昔の二人
「桃山財閥?」
「そう東日本最大のサイファグループと対をなす西日本最大の財閥、桃山財閥がその研究所の母体よ」
この高見原は西日本の地方都市である。太平洋側に面し、目の前を流れる黒潮の影響で一年を通して温暖な気候で温かい。もとは過疎が進む森に囲まれた村だったのを、自然をそのままで開発し実験都市として作られたのがこの町である。
そしてこの町に最大の出資者が桃山財閥だ。
「財閥って家族経営の会社だっけ」
「まあ、ざっくばらんに言えばそうよ。色々あるけど問題はそこじゃないから省くけど、桃山財閥はこの高見原を開発当時から裏で色々やってきたのよ」
桃山財閥は桃山商事(機械・エネルギー・食料品などを中心とした手広い商売をしている)を中心に、犬飼警備・雉元化学工業・猿田重工を傘下に置いた複合企業体だ。公にはなってはいない、軍事物資や兵器の精密部品などの日本における軍需産業も担っている。
その闇の部分が、あの研究所だ。
「ちょっ、ちょっと待って、なんで天子は私があの、えー研究所?にいたって知ってるの?」
「はー、鈍いなぁ。これでわかる?」
そう言うと天子は手で左手で目を覆い、髪の毛を左手で一つ結びにする。その姿に莉奈は一人の人物を思い出す。
「まさか…102番?」
「そうよ、108番といつも仲良し67番は、昔と変わらず鈍いんだから」
そう言うと天子は懐かしそうに笑い、莉奈は涙があふれ天子に抱き着いた。
「良かった、良かった。生きてて、ウウッ、本当に良かった。あの時、わたし、私たちは火事のどさくさで連れられて逃げたけど。あの時のみんな残して……エグッ」
莉奈は嗚咽が酷く言葉にならず、涙は止めどもなく流れしゃくり上げる。研究所という名の地獄、その場所では莉奈は67番と呼ばれていた。あの場では彼女は、いや彼女だけではないあそこにいた皆は人権がなかった、ただの実験体。何の実験か分からない苦しみを伴う実験で死んだら破棄されて検体にされモノのように扱われていた。研究者の目は一部を除いてモルモットのそれを見る目であったのを今でも覚えている。
そんな中、唯一心が休まったのが集められた孤児であろう者たちとの自由時間だった。
お姉さん風を吹かせた145番、お調子者の260番、寡黙に遊ぶ711番。他にもいろんな人種の子も居た、肌の黒い子もいれば彫りの深い子、碧い目の子や白銀の髪の子も。
一人一人といなくなる中で、みんな身を寄せ合い頑張った。血は繋がらなくても、あの時みんなの心は繋がっていたのだ。
あの火事の時まで。
「ほら泣かないのよ。あの時はしょうがないわよ、覚えてる? あの日は108番、東哉君とあなたが実験の日だったでしょ? あの後だったじゃない?爆発があったの」
そうあの時、なんの実験だったかはあまり覚えてないが莉奈と東哉は二人で実験室に向かっていたのだ。
「二人が出て行った後、爆発があったのが隣の棟でね。私達も避難しようって事になったの。でも火の手が回るのが早くて、そんな時に260番が逃げようって言いだしてさ。このままここにいて実験動物みたいに死ぬぐらいなら逃げようって事になったのよ。それで固まって逃げるより誰か一人でも逃げ切ればいいからって散り散りに逃げた」
天子の話によると、彼女たちもあの爆発と火事のどさくさで逃げることにしたらしい。天子はその時の事を莉奈と同じく、今でも思い出せるらしい。
「私の能力は知っているでしょ?私は識者の能力『明鏡』」
「覚えてる。あらゆる音や振動を視覚で見る能力だっけ」
「そう。あの頃はその能力を伸ばすためずっと目隠ししてたけど、あの時はそれが逆に幸いした。衝撃音や物が燃える音で世界が真っ白に見えていたけど、その影響で施設全体の見取り図を見ているみたいに逃げ道も見えていたんだ」
