竜の骨と呪われた家15
屋敷前で竜たちの準備を整えていると、エアルが「早く」と急かすように、私に頭を押しつけてきた。
ドゥルキスも早く飛びたいのか、先ほどから、ヘリアス様の隣でそわそわと落ち着きがない。
「しばらく空を飛べなかったことがご不満のようだね」
「伯父様!」
叔母様に車椅子を押される形で、伯父様が姿を現した。
フィリップ様とカンタートルが旅立ったと同時に、伯父様を苛んでいた高熱は嘘のように引いたそうだ。
久しぶりに、伯父様の顔に晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
「竜医師としての務めを果たしたと聞いたよ。呪いを解いてくれて、ありがとう。何も力になれず、すまなかった」
「そんなことはありません。私を受け入れてくださった伯父様のお気持ちが、私を支えてくださいました。本当に感謝しております」
私がそう言って微笑むと、伯父様は懐かしむように目を細め、「立派になったね」と言った。
「ここにはつらい思い出もあるかもしれないが、いつでも遊びにおいで。いや、帰っておいで」
「はい!」
伯父様が車椅子から少しだけ身を乗り出し、両腕を広げた。私も少し身を屈めて、伯父様の背中に腕を回した。
「身体には気をつけて」
「はい。伯父様も、お元気で」
別れの挨拶を交わし、名残惜しく思いながらそっと身体を離す。
伯父様は車椅子に深く身を預け、その視線をヘリアス様に向けた。
ふたりが挨拶を交わし始めるのを横目に見て、私は車椅子の隣に立つ叔母様の方へと向き直った。
彼女は静かに微笑み、そっと私を抱きしめてくれた。
「叔母様」
「あなたが帰ると思うと、とても寂しいわ……。今度は私が、アウデンティアまで会いに行くわね」
「本当ですか? お待ちしております! お見せしたい場所がたくさんあるのです!」
「ふふ、楽しみにしているわ。あなたにとって、アルトリーゼ家は自慢の場所であり、安心できる場所なのね」
と叔母様が、ヘリアス様と私を交互に見るので、私はくすぐったい気持ちになりながらうなずいた。
「あの、叔母様。聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「おばあ様は、どんな最期でしたか?」
叔母様は驚いた顔をして、それから、静かに語り始めた。
「最期はベッドではなく、竜のそばで眠りたいと何度もつぶやいていたわ。誤嚥性肺炎を危惧して、何も食べさせることができなかったのが、とても可哀想だった」
叔母様の悲しげな顔を見て、私も胸が締めつけられるような思いがした。
脳裏におばあ様の、「竜が旅立つ時は、美味しいものを食べさせてあげよう」という言葉がよみがえる。
当時の彼らの処置や判断が間違っていたとは思わない。
ただ、「美味しいものを食べさせてあげたい」と願っていたおばあ様が、最期には何も食べられなかったことが、とても切なかった。
「せめて竜のそばで眠らせてあげたいと思って、お母様を竜舎へ連れて行ったの。そしたら、安心したのかしら。そのまま眠るように、息を引き取ったわ」
当時を思い出したのか、叔母様の顔にほっとしたような、小さな微笑みが浮かぶ。
「おばあ様の願いが叶ったのですね」
「ええ。叶えられたと、そう思っているわ」
そこに至るまでには、きっと壮絶な苦しみがあったのだと思う。
それでも、竜のそばで旅立てるなんて、竜を愛する竜医師や竜騎士にとっては、理想的な最期なのかもしれない。
そして、おじい様は、おばあ様が亡くなってから二年後に亡くなったという。
ちょうどその頃、王妃様の火の竜が息を引き取り、葬儀が執り行われていた。
王家には、火の竜が生前に吐いた炎を特別な器に納め、それを参列者に分け与えるという、古くからの慣習がある。
