ねこむすめ
とある村に、猫娘と呼ばれている娘が居た。
「ん~……」
常日頃から寝てばかりなので、猫娘と呼ばれていた。
「おーい、猫娘ー!」
「また寝てるぜあいつ」
「釣り行こー!」
「んん……」
家の外から掛けられる声に、縁側で寝ていた猫娘はむすっとしながらのそりと上半身だけを起こす。
「行かな~い」
その言葉に、やっぱり、とでも言うような声で返事が来る。
「だよなあ」
「知ってた」
「猫娘が行くわけねーもん」
「寝てばーっか」
「そりゃ昼寝は気持ちいいけど、あんなに寝てても飽きないもんかね」
「猫だから寝るのが一番なんだろ。放っとけ放っとけ」
生垣の向こうで複数の足音がそんな事を言いながら去っていくのを聞き、くあ、と猫娘はまた欠伸を零して横になった。こんなに良い天気なのに、寝ずに遊ぶなんてどうかしている。
少し体勢を変えてボーっとしていれば、またもうつらうつらと眠気がやってきた。
「気持ちよさそうだな」
ふと、見知らぬ声が聞こえた。
重たい瞼を開けて見てみれば、猫娘が寝転がっている縁側近く、生垣のこちら側にある庭に男が立っている。黒い着流しの男だ。眠くて顔はよく見えない。
「…………」
「お、何でェ無視かい?」
何か言っていたが、どうでも良いので無視して寝た。
こんなにも瞼が重い中、会話なんてとても出来ない。眠いから後で、と言おうとしたが、何かむにゃむにゃした事しか言えなかった気もする。
とにもかくにも猫娘は眠かったので、見覚えの無い男が傍に居る事を驚くよりも、今この瞬間ぐっすり寝る方を選んだのだ。
・
猫娘がふと起きると、すっかり日が暮れて涼しくなっていた。
へくち、とくしゃみをしながら起き上がれば、周囲はすっかりしんとしている。
「あー……っと」
そういえば寝る前に見覚えの無い男が居たような気がするが、あれは何だったんだろう。米でも分けてくれないかと言いに来たんだろうか。
縁側のすぐ近くの土を見れば、裸足の足跡が残っている。
はて、あの人は草履も履いてなかったのか。
それにしては普通の裸足とちょっぴり足跡が違うような気もするが、まあ猫娘がぐっすり寝ている間があった事を思えば、多少足跡が変化するという事もあるだろう。
「んー……」
猫娘は縁側をぺたぺた歩き、厨に入った。米を炊くのが面倒臭い。魚の干物でも齧ろうか。
「ん?」
厨の中を確認するが、特に何かが減った様子も無い。じゃあさっきの男は、別に食べ物目的じゃないんだろうか。
無断で貰うのが申し訳ないと思ったのかもしれないが、村の人間なら共有財産的な感覚があるので、勝手に持って行く事もそれなりにある。後から顔を出してお礼を言ってくれたり、お礼の食べ物を返してくれたりするのでそれは良い。
「ま、いっか」
何も問題無かったのだから良いとしよう。
そう思い、猫娘は魚の干物をもそもそ齧った。しょっぱい。水がすすむ。
「あ」
そういえば、今晩も帰って来てないんだな、と思った。
猫娘の母親は他の男の家に入り浸っている為、家には滅多に帰ってこない。
猫娘の父親は出先から帰ってこない。連絡も無い。他に家庭を作ったか、はたまた途中で山賊にでもやられたか、というところだろう。
少なくとも財産が無いわけではなかったし、猫娘はやいのやいのと言ってくる家族が居ないのはありがたかったので気にしていない。
こうしてぐうたら過ごし、昼寝しても文句を言ってくる人間が居ないのは良い事である。
・
また男が来た。
「よう。今日は起きてるみたいだな」
「……夢じゃなかった……」
