逃亡者の補話 遥か異郷の空 前篇
男はこんな片田舎でもかと、眉を顰める。彼の表向きのカバーストーリーを阻害してしまうからだ。
彼の表向きの名前は白峰明人、日本にあるサイファ学園都市内にある大学の一つ泡来大学から派遣された鉱物調査を目的とした学芸員だ。彼はその表向きの目的通りここに来て一ヵ月、フィールドワークを行いこの村周囲にある山岳地帯の鉱物を調査し調査報告を作り上げていた。
しかし、裏の目的の対象がそれを邪魔していた。
彼は胸から囁く声に従って話を続ける。
「娘さんは確か二人だったか?」
「ああ、そうさ。二人ともつれて行かれてね…。」
「そうか、警察には?」
「そんな物、役にたちゃしないよ!! あの戦争以来この国は何もかも駄目さ、どこも金がないから無茶苦茶する連中ばっかりさ。警官だってあいつらから金を貰ってみて見ぬふりさ。」
言い捨てる女性に胸から囁く声が腐ってるなと呟いた。
裏の目的はこの地の人身売買シンジケートの調査とその壊滅だ。
彼の本当の名前は霧島葵。霧島神道流の使い手、天子の師匠、そして八方塞の北を務める最強の剣士。
彼の受けた要請は一つ、桃山が行う実験の材料の供給源を潰す事だ。
「私の出来る事なら手伝うよ、困ったらこの電話番号に電話をかけてくれ。」
「ありがとよ、日本の人だから何もできないと思ってたけど…優しいんだね。」
余りの良い様に男は苦笑いで返す。
「それじゃあ、私は巻き込まれて手間をかけさせないように行くよ。」
「ああ、あんたも気を付けなよ。あいつら、粗暴でヤバい奴らなんだ。南には近づかないことさ」
「忠告感謝するよ、失礼する。」
出された水だけを飲んで男、葵は店を出る。彼女の忠告とは逆、南に向かって。真っ直ぐ歩く、目的を達成する為に。
酒場のマスターことアジズ・サルワリは、この町の生まれだ。小さい頃は英雄になるとか金持ちになるとか考えない、将来は余り変わらずに過ごしている何処でも居るような普通の子供だった。この地に住む人間と同じように、この地に根を張り生きるそんな人生を全うする人だった。
そんな彼の運命が変わったのは12歳のある日。
彼は今でも覚えている、大国の進攻で軍人・民間人関係なしで攻撃をされた真っ只中、家族を目の前で撃ち殺され逃げ回っていた。
アジズは物陰に身を隠し、周りをうかがった時に気付いた。身の回りの色々なモノが、いつも以上にハッキリと感じられるのだ。
それこそ身体の周りを包む空気に含まれる、酸素分子の一つ一つを感じ取れる位に。
命の危機に何等かの力が働いたのか、彼は能力者として開花したのがその時だった。
彼が能力を使うと、周りに居る人間から姿を隠す特殊な能力。
後々に彼自身が付けた能力名『カーテンハイド』は、戦火から逃げる彼にはうってつけで能力を使いアジズは逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて、逃げた。
能力を使い、姿を隠し、戦場を避けるように走り抜け、大きな町に一時的に隠れ住み、飛行機に潜り込み国を脱出する離れ業に近い事を行った。
海外まで逃げきった彼はそれから色々な事をやった、ストリートチルドレンからマフィアまがいのチンピラや傭兵等。
それから十数年。
時が過ぎ、死の恐怖にも慣れ、戦いを覚え、鉄火場に飛び込む。そしてそれが日常になったある日の事、アジズは故郷を思い出した。
生きるために何でもやって命を奪い合う日々の中、ある日ポッカリと空白が出来た暇が出来たのと精神的に余裕になったと言うのも相まって、唐突に過去を思い出したのだ。
胸を掻き毟る程の苦悶にも似た郷愁。
能力者としての傭兵稼業は意外と儲かっていて、一財産と言える程の蓄えが出来ていたので、内戦が落ち着いたのを見計らって帰郷する計画を立てた。
逃げ出したルートを遡り、逃げる時の我武者羅さを思い出しながら辿り着いた時、懐かしさと共にアジズは喪失感を覚える。
元々は人口が少ない、寂れた小さな町だったが、長い戦いと内戦で町は廃墟同然になっていたのだ。
