第一話 最愛の姉
「本当に大丈夫なの?」
そんな養護教諭の松田先生の問いに『はい』と答える。いつも通りのやりとり。毎回同じ質問をされるものだから、流石に飽きがきていた。それは彼女も同じのようで、明らかな不満が顔に出ていた。
外からは、夏休みに浮かれた生徒たちの声が雑音として聞こえてくる。そんな声から意識を逸らすかのように私は彼女の声に耳を傾け、小さくため息をついた。
浅い人間関係の中で懸命に生きている彼らを嘲笑うだとか見下しているとか、そういった意味合いでは無い。軽い嫉妬のような。自分の人生を共有できる存在がいる彼らに対してそんな感覚を覚えた。
私は『一番の思い出』を聞かれて返答に困るような人間だ。特筆するような楽しかった思い出などない。そんな質問をされたときには『一番の嫌な思い出』を答えている。一番の思い出には変わりないのだから。
季節はもうすぐ夏に差し掛かろうとする頃。気温自体は28℃とここ最近にしては控えめである。しかし、日本特有の多湿のせいか、体感温度は実際の気温以上のもので、意識を刈り取られそうな生命の危機を感じる。
明日には夏休みが控えている私、黒谷祐希は夏休み前最後のホームルームを終えた後、担任の教員を通して保健室に呼び出され、こうして話をしている。話というよりも一方的な質問、所謂カウンセリングに近いもので、相手からの質問に答えるだけで良い。
私と対面している白衣を着た二十代後半くらいに見える松田先生は、心配性なのかあるいはただの業務なのか、二日に一度、私を保健室に呼び出して体調や精神状態を聞いてくる。
丁度手が空く時間なのか、呼び出されるのはいつも決まってお昼休みだ。今日はお昼前に学校が終わり、お昼休みが無いのでホームルーム後に呼び出されたのだが、普段はお昼ご飯を食べたり休憩することができないので、初めは感じていなかった不満を最近になって募らせてきている。
ただこのカウンセリングには良いところもある。保健室は冷房がついているのだ。教室に冷房機器がついていないというわけではないが、学校の方針として気温が30℃を超えるまでは冷房をつけないらしい。なんと古めかしい考えだろうか。そのため、クラスメイトが冷房なしでお昼休みを過ごす中、私は保健室という快適な温度の空間でお昼休みを過ごすことができる。
それに教室にいると姉のことをクラスメイトに色々と聞かれてしまうため、避難場所として保健室を使わせてくれるのは案外ありがたかったりする。それでも不満は尽きないのだが。
「私だってこんなことしたくないわよ。あなたにストレスかけることになるし」
不満に思っているのが顔に出ていたのか、それとも何かを感じ取ったのか。松田先生はしかめっ面で、長く伸ばした髪を1つに束ねながら、そんな愚痴を零した。
「全然気にしてないですよ。ほら、教室は冷房ついてませんし。お話し中にお昼ご飯を食べられたら最高なんですけどね」
「前向きに検討するわ」
そうは言うが目はこちらを見ていない。いかにも、カウンセリング以外は片手間といった感じだ。こちらはお昼休みにわざわざ呼び出されて来ているのにそんな態度を取られるものだから少しばかり苛立ちを覚える。
しかし、その感情を言葉にすることはできず、しばらくの間、ほんの数分、気まずい沈黙が訪れた。沈黙を破ったのは松田先生で、彼女はなにかを思い出したかのように、『そういえば』という言葉を枕に添えて、私に話しかけてきた。
「随分と元気になったわね。一時はどうなることかと思っていたのよ?病院内を暴れまわったり……」
それを聞いて、一瞬にして血の気が引いていくのがわかった。先生は、『しまった』というような顔をするがもう遅い。一番突かれたくないところを何の前触れもなく、不用意に突かれた私は、彼女がこれ以上余計なことを言わないことをただ祈るしかなかった。先生は『今のは失言ね。謝るわ』と申しわけなさそうに一言謝り、それ以上は何も言わなかった。
生徒の黒歴史を不用意に掘り起こしてしまったことを反省してなのか、ばつが悪いのか。先生はパソコンに向かいなおし、作業に戻る。
「松田先生、その話はやめてください。思い出したくもない過去、黒歴史です」
こちらだけ痛手を負うのは癪だ。怒っていなければ笑ってもいない。平静を装った表情で、失態に追い打ちをかけるかのような。私はそんな表情で松田先生の失言に返答した。内心は心穏やかでないのだが。しかし、きっと先生の顔は遣る瀬無い顔になっているに違いない。少しばかりの勝利感を感じた。