能力者には大まかに三種類ある。感知系、操作系、法則支配系。なかでも数が一番多い感知系の総称を識者と呼ばれる。天子はその識者の能力者であり、振動をいうモノを見る事ができる能力者だ。彼女の話によればその能力のおかげで、火にまかれた中で生き延び逃げ切れたというのだ。
「だから、私も一緒なの」
「え?」
「260番の提案だったけど、みんなそれで納得して逃げた。でも逃げ切れた時に思ったんだ。私の能力なら皆逃がせたんじゃないかなって」
「それって………しょうがないよ」
「そう、しょうがない。私の中ではとりあえずそれで納得したのよ。だから、莉奈ちゃんも今は逃げたことを悔やむんじゃなくって、出会った事を喜んで?」
「…うん」
再び涙が流れ出す莉奈の頭を天子は抱きしめた。
それから暫くして二人は語り合った。今まで黙っていて、言えなかった昔の事。他の逃げた仲間の事。なぜ逃げたかの事。
「でもなんで私に教えてくれなかったの?もっと早く言ってくれれば…」
「えー、だって。東哉君全然覚えてないみたいだしさ」
そう、東哉は全然昔の事は覚えてなかった。むしろ人格が変わったかのように別人の様に天子は見えていたため、もし間違った時のリスクの大きさを考えたら話せなかったのだ。
「…実は、実験が脳に働いて能力の向上を一時的に引き上げる薬の投与実験だったかな? その実験の後、爆発が起こった時に崩れた瓦礫が東哉の頭に直撃して、記憶を失っちゃったみたいなの。あっでも性格はあまり変わってないんだよ、あれは生活するうちにあんなになっちゃったの」
「あんなのって、確かに昔は彼もっと繊細な感じしてたもんね。なんであんなに粗雑になっちゃったの」
涙は消えた。懐かしい話と最近の話で二人に笑顔が戻った。後は、今からの事を考えるだけそんな時だった。
「いい雰囲気で邪魔するようで悪いが、少し中断してくれるかい?」
再び声が響く。気づけばもう一人、段ボールの壁に背を預けて腕組をしている男が一人。
どこでもいるような特徴のない顔に不敵な笑みを浮かべた、ちぐはぐな印象に見える男だった。
かと言って注目するほどの雰囲気はなく、襟のないカーキのジャケットにハイネックの白いシャツ、黒のパンツと言うどこでもいそうな出で立ちの男である。
この隠された薄暗い場所でなければ、記憶に残らない特徴のない何処でもいるようなモブのような男なのだが一つだけ普通ではない所があった。それは眼、にっこりと笑っている眼だがその奥は刃のような鋭さをしていた。
「誰っ!?」
「風文さん、思ったより早かったね」
警戒している莉奈と対照的に、天子は気楽に男を受け入れる。その接し方は、知り合いのそれだ。
「それにしても、相変わらずの擬態だよね。素を知ってる身としては、完全に別人だよ」
「やかましい。有名人ゆえの擬態だって言ってるだろう? それよりその子は?」
「前から言ってた600号案件の一人だよ」
ふうんと喉を鳴らしながら男は腰を曲げて、莉奈を観察する。
「見たところ。隠していた能力がばれて、昔のトラウマから逃げ出して天子に攫うように匿われてここに来たって感じか?」
「…風文さん、いつから見てたの」
「さっき来たばかり」
嘘だと言わんばかりの眼光で風文を睨み付ける。鈍い莉奈でも分かった、この男覗いていたのである。天子の睨みもどこ吹く風で笑う風文は何と言うか、一筋縄ではいかない妙な底知れなさがある。
「はっはっは。それはともかく話の内容からすれば、この子かを預かればいいって事かな?」
そう言うと男は踵を返すと、肩越しに莉奈に笑いかける。
「行こうか」
「ちょ、ちょっと一体いきなり何、天子?」
「今言った通り。私じゃ色々と匿いきれないからね。風文さんに頼んだんだ」
そう言うと天子はデスクライトのスイッチに手をかける。
「私も付き添うから行こう」
「どこに?」
「サイファグループの一つ、サイファ警備保障の高見原支部」
灯が消えた。