おじい様は、共に参列していたお母様にその特別な火を見せてあげようとした。けれど、その時、ほんの冗談のつもりで、少し悪ふざけをしてしまったらしい。
そのせいで、唯一残されていた火の元を消してしまったのだという。
それが、王妃様の激しい怒りを買ってしまった。
それでも、エクプローヴァ家はレッドアイウイルスの治療薬とワクチンの開発に尽力し、高く評価されていた家であったため、処罰はおじい様ひとりに限られた。
その後、家督はエリア伯父様が継ぐこととなった。
おじい様は辺境の地へ送られ、厳しい環境の中で病に倒れ、誰に看取られることもなく亡くなった。
……それが、おじい様の最期だった。
すべてを話し終えたあと、叔母様はふうっと息を吐いてから、
「ねえ、フィルナ。これを、あなたに持っていてほしいの」
そう言って、年季の入った竜笛を私に差し出した。
竜笛には、エクプローヴァ家の紋章が刻まれていた。
「これは……?」
「それは、あなたのおばあ様の竜笛よ」
「おばあ様の? 驚きました、おばあ様の私物はすべてお母様に処分されたと聞いていましたから!」
「お姉様から隠すのは大変だったけれど、これだけは何とか見つからずにすんだの。もう壊れてしまって使えないけれど、私のお守りだったのよ」
おばあ様が使っていた木製の竜笛。細かな傷が、おばあ様の生きた証のようで、ここにいないはずの彼女の温もりを感じられる。
「そんな大事なものを、私が受け取ってもよろしいのでしょうか?」
「いいのよ。きっとその方が喜ぶと思うから」
「ありがとうございます、叔母様!」
私は早速、その竜笛を首にかけた。
おばあ様から叔母様へ、そして私へと受け継がれたその重みと温もりが、心に伝わってきて、勇気が湧いてくる。
その時、ドスンッ! と何かが地面に叩きつけられる音が響いた。
エアルやドゥルキスも驚いたらしく、警戒するように鳴いている。
「の、呪いか!? 竜の襲撃か!? みんな危ないぞ!」
「わ! 伯父様!?」
混乱した伯父様は、近くにいたヘリアス様と私、そして叔母様の腰に抱きつき、守ろうとしてくれた。
突然、抱きつかれたヘリアス様が一番驚いた様子で、慌てて言った。
「落ち着け、エリア卿! 竜の襲撃ではない。空から袋が落ちてきたようだ」
「え、袋?」
落下音の正体は、伯父様の後ろに落ちた大きな袋のようだ。
竜が運んできたのなら、その気配を感じてもよさそうなのに、まるで突然、空から降ってきたかのように思えた。
ヘリアス様が近づいて、袋を開き、中を確認する。
「ずいぶんと古い袋だ。中に珍しい鉱物などがたくさん入っている」
「あらあら、誰かの落し物かしら?」
叔母様は不思議そうに首を傾げた。
私はこの袋の送り主に思い当たり、ヘリアス様を見た。すると、彼も小さく笑ってうなずいた。
「ヘリアス様、これって……!」
「謝罪の気持ち、ということだろうな」
誰もいないはずの空に、ふいに竪琴の音色と、歌うような竜の鳴き声が響いた気がした。
◇◇◇
その日、イーリス教会の最高指導者であり、宗教国家エレクトラの元首である竜導師が、死去した。
竜の骨と呪われた家 終
【次話予告】
竜導師の葬儀に参列するため、エレクトラに向かったヘリアス。
そのヘリアス不在を狙ったかのように、フィルナのもとに第一王子から竜の診察依頼が舞いこむ。
その内容は、「第三王子マルセルの妻エンリカの所有する『水棲竜』を診察してほしい」ということだった。
五年前の反乱軍の首謀者の妻であり、最強の水軍を持つスペルビア王国の王女エンリカ。
フィルナは、誰もが腫れ物扱いをするエンリカの屋敷「天青の神殿」に向かうが、そこの侍女たちに「大罪人キントバージェ家の娘は信用ならない」と追い返されてしまう。
依頼の意図、水棲竜の謎の不調、侍女たちの妨害を受けながら、フィルナは竜医師として立ち向かう。