる男性と、竜医師のコートを着た男性が話している。
私たちが近づくと、竜医師の男性がこちらに気がついた。
四十代後半くらいの、少しふっくらとした体形の男性だ。
彼は一瞬険しい顔をしたけれど、すぐに笑顔を浮かべて近づいてきた。
「初めまして、フィルナ様。私はあの屋敷の専属竜医師兼管理役である、ヴラカス・ゴールデンマンと申します」
「初めまして、フィルナです」
互いに一礼し、軽く自己紹介を済ませた。私が訪れていることは、すでに知っていたらしい。
失礼だけど、パルテノス教会にいたフォルミード先生と笑い方が似ている気がする。
(管理役とは、つまり……監視役の意味もあるのかしら?)
彼はカールさせた口髭の端に触れながら、にこにこと笑って言った。
「その様子ですと、あなたも追い返されてしまったようですね」
「ということは、そちらも?」
「ええ、まあ……。フィルナ様は、なぜあの屋敷に? エンリカ様からのご依頼ですか?」
「いえ、私はベルンハルト様のご依頼により、水棲竜の診察に参りました。ヴラカス先生は専属竜医師とおっしゃいましたが、水棲竜はどのような状態なのでしょう」
「いやぁ、それがですね、私も一年以上ろくに診察ができていないのですよ」
「そうなんですね」
「ええ、そうです!」
ヴラカス先生は苛立った声を出した。どうやら、水棲竜の状態を聞かれたくなかったらしい。
「一年前に事故というか、事件というか、色々ありましてねぇ。詳しくは言えませんが、ほら、恨まれることも多いでしょう?」
アハハハ! とヴラカス先生は声を上げて笑った。
一年前の事故というのは初耳だった。
「まあ、そんなことがあったせいで、エンリカ様はすっかり人間不信になってしまいましてね。あの屋敷にいるのも、全員スペルビア人です。それ以外の人間はすべて解雇して、我々のような外部の人間も拒絶しているのです」
「なるほど。それで、あんなにも警戒しているのですね」
「ええ、そうです! ですから、現在水棲竜がどのような状態なのか、誰にもわからないということです。誰にもね!」
「え? そうですね」
怒ったような言い方をされて、私は驚いてしまった。ずいぶんと機嫌が悪い。
とりあえず、門前払いを受けた理由がわかってよかった。そう納得していると、ヴラカス先生が「残念ですねぇ」とにやにや笑いながら言った。
「竜聖医であるはずのフィルナ様でもだめでしたか!」
「え?」
「まあまあ、そう気を落とすことはありません。王国から選ばれた専属竜医師であるこの私ですら屋敷に入れないのですから、仕方ありませんよ!」
「はあ……」
「いやぁ、でも残念ですねぇ。竜聖医の称号持ちなのに! こんなひどい扱いを受けるとは思わなかったでしょう? アハハハ!」
この人、さっきからやたらと竜聖医を強調してくる気がする。
「そんな称号を持っているくせに、診察できなかったのか?」と言いたいのだろうか。
顔を引きつらせるシーラを横目に見ながら、私はあえてにこりと微笑んで言った。
「お気遣いありがとうございます。ですが、少しだけ水棲竜の情報を得ることができました」
「そうでしょう! ……え?」
ヴラカス先生は驚いたように目を瞬かせた。




