7.予感
光に包まれるような感覚がして、ふっと意識が浮上した。カリンはぼんやりしたまま、うっすらと目を開けた。
視界に入るのは豪華な装飾。ゆっくりと戻ってきた感覚から、自分がベッドの上にいる事が分かった。
私、どうしたのかしら?ここは?
未だに現実がどこか分からず、ぼんやりする。何とか思考を回すと微かに音楽が聞こえ、自分が舞踏会に来ていたことと、令嬢に囲まれた記憶が蘇ってきた。
良かった、やはり夢だったと安堵する。忘れていた前世の最期の記憶。何故今になって夢に見たのだろうかと不思議に思う。こう言ってはなんだが、前世の自分は可哀想過ぎやしないだろうか。生々しい記憶に思わず喉の奥がヒュッとなる。アレに比べたら大抵の事は我慢できそうだ。
途端、喉に違和感を感じ、杯をあおった事も思い出す。飲んだのは度数の高い酒だ。日頃の疲れもあったのだろう。目覚めた今はいくらか体も軽くなっている気がする。
恐らくここは王宮内の休憩室のどこか。誰が運んでくれたのだろうと思っていると、天蓋付きベッドの薄い布の向こう側から、父とエミリオの話し声が聞こえてきた。
「ご令嬢方からは謝罪を受けている。大事にはしないつもりだよ。」
「宜しいのですか?」
「あぁ。カリンも望まないだろう。」
「…本当に申し訳ありません。私がついていながら。」
「君のせいではないよ。それより…カリンとは上手くやっているのかね?」
「えぇ…。」
カリンは目覚めた事を言い出せずにいた。何となく二人の話を遮りたくない。エミリオは少し間を開けてから話し始めた。
「カリン嬢はとても努力家です。学ぶ事もお好きなのでしょう。けれど色々無理をなさったのだと思います。恥ずかしながら…彼女が疲弊している事に、私は気づいてすらいませんでした。」
懺悔するようにゆっくりと語られる。エミリオは気にしているようだが、カリン自身が疲労に気づいていなかったのだ。彼が気づくことは難しいだろう。
それにしてもエミリオが自分の事をよく見ている事に驚く。そして思いの外その事が嬉しい。気にかけて貰えるとは嬉しい事なのだとカリンは温かな気持ちになったが、言葉を紡ぐエミリオの声は沈んでいる。
「ご令嬢方に囲まれたのも、きっと私のせいです。それでなくとも今日は気疲れすることばかりだったでしょうに。カリン嬢は気丈に振る舞っておられました。慣れているはずがないのですが……不思議と初めてではないような振る舞いに、私も甘えてしまって。彼女への配慮が欠けていたと思います。」
彼が不思議に思うのは前世の記憶によるものだろう。姑の嫌味に耐える日々だったと思い出し、続けて倒れる直前の光景が前世の記憶と重なった事も思い出した。
どうしてそんな風に思ったりしたのだろう。前世の夫とエミリオは似ても似つかない。逆に共通点などあるだろうかと考え、あまりの似ていなさに少し可笑しくなり、不謹慎ながら思わずクスリと零した。
「…カリン嬢?」
こちらをうかがうように声が掛けられる。しまったと思ったが今更誤魔化せない。さも今目覚めたという風に答えると布地が揺れて二人が顔を覗かせた。ベッドに腰掛けたカリンの前に、エミリオは膝をついて目線を合わせた。
やっぱり似ているところなんてないわ。
そう思ったカリンだったが、同時に彼はこんな顔をしていたのかと改めて思う。そういえば顔を見てはいたが、こんな風に真正面から顔色をうかがうように見たことはなかった。心配そうに眉を下げた顔は、少し幼くすら見える。
「カリン、大丈夫か?具合はどうだ?」
父の声に顔を向けると、こちらも心配そうな顔をしている。
「大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。」
「全く、得体の知れない液体を飲むなど…。」
「…ごめんなさい。軽率だったわ。」
「貴方は悪くありませんよ。カリン嬢、本当に大丈夫ですか?」
「…えぇ。」
いつになく真剣な表情のエミリオに戸惑う。倒れたのは確かだが、そこまで心配しなくても本当に大丈夫だ。エミリオの顔色は、倒れたのが彼かと思うほどに悪い。どこか焦燥感を滲ませる彼に、カリンは微笑んでみせた。
「本当に大丈夫ですよ。あんな強いお酒飲んだの初めてでビックリしただけですから。少し喉に違和感はありますけど、眠ってスッキリしました。」
そう言うと、彼はようやく一つ息を吐いて「良かった…」と呟いた。一体どうしたのだろうか。そこまで心配すら理由はなんだろう。過去に似た経験でもあったのか。そこまで考えてカリンははっとする。
私、エミリオ様の事を何も知らないわ。
この一ヶ月半、それなりに時間を過ごして来た。けれどそれだけだ。毎日気を張っていたのは確かだが、単にエミリオの二つ名を意識していただけの事だ。よく考えもせず、そういう人だと決めつけて、彼のエスコートに浮き足立っていた。
思えばこれまでもカリンはずっと受け身だった。だからこその二度の婚約の解消なのだが、何処かでそんな自分を仕方がないと諦めていた。だが、改めて考えれば誰だって自分に関心を示さない相手と生涯を共にはしたくないだろう。
そして、先程見た前世での最期を思い出す。もうあんな風に死にたくない。もしかしたらあれは啓示だったのかもしれない。きっと今世は悲惨すぎた前世がくれたチャンスなのだ。
目の前のエミリオをじっと見つめる。彼は少し不思議そうな顔をした。
知りたい───。今度こそ、誰かと分かりあってみたい。
生まれた小さな決意は、自分を変えてくれる予感がした。




