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8.見えない壁

舞踏会後、体調を気遣うエミリオに甘え、一週間開けて久しぶりに彼と会った。


エミリオを知りたいと思ったあの時から、カリンは随分と反省を繰り返している。本当に吃驚するほど、カリンはエミリオの事を知らなかったからだ。


思い出されるのはいつも穏やかに、どこか飄々と余裕の表情で完璧なエスコートをするエミリオだ。会話は勿論覚えてはいるが、そこから彼自身の事はほとんど見えない。まるでエスコート専門に作られた話す人形といるようだ。


仕事は勿論、好きな料理も、好きな色も、好む音楽も、一人で過ごす時間のことも、友人についても知らない。ただただ、毎回彼のエスコートに感心するだけだった自分が恥ずかしくなったほどだ。


前世の記憶を戒めに、今度こそはと意気込んできた今日。場所は奇しくも初めて顔を合わせたカフェの個室。仕切り直しには持ってこいなのだが───早速カリンは己の無力さを痛感していた。


全く会話が続かないのだ。


いや、正確には会話は続いてはいる。続いてはいるのだが、どうにもカリンが求めている物と違う気がする。


「エミリオ様、好きな料理は何ですか?」

「美しい貴方と食べる物でしたら何でも美味しく感じます。」


「どんな音楽を好むのですか?」

「強いていうならワルツでしょうか。貴方と踊ることを想像して浮きたちますから。」


「おひとりの時間は何を?」

「仕事で忙しくしておりますので、あまり時間がないのですが…美しい月を見た時などは貴方を思い出します。」


これまでのカリンなら、さすがプレイボーイ、で片付けていただろう。人によっては頬を染め、彼に夢中になるかもしれない。ある意味では百点の回答だ。


でもカリンが求めているのは、それではない。本心ならば仕方がないだろうが、どうにも“気持ちの良いエスコートの延長”な気がしてならない。現に言葉とは裏腹に彼の表情に変化はない。


エミリオの事を何も知らないと反省していたが、これは彼にも原因がある気がしてきた。いや、絶対にそうだ。かと言って彼の本心を引き出すような話術をカリンは持っていない。頑張って何とか質問してはむず痒くなる、の繰り返しだ。結果、今までの会話で分かったのは「仕事が忙しい」という事だけだ。


凄いわ。一切隙がないなんて。


何故だろう。今まで全く感じなかったのに、今日はエミリオの前に見えない高い壁があるように感じる。これほど柔和に話をしているのに、一切を寄せつけていないと感じるのは、自分だけなのだろうか。


カリンは己の敗北と不甲斐なさを感じつつ、エミリオを見て───ふといい事を思いついた。


「エミリオ様はお仕事でお相手の方と交渉などされますか?」

「えぇ。必要な時には。」

「…父から聞いたのですが、今交渉をしているお相手の方が、掴み所がなくて困っているそうなのです。こちらの要求をはぐらかして本心を探らせないような…エミリオ様はそのような方と交渉する時にはどうなさいますか?」


本人に本人の攻略法を聞いてみる荒業だ。分かり合う、という当初の目的とは違ってきてしまった気もするが、エミリオを知りたいという気持ちは本当だ。父を出汁に使ってしまったが、背に腹はかえられない。長い人生、そのような相手との交渉はきっとあるだろう。カリンは緊張しながらエミリオの言葉を待った。


「…そうですね…。その場合、相手はこちらの要求を拒否している訳ですから、どの部分が相容れないのか探る必要がありますね。私ならばいくつか無理めな案を用意して、妥協点を探ります。その上で本当の要求を提示すると、上手くいく事が多い気がしますね。」


思った以上にまともな答えが返ってきた。折角考えてくれたのに申し訳ないが、カリンには出来そうもない。失敗だったかと肩を落とす彼女に、エミリオは更に続けた。


「或いは聞き方を変えてみるという方法もありますね。例えばAとB、どちらなら良いかと。相手には選択肢が二つしかない訳ですから、はぐらかす事が難しくなります。と言っても、なかなか上手くはいかないものですけどね。」


珍しく苦笑いした彼には、色々苦労があるのだろう。なるほど、選択肢を絞った質問をするのは良い案だ。具体的な話を出すというのも効果的かもしれない。ふむふむと考え込んでいると、今度はエミリオが聞いてきた。


「カリン嬢はお父上の手伝いもされるのですか?今日はいつもと違うご様子でしたが、お仕事の事をお考えでしたか。熱心で素晴らしいですね。」


違います、貴方の攻略法について考えてました、とは言えない。不自然さは彼に筒抜けだったというのに、良く付き合ってくれたものだと、また感心してしまった。カリンは曖昧に微笑んで、誤魔化すように紅茶に手を伸ばした。何か別の話題はないだろうか。


そして手に持ったティーカップに目をやる。なんとはなしに見たそれは、青色が鮮やかな陶器だ。内側は白で紅茶の淡い茶色がとても映える。


「エミリオ様は青色と茶色、どちらがお好きですか?」


反射的に出た言葉に慌てたのはカリンだ。いくら話題を探していたからと言って、この流れでこの質問では、掴み所のない交渉相手は貴方です、と白状しているようではないか。


やってしまったわ。慣れないことをするものじゃないわね。


恥ずかしいやら落ち込むやら、いたたまれない気持ちになっていたカリンだが、ふと異変に気づき目の前の男に視線を移す。


エミリオが眉間に手を当て固まっていた。


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