「夢だと思ってたってェのかい?」
酷ェなあ、とからから笑うのは先日と同じ黒い着流し姿の男。
黒い髪に、綺麗な油色の目。
まるで物の怪か何かかと思うような色の目だが、綺麗なのは確かだった。猫娘はちろりと男の足元を見て、先日の足跡のように裸足ではなく、きちんと下駄を履いているのを確認。裸足なら物の怪の可能性も高かったが、そうではないようなので大丈夫だろう。
「くあ」
欠伸を一つ。今日は曇り空なので天気がいいとは言えないが、薄い布を掛けてひんやりした空気を楽しみながら寝るのも良いものだ。
だが、こうして客が居るのを無視して寝るわけにもいくまい。
先日は無視してガッツリ寝たが、あれは寝入る直前くらいの眠気の中だったので仕方ない。無理に起きても支離滅裂な言葉になっただろう事を思えば、無視して寝たのは英断だった。間違いない。
「何の用か、くらい聞いても良いんじゃねェか?」
「……何の用? ていうか誰?」
「あー……最近越して来たんだよ」
「そう」
そこまで聞いて、猫娘は寝転がった。
「おい、オレへの興味を失うのがちと早くねえか?」
「眠い。どうでも良い。興味無い」
「酷ェな」
「……引っ越しの挨拶だったら、もう目的果たしたじゃん」
先程まではまだ話を聞くのも有りだったけれど、既に眠気はやってきている。目を閉じて呼吸を数回すればすやりと眠りに落ちる事だろう。
「へ、まあ良いさ。昼寝が大事ってのはよォーくわからァ」
へへへ、と男は笑う。
猫娘の目は眠気でしょぼしょぼしてきていたのでよく見えなかったが、何だか男がニヤニヤと、ニマニマと奇妙に笑っているのは何となくわかった。
「どいつもこいつも昼寝ってのを軽んじるが、これ程大事なもんもねえってのになァ」
それには同意、と思った。
でもそれを言葉にする程の元気は無くて、猫娘は沈むような眠気に身を任せ、またも男を放置してぐうと眠った。
・
寝て起きたら、男はもう居なくなっていた。
でもそれ以降、男はよくやって来て猫娘に話しかけるようになった。
「お、こんなに良い天気なのにまだ寝てねェのかィ」
「今日はちと風が強いな」
「相変わらず猫みたいな暮らしで何よりだ」
男はいつでも黒い着流しで、ニヤニヤした笑みを浮かべてやってきた。
「猫になりたいと思うかィ、猫娘」
「思わないけど」
「そりゃまた何で。猫になりゃあ、こんな暮らしも日常だぜ?」
「もう日常だし」
くあ、と欠伸しながら猫娘はそう答えた。
わざわざ猫になんてならなくっても、既にそういう生活をしている。好きな時に好きなだけ寝る生活。今更猫になる必要も無い。
「猫は楽しいぞ。そりゃあもう」
「だから何」
「猫娘なのに猫にゃ憧れねェのかい」
「別に」
猫娘はそう呼ばれていても猫ではないし、猫のような暮らしが好きなだけで、猫や猫の暮らしそのものが好きというわけでもない。
「そう言わねェで、一度考えてみちゃあ」
「眠い」
もう一度欠伸を零し、猫娘は男を無視して眠る事にした。
猫娘が寝る体勢に入ったのを見て、男はやれやれと肩をすくめる。
それにしてもこの男、お茶も出さないこんな家で猫娘がただごろごろしているのを見に来ているが、一体何が楽しいんだろう。
・
あんまりしつこく言われるものだから、半年もすれば、猫娘もそんな気になってきた。
「猫の暮らしは良いぞ。自由で、好き勝手で、多少スリルもあるが基本的にはのんべんだらりだ」
「あー……そうだね」
縁側で柱にもたれて座りながら、猫娘は男に相槌を打つ。
