36.伝えたい想い
エミリオを見つけた時、カリンは幻ではないかと疑った。
カリンの知っている彼は常に余裕があった。けれど目の前にいるエミリオは、今にも消えそうな程に儚げで、声を掛けるのを一瞬躊躇ってしまった程だ。
「エミリオ様。」
「…どうして、ここに?」
二度目の呼びかけに、少し間を空け振り返ったエミリオは驚いた顔をしていた。少し痩せたような、やつれたようなエミリオの姿に胸が痛む。
「御屋敷の方から聞いたのです。皆で探しておりました。」
「…そう、ですか…。」
ガルディーニ家の御者にエミリオの失踪を聞いてから、皆で手分けしながら思いつく限りを当たった。けれど事態を公に出来ない事から、大した捜査も出来ず難航。結局、その足取りはつかめなかった。
カリンがこの場所を思いついたのは偶然だった。きっかけは以前頼んだデイドレスが出来上がったとの連絡があった事。気乗りはしなかったがそのままにも出来ず、最終フィッティングに訪れた。
そこでエミリオの瞳の色に似たドレスを手にし、ふと以前の会話を思い出したのだ。
『昔、水平線と空とか交わる景色を見ました。あの時の青色は美しかった。』
青が美しいと言っていた場所は、恐らくエミリオ様にとって思い出深い場所なはずだわ。
そう思ったカリンはすぐにガルディーニ家に連絡を入れた。すでに婚約者と名乗って良いのか微妙な自分の連絡など迷惑かと思ったが、執事を名乗る老齢の男が尋ねてきたのはすぐの事だった。
優しげな彼にエミリオが幼い頃訪れた事のある海の近くの土地は何処か、と切り出すと少々驚いた顔をされた。慌てて「以前好きなお色の話を伺った事がありまして。」と伝えると、眉を下げ何やら感慨深げに数度頷いた。
執事の眼差しは更に柔らかくなったのだが、当時エミリオとしたやるせない会話を思い出していたカリンは全く気づかず、ともあれ彼からこの場所を教えてもらったのだった。
そうして馬車で半日かけ、この場所に来た。願いも込めて受け取ったばかりの青色のデイドレスに身を包んだ。それにカリンは何故かここにエミリオがいると確信していた。
「お母様の事、お悔やみ申し上げます。」
「…いえ、ありがとうございます。」
「それで、あの…。」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが大丈夫です。」
「え?」
「こんな所まで貴方に御足労をおかけして申し訳ありませんでした。荷物を纏めたらすぐに帰りますので、どうか貴方は先にお戻りください。」
有無を言わせぬ雰囲気でそう言って背を向けたエミリオからは、明確な拒絶が感じられた。
心配して眠れぬ夜を過ごしていた。今日だって半日かけてこの地に来たカリンに、労りの言葉一つない。驚きが通り過ぎたカリンは、怒りよりも悲しさを覚えた。
あぁ、私では駄目かもしれない。
手を伸ばせば届く所にいるのに、エミリオの心はとても遠くにいるように感じる。やはり会議室で聞いた話は本心だったのではないか。わざわざこんな場所にまで来て、迷惑だったのではないか。あれ程皆に励まして貰ったのに申し訳がない。でもやはり買い被りだったのだ。私が彼を変えるなど出来そうもない。
諦めかけたカリンの目に、ふとエミリオの手が映り、思わず目を見開いた。
エミリオの手が白くなる程きつく握られ、微かに震えているのだ。驚いて顔を上げた先、変わらず向けられた背中なのに、先程とは全く違う印象を抱いた。
違う───?
彼は何かを耐えている?
迷子の子供のように不安げな背中は頼りなく、とても寂しそうに見える。冷静に思い返せばエミリオからこんな態度を取られたことはない。
『エミリオといい、お嬢さんといい、全く似た者同士とは困った者だ。どうしてそこまで自身を後回しにするのやら。』
『本当に譲れない物にまで目を瞑って幸せを逃すようではいけませんね。』
カリン自身、エミリオの隣など不相応だと思っていた。エミリオから別れを告げられても当然だと受け止めていた。
もしエミリオ様が同じように離れる事が私の幸せだと思っているのなら───。
勘違いでないなら諦めたくない。
そもそも自分はまだ何も伝えていない。
『貴方、もっと自信をお持ちなさい。』
『エミリオの目を覚ませるのはお嬢さんだけだろうよ。』
『驚く方法で解決してくれるでしょう。』
皆の声が思い出される。
自信なんてない。
買い被りだし、驚く方法なんて思いつかない。
それでも前世と今世、必死に生きてきて学んだものもある。
カリンは一度呼吸をすると震える足を叱咤して踏み出した。言葉だけではきっと伝わらない。それなら体全部でぶつかってみるだけだ。
カリンはそのまま無防備なエミリオの背中に抱きついた。
「…何をっ…!」
振り向いたエミリオは驚いた顔をしているものの拒絶の色はない。その眦に光る物を見つけ、カリンの中で何かが外れた。
後は勢いだった。
エミリオの胸ぐらを両手で掴む。
そのまま全力で引き寄せたエミリオの唇に、カリンは自身のそれを寄せた───。