今思い返せば、この失言に見えたこの発言も、私の反応を見るためのカウンセリングだったのかもしれない。もしそうならばあまりにも策士が過ぎるので、あまりそれは考えたくないのだが。真面目に反応してしまった自分が馬鹿らしいじゃないか。
一通りカウンセリングを終えた松田先生は読書を始めた。これもいつも通りの光景で、話すこともなくなった今、もはや保健室に残る理由はない。しかし、教室に戻ってもただ暑いだけなので、しばらく保健室で涼んでいくことにした。
この部屋にいる唯一の人間が読書を始めてしまったので、私は一人、何もせずにお昼休みが終わるのを待つことになってしまった。と思っていた矢先、松田先生が口を開いた。口を開いたといってもその声はとても小さく、その言葉が私へ向けたものだったのかはわからない。
しかし、その言葉はどこか聞き覚えのあるフレーズだった。
「自分で自分を殺すのは相当な神経が必要になる。私が思うに、人間の神経はそれほど強靭にはできていない。自殺するのは決まって皆異常者だ」
それは彼女が今読んでいる小説の冒頭文だった。何か思い当たる節があるのか、あるいはただの独り言か。
そんな冒頭文から始まるこの小説『私を殺したのはどこの誰』は、今年のとある文学賞で作家デビューしたK氏の処女作であり、多くの批判を集めた。全体を通して作りこまれたプロット、綿密な伏線が散りばめられており、高い評価を得られても良い作品なのだ。
いや、実際に然るべきところの評価はかなり高いものになっている。しかし、世論は批判一色である。冒頭文だけであれば、『自殺する人は異常者』と言っているようなもので、若年層の自殺率が年々上がってきている現代日本に喧嘩を吹っ掛ける形になってしまった。
冒頭文だけを読んで自分勝手な批判を綴った人の考えに感化された人がまた別の批判を綴り、そこから枝分かれに様々な批判が綴られた。加えて、意見している人の大半が未読のため、世の中はそんな彼らの批判を肯定する流れになりつつある。
そんな背景から、この小説はかなりの知名度を誇る作品となり、マスコミでも大きく取り上げられるほどになった。
私の姉はこの小説に魅入られていた。普段から読書をする人ではあったのだが、どんな本を読んでも『いまいちだな』と愚痴を零していた。しかし、そんな姉がこの小説だけは絶賛していたのだ。『祐希、これおもしろいよ!』と私に勧めてきたほどだ。
どうやら世の中の意見は大して気にしていないようで、読了後、数日間はこの小説の余韻に浸っているようだった。周りに流されない姿は実に姉らしいな、そう思った。
あまりにも姉に勧められるものだから試しに読んでみることにした。500ページほどある長編の小説で、表紙には幾何学的な文様が描かれており、奇異な印象を受ける。
冒頭は例の文章から始まり、中身は一般的なミステリー小説だった。一般的とは言ってもかなり洗練された文章表現で、そこらの作家では到底書けないようなものに仕上がっていた。
しかし、私はこの小説を読んでいて違和感を覚えた。内容が頭に入って来すぎるのだ。1を読んで10の内容が頭に入ってくる感覚。作者がどういう心情で文章を書いたのかが手に取るようにわかる、いや、わかってしまうのだ。
普段から読書をするような人間である訳でも、特別読解力があるわけでもない。現代文だって大して良い成績ではない。それなのにこの小説を理解できてしまう。もはや私自身がこの小説を書いているかのような。そんな感覚が気持ち悪かった。
ただ、冒頭文だけは理解できずにいた。あれほど理解できたこの小説だが、ここだけはどうも理解不能だった。ここだけ別の人が書いたかのような。だって私ならそんなことは書かない。
お姉ちゃんは、異常者なんかじゃ……
そこで言葉に詰まった。そこから先を言葉にすることを頭が拒絶し、平衡感覚を失ったかのように視界はぐらぐらと揺れている。
心臓は早鐘を打ち、思い出したくもない悪夢の光景が鮮明に頭の中で映し出される。今までの人生で最も不快で苦痛な。あの頃、あの場所での光景が。
椅子から転げ落ち、過呼吸に陥っている私はそのまま意識を保っていられず、目を閉じた。
私には1つ上の姉がいた。1年前に自殺した。艶のある腰まで伸ばした黒髪に、触れてしまえばたちまちに壊れてしまいそうな白い肌。
