4.怒涛の日々
二人が婚約をしたのは夏。少し経てば社交シーズンが終わり領地に戻る人もいる。だが、エミリオがタウンハウスに残ると聞いて、カリンは今後、週二回は会う事を提案した。今年はカリンも居残り組だ。幸い父も了承してくれている。
エミリオは少し驚いた顔をしたものの、直ぐに快諾してくれた。多いか少ないかは分からないが、カリンにとっては頑張っている回数だ。なんなら相手に提案する事自体が、彼女にとって初めての快挙である。
この日は今後の予定を決め早々に解散となったが、カリンは満足感でいっぱいだった。
それからというもの、エミリオは様々な場所へ連れて行ってくれた。オペラ鑑賞や評判のレストラン、宝飾店から人気デザイナーの洋服店まで。デートの指南書があるならば、例として記載されそうな場所ばかりだ。
これがお手本のデートコースなのね。
カリンがそう思ったのは、初回の数分だけだった。ここでもエミリオの本領は発揮されたからだ。
オペラ鑑賞となれば、会話の中で作品の見どころをさり気なく伝えてくる。幕間にはシガールームにもいかず飲み物を勧めてくれる。
レストランに行けばシェフと料理の解説を頼み、楽しみながら堪能する。どこで聞いたのかカリンの好きなデザートが出てくることもしばしばあった。
宝飾店では遠慮するカリンを見越してか、日常使いしやすい小ぶりなアクセサリーが揃えられ、洋服店に行けば社交シーズン最後の舞踏会用と、しっかり理由付けされ夜会用ドレスを仕立てることになった。
更に道を歩けば必ず危ない方の位置を彼が歩いている。荷物があればいつの間にやら彼の手の中へと移動している。彼と一緒の時にカリンはドアを開けた事は疎か、ドアに触れた事すらない。段差という段差の場所は把握され、御者とは謎の連絡手段があるとしか思われないほど的確なタイミングで現れる。
一体どうやっているのかしら。手品?
お手本どころか一気に上級者仕様だ。全く力みのない、さり気なく手馴れた心配りにカリンはひたすら感心した。段々とカリンは教師に教えを乞う生徒のような心地になっていった。
その間、プレゼントも欠かさない。最初に貰ったのは彼の瞳の色をした大振りのサファイアのネックレス。周りをダイヤで囲まれたデザインは流行最先端のものらしい。他にも帽子に扇といった小物もマメに贈られた。
散財させてしまって申し訳ないけど…今の流行りが分かって有難いわ。
それでもいくつかは使いきれず箱のまま積まれている。特にネックレスはなかなかに重く、今は宝石箱の中で眠っている。
こうして普段のカリンならば四ヶ月分はありそうなデートスケジュールを、わずか一ヶ月半でこなしてしまった。
顔合わせこそ芸術鑑賞会のようになってしまったカリンだったが、二回目からは現実のものとして接するように努力している。相変わらず彼ばかりが吟遊詩人のように朗々と語っている事が多いけれど、少しずつだが彼のエスコートに驚かなくなってきた。
彼女の変化は心の持ちようも大きく影響している。根底にあるのは前世における「男に恥をかかせるな」という厳しい掟だ。エミリオの隣を歩くにあたり、カリンは相応の気合いをいれていた。間違ってもカリンのせいで、彼が悪し様に言われる事がないようにしなくてはいけない。
以前よりおどおどしなくなり、派手過ぎると見ただけで敬遠した帽子を一度は被ってみようと挑戦するようになった。ドレスやヘアスタイルの流行の色や形を調べるうちに、その装いが洗練し始めた。その事に彼女自身は気づいていないが、最近は少しだけ楽しむという感覚がわかってきたように思う。
それでも、婚約以降は怒涛の日々だった。
毎日肩で息をするような生活は新鮮で楽しくもあったが、普段の倍は気を使い、ずっと気を張り続けていた。本人も知らぬうちに疲れは蓄積され続けていた。
そんな折、今年の社交界の終わりを告げる大規模な舞踏会が開催される事になった。これまで理由をつけて逃げてきたカリンも、今回ばかりは避けられない。エスコートは勿論エミリオだ。
公式な場に二人揃って出席するのは初めて。事実上のお披露目だ。注文したドレスが出来上がったとの連絡を右手に、舞踏会の招待状を左手に、カリンは少しだけ目眩を覚えたのだった。