飽きもせずに同じ話、飽きもせずに猫娘に声を掛ける。随分と変な男だ。猫のような暮らしをしている猫娘よりも、よっぽどおかしい。
「確かに」
眠気を感じながら、猫娘は言う。
「猫になれたら、楽しいかもね」
それは、うわごとみたいなものだった。
うたたねをしている時に零れる寝言未満。それでも確かに、猫娘はそう言ったのだ。
「そうか!」
「え?」
油みたいに、黄色くて緑っぽくて、それでいて透き通ったような男の目が、光に照らされたように爛々と輝いている。
いつものニヤニヤ笑いじゃない、目を見開いた、嬉しそうな笑み。
「オメェもそう思ってくれたんだな!」
数歩、距離があったはずだ。
男は縁側に腰掛ける事もあったが、基本的には縁側から三歩程離れた場所に立っていたりしゃがんでいたりする事が多かった。今日だってそうやって立っていた。
なのに、気付けば目の前に居た。足音も立てず。
「ちょ」
近い、と言おうとした。
言う前に腕を大きな手でしっかと掴まれた。ぐいと引っ張られて体勢を崩せば、目の前には男の着流し。それが動いたかと思えば、
「ひ、」
ベロリ、と目尻の近くを舐められた。
その舌は酷くざらついていて、痛い程だった。だがそれ以上に気味悪かった。男の行動が読めず、それでいて色事特有の雰囲気も無く、なのに危うい気配だけはむんと漂い始めている。
駄目だ、これは駄目だ。
生存本能なんて無いはずの猫娘ですら、これは普通じゃないと頭の中で警鐘が鳴っている。
「オレの可愛い猫娘」
ぐらり、と視界が歪んだ。黒が灰色と白色を混ぜ合わせてぐるぐる回したように歪んでいる。
ぐらりぐらり、と意識が沈む。
「愛してるから、オレと同じになってくれや」
猫娘の意識は、ぷつんと途切れた。
・
ぱち、と目を覚ます。
周囲を見れば森の中。やけに大きい草花が見える。それと、何だか見覚えのある目の、やけに美形な黒猫が一匹。
「おはようさん。相変わらずよっく寝るなァ」
「おは、え……?」
何だこいつ喋ったぞ。猫娘は化け猫に驚いて後ずさろうとするもうまく行かなかった。腰が抜けたのかもしれない。
「そんな驚くなよ。同じ猫じゃねェか。猫同士なら、何をくっちゃべってるかわかるに決まってらァな」
猫娘は自分を見た。
手が、猫の手になっている。鏡も水面も無いのでわからないが、手で口の中を触れば確かに牙になっているし、舌には毛が生えているし、手はぷにぷにの肉球ともふもふの毛が生えている。
「は……?」
「そう驚くなィ。ま、慣れてねェんじゃ人の体のが動かしやすいか。やろうと思や出来るだろ。やってみな。ほれ、こうして人の体を想像してだな」
言いながら黒猫はぐいと前脚を伸ばして尻を持ち上げる形で伸びをし、その仕草の中で、黒猫はあの男の姿へと変じて見せた。
実に自然に、ツタが伸びるように、蕾が花咲くように、黒猫は黒い着流しの男へと変じていた。
「……人の体……」
猫娘も目を伏せて想像してみる。自分の体はどうだったか。普段あんまり意識していないので自信は無いが、次に目を開けた時、先程とは明らかに目線の高さが違っていた。
手を見て、歯を確認して、間違いなく人間の体になっているのがわかった。
「うん、うまいうまい」
男はいつものニヤニヤに近い、楽し気な笑みを浮かべて頷いている。
「やっぱり元が人間だと、形を知ってるからかねェ。これが生粋の猫ってェなると二足歩行だけで時間が掛かっちまうんだよなァ」
「……あのさ、色々とどういう事なわけ? 何これ?」
「猫は楽しいぜ、愛しい猫娘。そう言ったろ? これからはずっと一緒だ」
