35.エミリオの過去②
先週は更新出来ずに申し訳ありませんでした。最終話まであと少し。どうかお付き合いよろしくお願いします!
エミリオは過去を思い出しながら、通い慣れた道を目的地へと歩いた。程なくして着いた海に近いこの橋は、昔住んでいた家からさっきまでいた空き地を通りすぐの場所だ。観光地とは反対側の至って静かなここは、かつて父の肩車であの青を見た場所だった。
ここに来てから毎日、空の色が変わるまで海を眺めるのが日課になっていた。手すりに体を預けながら、いつになく昔のことを思い出していた。
あの事件から少しして、王宮内で仕事を得たエミリオは逃げ場を求めてひたすら仕事に没頭した。元々頭は良かったし、人の顔色を窺う事にも長けていた。嫉妬ややっかみはあったが、幸い努力は評価され伯爵位を賜るまでになった。
充実した日々を過ごしていたが気づけば妙齢になっていて、また苦悩する日々が始まった。本来喜ばしい縁談は試練でしかない。何の因果か異常なまでに整った容姿を神から与えられてしまったが故、女性からは常に熱い視線を向けられ、その度に疲弊していた。
それでもエミリオは母に接するよう、女性達には丁寧に接した。その頃には息をするように女性を褒める事が出来るようになっていたし、感情を表に出さずに穏やかに接する事には慣れていた。
けれど、何故か周りの女性たちはエミリオに関わると狂い始める。誰もが愛を求め、やがて必ず疑いの目を向け始める。どれだけ言葉を尽くしても、彼女達の不安は深まるばかりで結局破談となる事もしばしばだった。
分かっている。俺は誰も愛せていなかったし、彼女たちの誰も本当の俺を見ようとしていなかった。
何より困ったのは、エミリオが女性からの願いを断る事が出来ないという事だ。どんな些細な願いであれ、口にされる度に脳裏に浮かぶのはあの日の祖父の瞳と母の歪んだ唇。
断れば目の前の女性も壊れるのではないか。
あの日を思い出すだけで喉を締められるような恐怖が身体を支配するのだ。耳元では『償え!』という祖父の幻聴が呪いのように木霊していた。彼女たちの願いを聞くことは、義務であり恐怖からの逃避だった。
自分には幸せになる価値もない。誰かを幸せにすることも出来ない。
そう思うようになるのに時間はかからなかった。その間にもたくさんの女性を傷つけてしまった。事情を言う事など出来なかった。落ち込むエミリオに追い打ちをかけるように、あの二つ名の噂が流れ始める。
“ピアドリアの生ける化石”
人からは面白おかしく言われ、更に根も葉もない噂までもが加わったが正直好都合だった。幸いその頃には祖父は亡くなっていたし、母は完全に狂っていた。
一生独りで構わない。この因果を俺で終わらせてやる。
そんな風に思っていた。事実、縁談はほとんど来なくなっていたし、ガブリエラのような女性を適当にあしらっていれば良かった。
平穏なはずなのに、知らず心が死んでいくような日々の中出逢ったのがカリンだった。
彼女はエミリオが出会ってきた他の女性とは明らかに違っていた。エミリオに負けない悪評もさることながら、自己主張のなさと自己評価の低さ。誤解のされやすい彼女が健気に頑張る姿に、エミリオは初めて女性を守りたいと思った。
彼女を思う時だけ心は温かくなった。控えめな彼女とのやりとりは、女性に対し頑なだったエミリオの心と驚く程に歩調が合っていた。
そしてあの笑顔。自分自身を制御出来ない感情に戸惑った。温かくなる胸も締め付けられる痛みも。忘れていた楽しさも、鮮やかな色彩も。
甘やかな記憶の中でふと、エミリオの脳裏に最後に会った時の蒼白なカリンの顔が浮かんだ。途端、胸が締め付けられるように痛む。エミリオは耐えきれずに俯いた。
傷つけた彼女に心から詫びたい。誤解を解きたい。これまでの全てを彼女に伝え、正直な想いを伝えたい。
そう思いながらも、これで良かったのだと少しだけ安堵している。彼女は幸せになるべき人間なのだ。自分のようないわく付きの男と一緒になどいないほうが彼女のためなのだ。だが───。
「会いたい…。」
二つの思いが心の中でせめぎ合う。けれど小さく零れたのは、偽りのない心だった。
会いたい、もう一度だけでも。願わくはあの笑顔を見たい。
「エミリオ様。」
絶え間なく響く波の音に混じり、エミリオの耳に会いたい人の声が聞こえた。思うあまりについに幻聴が聞こえたようだ。女々しい自分に苦笑いを浮かべた。
そろそろ潮時だ。もういい加減に戻らなければならない。最後に幻でも彼女の声が聞けて良かった。
「エミリオ様。」
先程よりはっきりと聞こえる声にまた幻聴か、と一瞬思ったが、すぐに違うと気づき驚いて振り返った。
「…どうして、ここに?」
そこには会いたいと渇望していた彼女が鮮やかな青を纏って立っていた。