人の気配が希薄で所々に蹲る人がチラホラと見える、壁に穴が開いたり半ばまで破壊された建物が辛うじて建っている。そんな荒涼とした町並み。
家族が住んでいた家、友達と遊んだ場所や顔見知りがいた雑貨屋。よく集まっていた
小さいながらも色々なモノが詰まっていた町が、空虚なオモチャ箱の様に静まり返っていた。
その風景を見たのが、彼の二回目の転換点。
それからの彼は、何かに突き動かされるかの様に動いた。
町の隅々まで歩き回り、残っていた町の人々を探し出し、隣町まで行き今まで貯めたお金を食料を買い込み皆で食べた。
それを皮切りに町の色々な場所を回り生活に必要なモノを直したり調達したりと、アジズは町の復興に手を尽くした。
それから十年、復興した村は再び災いが降りかかっていた。
人為的に造られた洞窟の通路。
点々と白熱電球が灯る薄暗い通路の中、アジズは小銃片手に通路の端を慎重に歩いていた。
十数年前まで傭兵稼業に身を置いていた彼は、昔とった杵柄で周囲を警戒しながら歩く。
彼の能力『カーテンハイド』は、励起法を使わなければと言う前提条件さえなければほぼ無敵に近い。
展開すればカーテンに包まれた様に身体を覆い、光学的・電磁波的のみならず分子移動すらも遮断し、外からはアジズがそこに居ない透明にしたかの様に見える。
科学的に言えば身体から特殊な分子を昇華させてイオン操作によりフィルターをと言う説明があるのだが、某ネコ型のロボットが出す胡散臭い道具や海外の額に傷を持つ魔法使いの少年が持つ姿を透明にするマントと同じようなモノと言えば解りやすいだろう。
その能力と傭兵の経験を駆使してアジズは、ここテロリストの拠点に忍び込んでいた。なぜならば彼は、自分の力で養女リュシオールを助けるつもりでいるからだ。
いやな予感がすると能力者の予知めいた勘を感じたアジズは、一度戻った時に今度はリュシオールが誘拐されるのを、その目で見たのだ。アマルとリュシオール、どちらを優先させればいいか悩んだ時、近所の人間が北側にイスマールが行ったと聞き足止めぐらいになるだろうと今誘拐されたリュシオールなら早く取り戻せると考え、リュシオールを追ったのだ。
リュシオールとはアジズがこの町の復興を始めた頃に出会った女の子で、今では16歳になる彼の養女。
最初はボロボロの服を着た少年と間違う程の痩せっぽちの汚い子供で、復興の為の食料物資をあさっているところを捕まえたのが出会いだった。
最初は近くの子持ちの家族に引き取ってもらおうかと思っていたのだが、彼女のアフガニスタン人らしくない容姿に気付いたアジズは家で引き取る事に決めたのだ。
容貌の違い、それはおそらく彼女は進攻してきた大国の兵士と出来た子供なのだろう事は、アジズには容易に解った。
戦場を渡り歩いた経験があるアジズにとっては、そんな光景は日常茶飯事だが、故郷の人間と言う意味ではとても他人事と思えず引き取った一番の理由だった。
一緒に暮らした時間はとても緩やかで、喧嘩や対立もしたりと色々な事があった。母親が必要だろうと当時付き合っていた女とも恋愛結婚をして揉めて、子供が出来て妹が出来たとはしゃぐ彼女と一緒に育てた。家族として過ごした日々はアジズにとってかけがえのないモノ。そんな穏やかな日々を奪われたのを、まがりなりとも能力者のアジズが取り返さないはずがない。
更に美しい容姿を持つリュシオールが、山賊共に手を出されないはずがない。
「やろう、楽に死なせねぇ。…振動? だれが戦闘をこんな狭い場所で?」
彼の五感から伝わるのは、微細な振動だった。人の手で掘った穴はバランスを崩せば簡単に落盤の可能性があると、アジズの足は自然と早まる。暫く早足で歩いていると、少し開けた広間の様な場所に出る。
天井も高く体育館程の広さの空洞。
ゴツゴツとした天井の鍾乳石を見れば、明らかに人の手で出来たものではない。おそらく元々あった洞窟を利用していると推測できる。
しかしアジズは、そんな周りを気にしている場合ではなかった。
彼が入ってきた入口とは反対側、そこで小銃を持った集団に囲まれたリュシオールとその彼女を護るように立ちはだかる少女がいたからだった。