同年代の他の女子と比べても一線を画しているような、一言で言ってしまえば絵に描いたような美少女。その上、勉強もスポーツも一級品レベルときた。そんな姉はクラスで人気者になっていた。そんな自殺とは無縁に思われる姉は1年前、
『私は死ななくてはならない』
という遺書を遺し、この学校の屋上から飛び降りた。即死だった。美しかった姉は肉塊として砕け散り、辺り一面を鮮紅色一色に染めた。
姉の死は「いじめ問題」「SNSトラブル」、「若者の精神疾患者の増加」などという在り来りな話題と関連付けて度々ニュースに取り上げられたが真相は未だに分かっていない。
なぜ一介の女子高生の自殺がこうも大々的に取り上げられるのか。高校生の自殺が報道されることは昨今さほど珍しくもないが、これはかなりの長期間に渡って報道された。理由は、
この手の自殺が1年前から、ちょうど姉が死んだ辺りから立て続けに起きているからだ。
亡くなったのは一貫して高校生でほとんどが姉のような奇怪な遺書を遺している。
一連の自殺で亡くなったのは現在で50人以上。最初こそ事件性は無いと判断していた警察も、被害者が10人、20人と増えていったことでこの一連の自殺を『高校生連続自殺事件』として捜査を開始した。
被害者の中には自殺を選んでしまうような環境に置かれていた人間もいるが、大多数が姉のような自殺とは無縁に思われていた高校生だった。
日本では毎日様々な事件・事故が起きているが、この事件はその規模と特徴から異様な存在感を放っており、今最も世間を賑わせている事件だ。
この事件には様々な憶測が飛び交った。『自殺に見せかけた他殺だ』と事件そのものに盾突く者もいれば、『神様からの人間への天罰だ』などと超常的な主張をする者もいた。
ある人はこの事件に恐怖し、またある人は面白がった。まるで日本全体が1つになったかのように、誰もが事件に興味を示した。誰もが事件の解決を望んだ。警察だけでなく、精神科の医者やいじめ問題に詳しい専門家、霊的現象の専門家までもがこの事件に向き合った。そんな一種の社会現象がこの時日本では起こっていた。
しかし、過去に例を見ない特殊性が事件の捜査を難航させ、解決には至らなかった。
かつての私は姉の死を受けて死のうと思った。
なんでもできる姉と比べて私は何もできなかった。
親族は皆、姉を贔屓した。
彼らは姉をこれでもかというぐらい持て囃し、私には無関心を貫いていた。そこを責め立てる気は毛頭ない。私は姉と比べて、いや人間として粗悪品であり、粗悪品を好んで愛する者などとんだ物好きだ。
しかし、姉はそんな粗悪品を愛してくれた。ひどい仕打ちを受ける私に手を差し伸べてくれた。もしかしたらそれは親族に好印象を与えるための行動だったのかもしれない。それでも私はそんな姉が大好きだった。
いつだって美しく、模範的で優しい姉は私の誇りだった。そんな姉が死んだ。姉の死後、私は死ぬことばかりを考えていた。姉は私の全てであり、姉がいない人生など私には到底考えられなかった。
そんな自分の人生の全てをかけて寄りかかれる依存先を失った私を襲った空虚感・絶望感といった感情は他人には想像もできないほどに私の精神を貪り喰った。姉がいなくなり、点数稼ぎの役さえ降ろされてしまった今、私に生きる意味などこれひとつとして存在しない。
しばらくの間、夜に眠ることは叶わなかった。夜になると考えるのは姉のことばかり。何度も何度も姉の不在を思い知らされ、枕を濡らした。頭を覆う絶望感や空虚感は夜が更けるほどに強くなり、やがて動悸や吐き気をもたらした。
起き上がることはおろか、寝返りを打つことすら億劫でただただ『死にたい』と願った。食欲なども当然のように減退し、食事は3日に1回、4日に1回、5日に1回と減っていき、体重も激減した。
そんな緩やかな自殺が始めてしまうほど、姉への依存は想像を絶するものであったと、このとき気付かされた。
そんな私の状態など露知らず、親族は烈々たる非難の声を私に浴びせた。『なぜお前の方が生きているのだ』『お前なんか生きていたって仕方ない』と。彼らにとって黒谷祐希は姉の付属品でしかない。
私など見ていない、いつだって見ているのは姉の方。それを幼い頃から理解していた。
周りの声は頭の中で処理されることなく、耳から耳へと流れ出た。そんな罵声など気に留める余裕がないほど、最愛の姉、唯一の味方が死んでしまったことに当時はただただ絶望していた。
死んでしまおう。そう決意したのはこのときだった。
病み描写だけ解像度高くないですか・・・?