あー、よしわかったコイツ話通じねえな。
猫娘は即座にそう判断し、いつでも走り出せるようこっそりと膝を立てる。
「帰る場所はねェぜ」
男は猫のように、ニャアと笑った。
「家は燃やしておいた。そこから見下ろしゃ、村が見えるだろ。燃えてる家も見えるはずだ」
「はあ!?」
流石に聞き捨てならない言葉に普段上げない大声をあげ、猫娘は慌てて見下ろした。
森、というよりも裏山だったらしい。すぐ近くに村が見える。覚えのある場所から上がっている火柱も、昼間だというのによく見えた。
「なんで……」
「帰る場所がねェってなりゃあ、後腐れもねェだろ?」
男はすっとぼける猫のように首を傾げる。何をそんなに驚いてるのかと、そう人間に問うように。
「元々、あの家が好きってわけでも無さそうだったしな。昼寝出来る場所がありゃ良い、ってのが透けてたぜ。無人なのを確認した上で火ィつけたし、巻き添えだって居ねえから安心しろよ」
何に安心しろと言うのか。
顔見知りが物の怪で、自分も物の怪にされ、挙句の果てに帰る場所を燃やされている。何だこの人間に害のある系統の物の怪は。
「これで人間としてのしがらみは、何もかんも無くなった。もうどこへだって、どこまでだって行けちまうぜ?」
猫のようにすり寄って来た男は、猫娘の生え際に口付けし、寄せた唇をそのままにぺろりと舐めた。それこそ、仲間を毛づくろいする猫の如く。
「ああ、お前さんのお気に入りだろう物や、金目の物はちゃぁんと持ってきてあるから安心しろィ。生活で不便はさせねェさ」
「……どういう気遣い?」
「嫁に不便をさせたくねえってェ、オスの甲斐性よ」
嫁とか言い出したこの物の怪。当然のように肩に腕を回してるのも意味がわからない。
この男とは会話をした事はあっても触れ合った事なんて無かったし、昔に猫を助けた覚えなんてのも微塵も無い。日向から猫を追いやってそこで昼寝した事なら心当たりがあるのだが。
「…………あー、もう、頭痛い。寝たい……」
意味が分からなくて頭痛がしてきた。全部悪い夢だと思いたい。
「おう、寝よう寝よう寝ちまおう! 猫は好きな時にぐうたらして、日が暮れてから尾っぽ揺らして散歩するくらいが丁度良いってなもんさなァ!」
そう言って男は笑う。
罪悪感など欠片も無い、明るい笑顔。実に楽しそうで、嬉しそうで、美味い魚を前にした猫のような笑み。
「……そだね」
少なくともその顔は出来の良いものだったし、ぐうたら出来るなら今までとそう変わりないか、と猫娘は受け入れた。
まだ悪夢という可能性も無くはないし、今はとりあえず、そこらの草のベッドで寝てしまおう。
・
尚、当然ながら目覚めても現実は何も変わらない。
あの男が居なくなっておらず、猫娘の顔をやたら嬉しそうなニヤニヤ笑顔で見ていただけだ。
猫娘
ぐうたら眠りまくりな猫娘。寝る子娘。面倒臭がりでもある為、自分に害が無くて惰眠を貪れるならまあ良いかと流す悪い癖がある。物の怪に連れて行かれて人間をやめさせられたが、人間世界に未練が無いのとぐうたら出来るのでまあ良いかと流した。物の怪も顔良いし、損はしてないな。うん。
黒い着流しの男
化け猫。毛並みが綺麗で顔が良い黒猫。猫娘に助けられた事があるとかは一切無い。猫娘の家の屋根で勝手に昼寝をし、よく寝ている猫娘を見て、一緒に昼寝が出来たら最高だろうなと思っただけ。獣なので理由なんてそんなもんです。それだけの為に猫娘を化け猫に変じさせたし家は燃やした。しっかり物の怪。