早速、竜舎に向かっても?
反射的に腰を浮かせた私を、ヘリアス様は「どうぞそのまま」と手で制した。
「何度か擦れ違ったことはあるが、こうして話すのは初めてだな。ヘリアス・アルトリーゼだ」
彼は私の向かいのソファーに座り、そう簡単に自己紹介をした。
燃えるような赤い髪に、はっとするほど長いまつ毛。切れ長の瞳が美しい青年だった。
けれど、そのエメラルドのような瞳はただ輝きを反射するのみで、どこか無機質な印象を受ける。
(このお方が、王の剣……)
その泰然とした態度に、私は声をうわずらせながら挨拶をした。
「フィルナ・キントバージェと申します。お会いできて光栄です」
その時、見計らったように目の前に紅茶が置かれた。
手の主はラインさんだった。
「ありがとうございます」
ラインさんはにこやかに一礼し、ヘリアス様の前にも紅茶を置くと、そのまま部屋の隅へと移動した。
「どうぞ」
ヘリアス様に勧められて、私は「いただきます」と言ってティーカップに口をつけた。
柑橘系のすっきりとした味わいに、ほっと息をつく。私の暴れている心臓が、わずかに落ち着きを取り戻した、気がする。
ヘリアス様はそんな私を観察しながら、同じように紅茶に口をつけた。
「私は戦ばかりが達者になって、口が上手くない。こうしたものに頼るしかない私を、どうか許してほしい」
彼は「紅茶を淹れることでしか、あなたを慰められない」とわざわざ謝罪してくれた。威圧的であることを自覚しているみたいだった。
でも、その口調はとても事務的で、親切とは程遠い。きっと、私がリスティーの姉だから、かもしれない。
「いえ、そんなことはありません。お心遣い、感謝します」
感謝しているのは本当だった。
キントバージェ家ではぞんざいに扱われることがほとんどだから、たとえ形式的なものだったとしても素直に嬉しかった。
お互いもう一度紅茶を飲んで、一呼吸置いたタイミングで、ヘリアス様が口を開いた。
「早速本題に入らせてもらう。今回あなたを呼んだのは、私の竜、ドゥルキスについて意見を聞かせてもらいたいからだ」
「火属性の竜ですね」
「そうだ。この報告書に目を通してもらいたい」
私はヘリアス様が差し出した報告書を受け取り、素早く目を通した。
(さすが公爵家。補助竜医師の質がいいとは聞いていたけど、報告書がとてもわかりやすい)
密かに感激しながら、私はそこに記された内容を頭に入れて、顔を上げた。
「健康状態に問題はなさそうですが、食欲がない、ということですね」
「そうだ。このままだと衰弱してしまう。どうか、あなたの力を貸していただきたい」
じっと、探るような視線に緊張したのは一瞬のこと。竜医師として、私がやることは何も変わらない。少しだけ身を乗り出すようにして、私は答えた。
「かしこまりました。お役に立てるよう尽力いたします」
「感謝する」
「では早速、竜舎に向かってもよろしいですか?」
「何?」
ヘリアス様は思いがけないことを聞いたとばかりに目を見張った。
顔が整っているからこそ、かなりの迫力があって、その反応に私の方が驚いてしまう。
「え……だめでしたか?」
「いや、そういうわけではないが……まさか竜舎に行きたいと言われるとは、思わなかった。案内しよう」
そう言ってヘリアス様は立ち上がる。
たしかに、竜医師の資格を持つ令嬢たちは、あまり竜舎に近づきたがらない。
私は自他ともに認める変人――竜舎で寝泊まりするのは日常茶飯事――という自覚はあるし、もしかしたら変な女だと思われたかもしれない。
(貴族の娘のくせにはしたない、とか思われた? 変人で馬鹿なやつって思われた!?)
被害妄想で心に小さな傷を負いながら、私はヘリアス様につづいて城を出た。そして、敷地内にある竜舎へと案内される。
予想はしていたけど、竜舎もまたひとつの城のように大きく、立派な建物だった。
行き交う補助竜医師たちの人数も多く、これなら竜たちの異変に気づきやすいし、世話もしやすい。
ひそかに胸を弾ませながら竜舎に一歩足を踏み入れると、補助竜医師たちの視線が一斉に突き刺さった。
そこに宿る感情の意味に気づいた時、私の背中に冷たい汗が流れた。
(歓迎されていない)
補助竜医師たちの視線は、怒りと猜疑の色に満ちている。
当然だ。他家の竜医師が突然現れ、しかもその人物はリスティーの姉なのだから。大切な竜に近づかれたくないだろうし、本当は竜舎にも入ってほしくなかったはずだ。
そんな彼らの様子に気づいているはずなのに、ヘリアス様だけは相変わらず、何の感情も浮かんでいない目で私を見た。
私に同情もしないし、彼らの味方もしない。その態度の公平さに、今は救われた。
「こちらへ」
ヘリアス様に案内された竜房には、火属性の赤き竜、ドゥルキスがいた。




